「少女の涙の裏に泣けなかった200万人の涙がここにもある。」最初に父が殺された マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
少女の涙の裏に泣けなかった200万人の涙がここにもある。
1975年の事。今から50年前のお話。事実に基づくお話なのだろうが、先ずはどうしてこうなったか?そして、どうしてこの政権が倒れたかの説明が微妙に少ない。
先ず、原因の発端は米国の北爆である。では、北爆はなぜ行われたか?北ベトナムから南ベトナム解放民族戦線への物資の補給ルートを遮断する為の攻撃。それが隣国のラオスカンボジアに及んだのだ。当該映画の中でも爆撃が酷かった逸話は語られる。つまり、米国は敵と判断してカンボジアを攻撃したのと同じになる。そして、その時期に乗じてロン・ノルと言う軍事政権がクーデターを失敗してしまう。これに対抗して樹立されたのが、ベトナム政府に支援を得た人民政権なのだ。つまり、ソ連の支援を受けた政権が誕生するのだ。ところが、元々、ベトナムと中国は中越国境にて争いを繰り返していた。そこで中国の支援を得て並立するように誕生したのが当該『クメール・ルージュ』なのだ。まぁ、だいたい、これが当時から言われていたリベラルな常識。
だから、ベトコン(差別用語)から支援を得たカンボジアの政権を、アメリカも日本も認めていない。
さて、とどの詰まり、クメール・ルージュ政権はベトナム政府が解放をする。所謂、クメール・ルージュから見れば、ベトナムがカンボジアを侵略したのだ。だから、こう言ったポル・ポトによる愚行に付いては、日中友好に関わるので、日本政府は見て見ぬふりをしていた。だいたい、こう言った経緯だと思う。偏った考えと言うものもいるので、真実がどうであったかは自分で調べるべきである。だから、この映画で歴史を判断すべきではないし、この内線の真実を体験した人も大変に少ないと思うので、国際的な司法組織の正確な判断を早急にすべきだと願う。
さて、今なんでこんな映画が制作されるのか?真意は分からぬが、新たな黄禍論が後押ししているのかもしれない。いずれにしても、この内線で200万人の人が虐殺されている。しかし、カンボジア人はベトナム人を今でも解放してくれた民族とたたえてはいない。
少女の涙の裏に、泣けなかった200万人の涙がここにもある。
最後だけ評価する。アメリカの反ベトナム戦争映画では表す事が出来ない映像は評価する。そう、
世界は少しも良くならないから。