「罪を犯した人間は赦されるのか!」友罪 だいふくさんの映画レビュー(感想・評価)
罪を犯した人間は赦されるのか!
原作は薬丸岳の小説であり、1997年に兵庫県神戸市須磨区で発生した連続殺傷事件がモデルになっているといわれています。
まず、この映画(小説)は、被害者側の観点は抜け落ちている作品です。完全に犯罪者側中心に描いております。犯罪を犯した人たちや周囲の人々の苦労を描いてます。その前提で、今回の登場人物一人一人、私個人的な感想を書いていきます。
【息子が過去に無免許事故で3人の子供を殺してしまった家族】
さだまさしの曲の「償い」思い出しました。ただ、曲は加害者本人が自分の生活も未来も捨て被害者に償い続けある時に被害者の母から赦されるという曲です。映画では「償い」を全て父に頼り切っているだけ。
息子は父と絶縁しました。それはまさに罪を自分で負うのではなく、父に罪を背負わせ自分は幸せを手に入れようとした瞬間と私は理解しました。
【娘が未成年で妊娠してしまった、少年更生施設の女性先生】
犯罪者たちを更生する仕事は必ず必要。でもそれは世間からはどう思われる仕事だろうか、まして母親から放置された娘の気持ちはなおさらでしょう。
この映画で1つだけ救いがあったとしたら、娘の妊娠で白石が母親として目覚めた瞬間でしょうか、ようやく母と子供に戻ったのです。と共に更生している少年たちは今後どうなってしまうのでしょうか。白石は母親に戻ることで少年たちを見捨てる判断をしたことになるのではないでしょうか。
【少年Aに恋をした、男に騙されAVに強引に出演させられた女性】
救いのない状況の彼女を救ったのは、少年Aの鈴木でした。二人の恋は急速に進みます。
鈴木が異常殺人者少年Aと知るまでは…。
彼女の最後の判断は映画では読み取れませんでしたが、おそらく鈴木を見放していると読み解けます。安心できる場所から再度地獄に突き落とされた彼女は、今後もしかしたらもう立ち直れることができない状況まで落ちてしまうのではないか?と思えます。
異常殺人者でも私は愛を貫く!などという甘いセリフは聞かれないのです。
【子供の頃、いじめっ子の自殺を止めれなかった元記者】
自分が同じようにいじめられるのを避けるため、唯一の友人として付き合っていたのに、いじめられっこに最後にとどめを言葉を発してしまった、益田の罪の意識は計り知れないもの。
ただ彼はまだ少年だったんです。これはしょうがなかったのではないでしょうか。いじめられっこも自殺以外の方法があったはず。逆に、罪の意識を一生持って生きていかないといけない益田が一番の被害者であるのです。
友人となった少年Aを世間に公開してしまったきっかけを作った彼は、ラストで今まで行けなかった自殺現場へ向かい、号泣するシーンはとても印象的でした。
益田は少年Aとは違うんです。一生分の後悔もした、もうこれで赦されて幸せになってもいいじゃないかと、私はそういう気持ちになりました。
【少年時代に2人を殺害した、少年A】
さて、冒頭で述べた犯人を描いたであろう(正式に原作者は認めてはいない)といわれる、瑛太演じる鈴木秀人。
社会に出た鈴木も変わらず異常な雰囲気と行動なのですが、この映画では彼も人間なんだと言わんばかりに、自分が死ぬと悲しむといってくれた益田との友情が芽生え、新たな恋もしてしまった。そして鈴木は被害者には申し訳ないと言いつつも、生きたいと叫ぶのである。
ラストでは、殺害現場を訪れ、不気味な笑い泣きを行う。このシーンで、彼が本当に更生し被害者に申し訳ないと思ったとは思えません。自分が普通にそして幸せに生きていけない悔しさへの涙としか、見えませんでした。
はい。ということで登場人物への個人的感想を書いてみましたが、本作が問題作となるゆえんは、犯罪者(少年犯罪)は幸せになってはいけないのか?というメッセージです。ただ、本作は全く被害者側を語らずして犯罪者を美化している気がするので、全く好きになれませでんした。