「犯した罪は、いつまで、どれだけ、そして誰が、背負い続けていけばいいのだろうか。」友罪 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
犯した罪は、いつまで、どれだけ、そして誰が、背負い続けていけばいいのだろうか。
瑛太演じる「鈴木」が、かつて現実に神戸で起きたあの事件の少年Aであったなら、こんな人生になっているんじゃないか?と思わせる、背筋に嫌なものが走る映画。おそらくかの少年Aは、精神障害を負っていたであろう。それは、少年院でどれだけ心を尽くしたケアがされたとしても健常者にはなれない。心が壊れているのだから。それでもどうにか独り立ちできても、コミュ障の彼は、周りと溶け込めない。そう、まさに「鈴木」のように。
そんな、言葉に抑揚がなく、感情も希薄な「鈴木」が、少しづつ益田や藤沢によって変わっていく。地表に積もった雪が、厳寒のなかでも僅かずつでも溶けていくように。それは、彼らが同じ「人に言えない過去の苦しみ」を抱えているからこその共鳴なのだろう。
最後、瑛太の表情は、目まぐるしく変わっていった。いろんな感情が沸き上がり、それを処理しきれず、錯綜し、持て余しているような表情だった。まるで、少しづつカラオケに慣れて歌えるようになっていったときのように。もうじき、彼も、自分の感情を素直に表せるようになれるかもしれない。そのときにまた益田のような、彼の内面にきちんと向き合ってくれるような友達と出会えることを願う。
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