「昨今のディストピア作品の中では良作」セブン・シスターズ 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
昨今のディストピア作品の中では良作
出た!安易な横文字改題!
本作冒頭で「WHAT HAPPEN TO MONDAY?」という原題を知ってまず最初に思った感想である。
「何が月曜に起きたのか?」という題名は1週間の初めの月曜日に7人姉妹の1人である「月曜」の身に何が起きたのか?という2重の意味がかかっていると思うのだが、こなれた邦訳にできなかったのか、結局は件の邦題になってしまった。
それなら日本語の題名で「7姉妹」じゃ駄目なのか?
主演はノオミ・ラパス、彼女の出世作である原作小説の本国スウェーデン版『ミレニアム』3部作は未だ観ていない。
小説は3作全部読んだし、ハリウッドリメイク版の第1部『ドラゴン・タトゥーの女』は観ているのだが、自分の中のリスベット・サランデルのイメージとラパスの外見がどうにも折り合わない。
筆者の思い描くリスベットのイメージはハリウッドリメイク版のルーニー・マーラの方が近いが、評価が高いのはラパス主演のスウェーデン版である。
作者のスティーグ・ラーソンが死んで大分経つが、近年第4部『蜘蛛の巣を払う女』を別人が書き上げ、それをハリウッドが配役を一新して映画化するのだとか。
とはいえこの代表作以外は、エイリアン前日潭であり『エイリアン コヴェナント』の前編でもあった『プロメテウス』から始まり、ブライアン・デ・パルマ監督スリラー作品の『パッション』、アクション作品『デッドマン・ダウン』、やはりスリラー作品の『ラプチャー 破裂』とラパスの出演作品を観ている。
たしかに演技はうまいのだが、なんだかいつも顔も含めてゴツゴツした印象しか受けず、『プロメテウス』はまだしも他の作品では観ていてヒロインには向かないなと思うことが多かった。
『ラプチャー』では恐怖の演出よりも恐怖にひきつるラパスの顔の方が怖い。
しかし、本作は久しぶりに彼女がハマり役のように思える。
ただし本作でもあったボカシ付きの過激?なラブシーンはいらない。
なんで小さい時にあれだけ可愛かった7人の少女が大人になって男性ホルモンを注射されたかのようにごっつい女性になってしまったのかはさておき、話の筋はなかなか面白い。
最近腐るほど存在して本当に腐っているディストピア作品とは違い、同じディストピアものながらも一工夫も二工夫もあり単純ではない。
人口過剰に食料生産が追いつかないため1人っ子政策をかかげ、遺伝子組み換え作物で食料増産を計ったらそれが一卵性多生児出産につながってしまったという皮肉な結果になる。
2人目以降は「クライオスリープ」で眠らせる児童分配局預かり(実際には殺していた)になるため、祖父さんのウィレム・デフォーが産まれた7つ子を訓練して1人の人格になるよう育てる。
そして、その真実が分配局に予見することで物語が動いていくという凝った設定である。
そりゃあお腹に7人も赤ちゃんがいれば出産時にお母さんは死んでしまいそうだ。
いやいやむしろその前に十月十日も母体が持つのか、未熟児のある程度の時点で帝王切開が必要そうだが…と後から冷静に考えると突っ込みどころ満載なのだが、1週間に7人を当てはめるのが必要不可欠な絶対条件なので目をつぶる。
また7つ子ならあそこまでくっきり7人が7人とも性格が違うとも思えないが、あるいはそれも遺伝子組み換え作物の影響だろうか?
他にも観ていて不思議に思ったのは、普段「月曜」とベッドを共にしている恋人のエイドリアン・ノレスは処女の「土曜」を抱いて違和感は感じなかったのだろうか?という点である。
あとは児童分配局の面々が総じてポンコツ。
追いつめる指揮官のジョーも大人数を繰り出しながらほぼ素人の姉妹にまんまと裏をかかれたり、局員にも相当の犠牲者を出している。
「木曜」に施設内に踏み込まれて死んだ振りをされてそれに引っかかった抹殺担当の局員2人も機械であっさり消去されたりする。
ただ上記の御都合主義は、姉妹側もほとんどが死んでしまうことを考えれば昨今のSF作品の中ではマシな方だと思う。
最後に子どもを身ごもった「月曜」が止むに止まれぬ想いから他の6人を裏切ったことが真実として明かされるわけだが、本作を愛の作品へ導く意味でそれ相応に説得力がある。
ラパスの演技とごっつさを活かし、アクションも交えてたたみかける構成は全く飽きさせない。
本作は漢族の1人っ子政策を意識していることは容易に想像できるし、実際2人目の子どもを役所に届けられずに無戸籍人口が多数存在したり、わざと出生届を送らせて2人目が産まれた時点で双子として届けるなど様々な問題を抱えている。
さすがに日本以上の急激な少子高齢化を招きそうなので、最近になって第2子出産を許可する政策に転換したが、産まれた子どもの経済状況を気にする都市部住民はむしろ2人目を産みたがらず、内陸部の貧しい農村家庭では人口が増えそうな状況でますます都市と農村の貧富の格差が開きそうである。
また先進国はどこも少子化していて、人口が増えているのは基本発展途上国である。
東南アジア諸国は日本が援助の一環としてインフラ整備をしたので順次発展していくにつれてある程度人口増加に歯止めがかかる可能性が高いし、いずれ人口が漢族を抜くと言われるインドも着実に自ら経済発展しているので同様である。
問題は欧米が搾取するだけでまったく経済発展を援助してこなかったアフリカである。
インフラが整備されていないので工場などの労働施設自体が少なく、成人年齢に達しても職につけない。だから現在はヨーロッパへ押し寄せているのである。
むしろ食糧難になるとして起こりうるシナリオは産児制限ではなく自国民の囲い込みと他民族の追い出しである。
職を奪われ文化を壊されるという理由から世界で既にその兆候は表れている。
ただ希望的な観測もある。
シンギュラリティと呼ばれるAIやスパコンが発展することでエネルギーフリーの世界が訪れるという展望である。そうなると食料生産能力も飛躍的に増大する。
いずれにしろ筆者は本作のような未来は到来しないと推測している。
ラパスを含めて制作側は起こりうる未来として本作を観て欲しいようだが、筆者の中ではSF作品の1つとして単純に楽しむ作品である。
最後に1点、改めて予告動画を観ての感想になるが、察しのいい人は予告を覚えていて本作を観ると誰が黒幕か早々にわかってしまうかもしれない。