「あなたが与えてくれた愛」さよならの朝に約束の花をかざろう 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
あなたが与えてくれた愛
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』『心が叫びたがってるんだ。』の脚本家、岡田磨里の監督デビュー作となるオリジナル長編アニメーション。
『あの花』も『ここさけ』も少年少女たちの青春ドラマにファンタジーを少々プラスの作風だったが、こちらは直球とも言える異世界を舞台にしたファンタジー。
人里離れた地で暮らす“イオルフ”の民。彼らは10代半ばで外見の成長が止まる不老長寿の種族で、それ故“別れの一族”とも呼ばれていた。
“ヒビオル”という布を織る静かな暮らしを送っていた。
ある時、イオルフの長寿の血を求めて、王国軍“メザーテ”が翼を持つ獣“レナト”に乗って攻め込む。
その混乱の最中、仲間も村も失ったイオルフの少女マキアは、外界へ…。
最初は設定や用語を覚えるのにちと一苦労。
でも、それほどややこしくてこんがらがる訳でもなく、割りとすんなり把握出来た。(イオルフの教えなどさらに細かな設定はさておき)
異世界、人間と別種族、王国、不老長寿、古よりの存在…。
このまま剣と魔法が登場する王道の冒険ファンタジーが展開するのかと思ったら…、
命からがら助かり、森をさ迷っていたマキアは、賊に親を殺された赤ん坊を見つける。
エリアルと名付け、育てる事に…。
ファンタジーでまさかの擬似母子の物語。
でもお陰で、ファンタジーの世界特有の馴染み無い展開や争いがどーのこーのを見るより、ずっと見易かった。
とにかく、悪戦苦闘の子育て。ずっと布を織るだけの単調な暮らしだったイオルフの民にとって、人間が人間の子育てをするの比ではない。
全てが、初めて。全てが、慣れない。
偶然出会った女手一つで子供たちを育てる家族の助力あって、やっと。
おまけに端から見れば、子供が子供を育てるようなもの。
また、マキアは普通の人間じゃないとヒソヒソ噂される…。
こんな自分が母親としてやっていけるのか…?
自覚も無い。血の繋がりも無い。同種族でも無い。
毎日…いや、その瞬間瞬間が、自問自答の連続。
一つの場所に長く留まる事は出来ず、各地を転々。
時が経ち、エリアルも少年に。甘えん坊。
マキアは仕事を探す。仕事と家事と子育てに追われる。
ここら辺、ファンタジー・アニメではなく、まるで現実世界を見ているようだ。
母子仲は非常にいい。
が、子育ての悩みや日々の生活の疲れで、つい当たってしまった時も。
それが親子ってもんだ。
まだまだ母親として悩みながらも、溢れんばかりの愛情を注ぐマキア。
その愛情をたっぷりと受けて育っていくエリアル。
「僕が母さんを守る」
ある時言ったその言葉は、これ以上ない母子愛ではないか。
また時が経ち、エリアルは青年に。
エリアルの見た目はマキア超え。
周りには親子ではなく、姉弟として暮らしている。
この頃になると、母子関係に変化が。
“母さん”と呼ばなくなった。すでにもう本当の親子ではなく、別種族なのも知っている。
所謂思春期、反抗期。
…なのだが、この“親子”の場合、複雑な心情が。
エリアルからすれば、自分は成長していくのに、“母親”はずっと変わらぬまま。そんな“母親”を“母親”と呼べるのか…?
だからある時、遂に言ってしまった。「母親と思った事など無い」と…。
エリアルはエリアルなりに苦悩/葛藤していた。
見た目とか同種族じゃないとか、そんなんじゃない。
何故、この人は自分なんかに無償の愛情を注いでくれるのだろう…?
守ると誓ったのに、守れてない。
愛情が逆に重荷に。
それに応えられない自分…。
エリアルはマキアの元を離れ、王国軍に入る…。
メザーテ王国では、イオルフの長寿の血を巡って問題が。
王宮にはマキアの友人レイニアが王子の妻として迎えられ、子を出産していた。
実際は、囚われの身。王家の繁栄の為にイオルフの長寿の血が欲しかっただけ。
産まれた子は普通の子で、役立たず扱い。それ以前に、単なる子を産む“モノ”扱い。
勿論王子との間に愛情など微塵も欠片も無く、幸せも自由も無い。産んだ我が子にも会えない…。
そんな時、メザーテが古の力を頼った事が問題となり、隣国に攻め入られる事に。
その混乱の中、囚われてしまったマキア。
レイニアと、彼女を救出しようとするイオルフの青年クリム。
兵士として戦わなくてはならないエリアル。
各々の運命が交錯する…。
イオルフはつくづく悲劇の種族だ。
その不老長寿故狙われ、争いに巻き込まれ…。
不老長寿と言うと人類永遠の夢だが、それは時に呪縛にもなる。
種族が生きていく上で、ある掟が。それは、愛してはならない。
誰かを愛しても、相手は歳を取り、死に、残るは孤独と悲しみのみ。
でも、本当にそれだけだろうか…?
ネタバレだが、エリアルは幼馴染みの少女と出会い、子を授かる。子孫にも恵まれ、幸せな人生を送った。
これも全て、あの時マキアが、自分を拾い、育ててくれたから。
あの時マキアが自分を拾い、育ててくれてなかったら、エリアルの人生の全ての出会いも幸せも子孫も無かった。
何故、エリアルはマキアの子に…?
あの時マキアがどんな心情でエリアルを我が子として育てようと決意したか分からないが(孤独な者同士のシンパシー?)、そもそも理由なんて無い。
それは、親が子を、子が親を選べないのと一緒。
産まれ巡った縁で親子となる。
マキアとエリアルの場合は、出会いだ。
それを“運命”とも言えるが、だからこそその出会いは尊い。
だからこそ、理由なんて無いのだ。
ただひたすらの、親子としての、無償の愛情。
あなたが全てを与えてくれた。
喜びも、悲しみも、幸せも、愛し、愛する事も。
“別れの一族”と呼ばれるイオルフ。
悲しいだけの種族ではない。
出会いと別れ、愛の一族。
人と人の繋がりを丁寧に描く事に定評のある岡田磨里作品。
脚本作もいいが、これほどの手腕を見せられたら、次の監督作も期待せずにはいられない。