「終わりのはじまりとしての短い恋」ポルト 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
終わりのはじまりとしての短い恋
男と女の、ごく短い恋。映画は3つの章立てで構成されており、1章は男の名前「ジェイク」、2章目は女の名前「マティ」、そして3章目は二人の名前「ジェイクとマティ」と題されている。そしてそれぞれがまるで記憶をさかのぼるように時間を交錯させて描かれており、一つの短い恋の物語を何度も何度も反芻させて過ぎ去った恋に答えを探しているような感覚になる。ある時は別れを強く感じ、ある時は出会い思い返し、そしてある時は二人の蜜月の時を想う。しかしそれらはすべて「終わりのはじまり」でしかないことを観客もジェイクとマティ当人も知っている。同じ日、同じ時、同じ場所にいて、同じものを見ていても、男と女では思っていることも感じているものも少しずつすれ違う。その最初のすれ違いを、何度も蘇らせてはどうしてすれ違ってしまったのか?を問い直しているという風にも感じられた。
終わるために始まったみたいな恋だったし、終わりのはじまりで途切れてしまったような短い恋。恋の想い出なんて、自分以外のだれも気に留めないものだけど、それを映画にするのに一役も二役も買ったのがやっぱりポルトという街の魅力。とても美しくて素敵な街なんだけど、なぜか寂しさを感じるような空気がスクリーン越しに匂ってくるかのよう。製作総指揮にジム・ジャームッシュの名前を見つけて、なんだか妙に納得するような雰囲気を感じる作品だった。
アントン・イェルチェンは「今日、キミに会えたら」や「5時から7時の恋人カンケイ」など、不安定な短い恋物語との相性が良かった。今作ではちょっとした「ジュード・ロウ化」にびっくりしたものの、今となっては色っぽい美男子俳優を脱してクセのある性格俳優に成長したジュード・ロウの正当な後継者として、将来的に性格俳優的な演技もどんどん見せてくれそうな期待を感じていただけに、やっぱり彼の死はとても残念。仕方ないので、ジュード・ロウの後継はデイン・デハーンに託すことにしよう。注)頭髪との因果関係はありません