私はあなたのニグロではないのレビュー・感想・評価
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ハーレムから見たポップカルチャーの歪み
応援していた西部劇のヒーローが殺しているインディアンが自分だったことに気がついた時、という場面が印象に残っています。同じ国の中でずっとある差別の中で育つことがどういう事なのか心に迫りました。
I AM NOT YOUR WOMAN
映画やインタビュー、スピーチなどが引用され詩的な映画だった。ボールドウィンの言葉は力強く、ときに難解で一度観ただけでは深くは理解できなかった。ブラックアメリカンの歴史や事件に比較的関心を持ってきたつもりだったが、これは何を表象しているんだろう?と思う場面がしばしばあった。
映画の中の黒人表象については手厳しい。「手錠のままの脱獄」が黒人たちにはそんな風に解釈されていたのかと、リベラル白人の視点を内面化して観ていた自分自身に気づく。
黒人の子供が映画の中の白人ヒーローと自分が同じではないとある日気づく、と指摘する場面があるが、わたしも映画の中のヒーローに自分を重ねるとき、一度男性になり、それからヒーローになる。いつしか自分の人種、性が劣っているかのように思い込んでしまう。黒人のヒーローが活躍する「ブラックパンサー」の持つ革命的な意味と希望を改めて実感した。わたしにとってはフォースの覚醒。
「女性」バージョンも作れそうだ。
I AM NOT YOUR WOMAN.
ドロシーカウンツのことは初めて知った。立派な当時15歳。後ろであざ笑う男達もまだたくさん生きているんだ。
映画には女性も出てはくるが、その不在感からは黒人女性がさらに周縁化されていることにも気づかされる。
言葉を変えても差別はなくならない
アメリカで黒人が差別をなくすために戦ってきた軌跡をたどるドキュメンタリー
いきなり冒頭で映された昔のテレビの討論番組で
白人の司会者が「ニガーは」って言い出したところから始まったことにびっくりした
最近、あまり聞かなくなっていた言葉だったからだ
しかし、この映画を観ると
「ニガー」という言葉が使われなくなったのは、
白人が「差別していないこと」をアピールするために言葉を変えているだけで、
本質は何も変わっていないことがわかる
それをよく表しているのは、
この映画の中で「黒人の地位が向上した」
と宣言しているのは、いつも白人の政治家や学者たちであり
その宣言だって上から目線の
「してやった感」が溢れたもので
自分たちが心の広さをアピールするために言っているに過ぎない
では、本当に差別をなくすためにはどうしたらいいのか
白人が黒人をアフリカから奴隷としてアメリカに連れてきて、彼らをまるで物のように売買していた時から今までの歴史を白人が認めて受け入れ
「黒人初の」大統領というような「黒人の」という冠がなくなったとき
差別がなくなったと言えるのではと思った
それは例えば、黒人の学者に話しかける時
「あなたは、アメリカ人の学者です」
ではなく
「あなたアフリカ系アメリカ人の学者です」
と言ったら、それは言葉を変えているだけで「あなたはニガーです」と言っているのと同じ意味なのだ
彼らはその度に
「私はニガーではない」
と心の中で反発しているのだ
潜在意識がそこまで変わったとき、
恐らく白人が黒人に暴力をふるうことはなくなるだろうし
「黒人貧困層が暮らす地域」も無くなるだろう
しかし、全ての人々が、そのことに気づくまで
相当な時間がかかるだろうと思いながら、この映画を見終えた
そしてマーベル映画「ブラックパンサー」やホラー映画の「ゲット・アウト」が、どれだけ革新的で、そこにどれだけ彼らの思いが詰め込まれているのかが、よくわかった作品だった
これは「ブラックパンサー」の前に観たかったなぁーと、何度も思った作品だった
う~ん…。
ごめんなさい。
他の人が感動したほど、感動しませんでした。
過去の差別はわかった。黒人大統領が誕生したのもわかった。でも、今の差別は? もうないの?
そして、今のような状況になったのは、この3名+1名の努力なの?
それが、いまいちわからなかった。
『グローリー』でも黒人差別が描かれていた。しかし、あの当時のNASAが最も早く人種差別をなくしたのでは?と思わせる描写があった。
何が原動力だったんだろう?
私のように黒い夜
このサイトで検索すると、“ニグロ”という言葉がタイトルに入っている映画は、これ1本のみだ。“政治的に正し”くない単語なので当然なのだろうが、本作を見ればそもそも移民の国アメリカの歴史が、政治的にも倫理的にも正しくないことだらけなのがよくわかる。言葉同様、差別は潜在化しただけで、現在も依然として根強く残っているらしいことは昨今のニュースでも知るとおり。
この映画は、ジェイムズ・ボールドウィンの(文章からの)コメンタリーを案内役に、ニュースフィルムや映画の断片などを自在にコラージュして、その負の歴史を告発する。ドリス・デイ的なものと黒人差別を対峙させるのは、「サバービコン」の世界とも通じるものがある。
主張を続ける勇気
学生時代に「マルコムX自伝」を翻訳で読んだことがある。内容はもう覚えていないが、黒人の誇りと怒りが激しい言葉で書かれていた気がする。ボールドウィンは作家ということは知っていたが作品を読んだことはなかった。
アメリカは同調圧力の強い国だ。誰もが多数派に迎合し、異端を激しく糾弾する。アメリカ人のアイデンティティのありようは、個性を認めようというよりも、大勢で共生感を抱くことに重点があるように思える。その向かう方向は一定しておらず、レディガガに熱狂しているかと思えばトランプにも熱狂する。有名人の個性は認めるが、一般人の異端は許されない。糾弾や熱狂は大抵の場合とてもヒステリックで、論理性が欠如している。銃社会のアメリカでは少数派の意見の主導者は多数派のヒステリックな人間たちによって射殺される。犯人は決して捕まらない。
心配なのは、日本でも同じようなヒステリックな精神性が蔓延しつつあることだ。ヘイトスピーチをする人々は自分の不平不満のはけ口を弱者への憎悪に転化する。野党の国会議員に自衛隊の幹部が暴言を浴びせた事件は、文民統制が崩れて軍国主義の国に逆戻りする予兆に違いない。
これからの日本にマルコムXやマルティンルーサーキングが現われるだろうか。ボールドウィンのように恐れずに発言する作家が現われるだろうか。岸井成格さんが亡くなって骨のあるジャーナリストが消えつつある日本で、言論の自由が守られ、平和が存続できると思えない。他人の存在を許容し、多様性を認める寛容な精神がなければ民主主義は成立しえないのだ。アメリカがかろうじて民主主義国の体裁を保ち、オバマ大統領を誕生させた背景には勇気を持って主張を続けた人々がいたことを、改めて思い出させてくれるいい作品だった。
今のアメリカの政権下で、この映画が公開されたことに感心しました
たのしい娯楽映画ではありませんが、今の時代だからこそ、見るべき映画だと思いました。
自由と英雄をうたう世界にも、差別はあふれていて、市井的には『昔のこと』になりつつあっても、実際迫害を受けた者には現在も続いていて、さらに今は難民問題も重なって有色人種差別以外にも多くの迫害があるように思います。
日本でもたかだか数十年前にはアイヌの土人保護法や琉球、劣性遺伝子、障害と様々な差別と排除が行われていましたが、学校教育で教わらないので意外と知らない人も多いのではないでしょうか。
今のアメリカの政権下で、この映画が公開されたということに意味がある気がします。
つらいし苦しいし、苦い思いをしますが、今見てよかったと思いました。
黒人問題?
不倫、買春が、「女性問題」と言われる時に感じる違和感。女性が問題? 男は問題じゃないの?
ここでも「黒人問題」という言葉が出てきた。黒人が問題なのではないのにね。
不勉強でわからないこともたくさんあったが、自由の国の自由の中身を考えさせられた。
僕と並んで帰ると、君が危ないよ。
白人の同級生の女の子との帰り道。
「君は僕と一緒に帰るよりも、一人で帰った方が安全だよ。」
ハッとしました。
僕が黒人だから。
僕がゲイだから。
僕がエイズだから。
僕の出自が部落だから。
他にもいろいろ当てはまるな。
自分がいることによって、近しい人たちの身までも脅かされる。
だから差別ってよくないな。
差別の実態を突きつける言葉として、この映画の中ではサラッと流れたけれども、私は印象に残りました。
記録映画ですから…
公開はかなり先だが、一足早く試写で鑑賞した。
昨年来、米国の黒人に関係した映画を見てきてはいるが、本作の登場人物である、米作家で公民権運動家のジェームズ・ボールドウィン(ご本人も黒人、故人)なんてまったく知らなかったので、最初から最後までお勉強させてもらった感じの映画。
大戦後の米国で黒人が置かれた状況について知る足しにはなったが、それ以上の内容ではない。
よほど専門的に学びたいか、そもそもこの作家について興味がないと映画的見応えを感じるのは無理だろう。
事実を踏み台にした公開中の「デトロイト」でも★2つにとどめている批評子としても、それ以上は無理という話だ。
2月2日にNHKBSで放送されたドキュメンタリー「デトロイト暴動 真実を求めて」が遙かに、わかりやすく面白かったね。
海外放送局の作品ではなく、NHK制作のドキュメンタリーだったからね。
ああいう番組を作れてしまうのには、本当、NHKの金力を感じるわ。
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