「蝕まれた他在における自己認識」私はあなたのニグロではない critique_0102さんの映画レビュー(感想・評価)
蝕まれた他在における自己認識
I am not your Negros
一人称と二人称は交換可能ではない。代替不可能であるにもかかわらず、ひとは自己の狭隘な視点にのみ留まるから、二人称を一人称の代替物として、それも自らの「内にある」もっとも嫌悪すべき表象として、それを自らの「外に」投影させてしまう。
他者をつくりあげることは、いとも簡単だ。
自らの「自在」を、つまりはアイデンティティを、そんなものは自分ではどうしようもないものでもあるはずなのに、それに固執しようとして自らとは異なる「外在」を必要としてしまう。わざわざ外部を構成してしまうのだ。そしてその外在が、自らの内在を反映したことに気づかない。
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