ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリスのレビュー・感想・評価
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公共施設としての意義と葛藤
紙か電子か、ベストセラーか研究図書か。
市民とコミュニケーションをとる場としての価値。
誰もが知識と情報にアクセス権利を持っているけれど"誰も"が多様化し、アクセスする方法が沢山ある今、公共図書館として何をするべきか、淡々と図書館の様子や図書館員の議論が繰り返される。
公共だからこそ今数字に表れるものだけではなく、いつか価値あるものになるような本も遺す必要があるのではないか?でも予算をとるためには目に見える数字もほしい...苦悩と葛藤の話
情報へのアクセスする場の提供としてwifiの貸出までしているのは驚いた。
中・高校生達に観て欲しい。見識が広まります。
普通のドキュメンタリーにあるナレーションや解説が皆無で、構成されているのに、とても面白い。
図書館内での、講演や演奏会や会議などの様子の映像をコンパクトに挿入する事で、様々な話題や問題を提起して分かりやすい。
色々な講義で知る言葉は、メモしたいぐらいに勉強になります。
もちろん、字幕の方を読む事による情報量は、普通の映画と比べても3倍近くあるので、大変だが。
しかし、ニューヨークの図書館の役割の広さは、結構凄い。
本の所蔵閲覧以外の活動で就職斡旋やネット環境レンタルなどやっているのは、結構な驚き。
高校生ぐらいの時に、この映画を見せると見識が広がると思います。
フレデリック・ワイズマン監督の映画は、初だが見せ方が流石に上手い。
公共図書館のあり方を考えさせるドキュメント
アメリカのニューヨーク公共図書館のエクス・リブスの内部ドキュメントは大変興味深かった。私は公共図書館は自分か知りたかった事を調べ見つけた時の喜びの場だと思っているがアメリカの公共図書館は日本以上の感動があると再認識させられた。図書館だけでなく、作家を呼んでのトークや講演、読書会などイベントが盛りだくさん。IT講座やダンス教室など驚く事ばかり。しかし、デジタル化の現実に取り組むスタッフの姿勢も見えて興味深いドキュメントだった。アメリカの公共図書館エクス・リブスのような図書館が日本にあればいいのだが。いいドキュメントだが監督の癖なのかもしれないがこの点はマイナス0.5減点。言論の自由が危うくなってきた今の日本で改めてこのドキュメントで言論の自由とは何か考えさせられた。日本の図書館運営が余計心配。
その多様性に驚かされたが、映画としては散漫な印象を受けた…
はっきり言って、エピソードの羅列なのだ。監督は、このエピソードの次はあのエピソードとこだわって編集したそうだが、私にはブツ切れの話がつながっているだけに思えた。それに残念だったのが、字幕。説明的過ぎてはいけないと思う。しかし、何がなんだかさっぱりわからなかった。観終わった後にプログラムを熟読してやっと、あぁそうだったんだと納得した始末。1回観ただけでどれだけの観客がこの映画を理解できるのだろうか? かなり疑問だ。例えば、リチャード・ドーキンスと言われてもピンと来ないが、「利己的な遺伝子」の著者と言われれば、あーあの人かと思える。エルビス・コステロにもスーパーが欲しかった。その他、館長とか、主任司書とかもっとわかりやすくしてほしかった。アメリカでは図書館に日本でいう公民館的役割も求められているのだろうか? そんなことを観ていて思った。私が一番気に入ったエピソードは、手話通訳が、独立宣言を怒りと懇願で訳すシーン。手話でもそんなことができるとは… 興味深かった。
図書館を超越した図書館
もうこの図書館は普通の人が思う「図書館」という言葉の枠をはるかに超えているのだけれども、カルチャーセンター、ではなくあくまでも図書館。
多種多様な人間が様々な目的で集う場所。
本を読む、ネットに繋がる、過去の新聞で調べ物をする、仕事を探す、有名無名の人間の講演を聴く、ライブを見る…「図書館」の可能性ってどこまで広げられるのだろう。
サービスを提供する側、される側が活発に交流し、ただの飾り物ではない意味のあるものにしようという心意気。
日本人はテンション低いしだいたい自宅でググって済んじゃうからか、こんなふうになる気は全くしないのだけど、しかし図書館運営だけに関わらずいろんな方面で刺激を与えてやる気を起こしてくれる勢いのあるドキュメンタリー。
普段関わりのないトピックの各種講演やポエトリー・リーディングも結構丸々見られるので、お得感あり。長いけど…。
正しく抗うために
世界中の図書館員の憧れ、というニューヨーク公共図書館。撮る行程それ自体がリサーチという撮影スタイルのため事前取材は無し。でも決して無秩序ではなく、取材で深まるワイズマンの図書館への興味を追体験するようで長尺も飽きない。(もちろん順撮り編集じゃないだろうからそう感じさせる構成が巧みなのだ)
「世界で最も有名な図書館」、有名な理由は単に蔵書量ではない。例えばある利用者が(公民権運動)について知りたければニーズをヒアリングして多角的に図書を勧めてたり、文学作品に対する討論会を開いたり、黒人の歴史認識が教科書に正しく記載されていない問題を話し合ったり…と「対話による知識の共有の場」を図書館が提供している点にある。言い換えればそこは、誰かの思惑が一方的に決めた概念を疑い、「選ぶための知識」を豊かに提供してくれる場なのだ。ニューヨーク(アメリカ)ってほとんど興味無かったけど、映画からアメリカの「民主主義」への誇りを感じ行ってみたくなった。そこでは個が意見を戦わせ、対話を恐れない。
それにこれがとても印象的だったんだけど、映画に出て来る市井の人たちみんなとても話が上手い。自分の考えを分かってもらえるようにどう話すか、日頃からそういう場があるからなのか。岡本社長とはえらい違いだなぁと思いながら見てた。別に岡本社長が話下手というわけではなくきちんと伝えたい核をもって対話に臨んでたか、その違いなんだろうけど。
奇しくも映画完成の2日後にトランプが大統領になったというこの映画。ワイズマンは「ニューヨーク公共図書館は、多様性、機会均等、教育といったトランプが忌み嫌っているものすべてを象徴する存在だ。」と語る。
この映画は単に有名図書館を紹介する映画ではない。民主主義とは何かを知り、民主主義の世界を生きるための映画だ。
まぁ3時間半と、長い事は長いんですけど…
それこそ図書と講演を20個くらい
溢れる知。好奇心。
インターミッション有とはいえ205分、この映像を観るのは非常な集中力が必要だ。
ニューヨーク公共図書館の講演と、風景と、内部の会議と、外の風景を淡々と映し出すスタイルで、説明も全くなく突然カットが飛ぶ。
そのため、かなりの知識がないと多分全てを楽しみきることができない。私も何について話しているのかさっぱり分からず、自分の知識不足を嘆くシーンがいくつかあった。
それでも、圧倒されるのはその知の殿堂としての図書館のあり方。単に本を所蔵するだけではない役割。調べものから歴史の記録、障害者に対する提供。図書館の幅広さを堪能できる。
本を借りるか勉強するくらいしか図書館に行ったことがなかったが、これを観ればまず知というものに興味がわき、そして図書館に行ってみたくなるはずだ。
ブレイク・ライブラリー
図書館についてのドキュメンタリーだが、いきなりリチャード・ドーキンスが「若い地球説」を唱えるファンダメンタリストを揶揄する痛快なシーンから始まる。エルヴィス・コステロのサッチャリズム批判にしろ、黒人奴隷について書かれた教科書の不見識にしろ、それぞれの内容は興味深いのだが、全編のうちこういった講演会などのイベントがかなりの時間を占めている。一部をつまんでコラージュするのではなく、結構な尺をとって紹介していく。フレデリック・ワイズマンの映画は初見だが、なるほど上映時間が長くなるわけだと合点がいった。
この図書館は、「ゴーストバスターズ」の冒頭ポルターガイスト現象で目録カードが乱れ飛ぶシーンでお目にかかって以来だが、当時とはすっかり様変わりしたようだ。とにかく利用者が皆デスクトップかノートパソコンかスマートフォンか、いずれにせよディスプレイを見ている。そういう時代なのだと言えばそうなのだろうが、隔世の感がある。紙の本とデジタルコンテンツの相克は、映画の中の会議でも言及されていたが、結構悩ましい問題なのだろう(ちなみに、日本なら図書館内の会議は撮影させないだろうな)。
ニューヨーク市は人口も多いとは言え、地域別と主題別の分館含めて90館以上、所蔵6000万点というのは桁違いだ。書籍以外の資料も多いのだろう。テーマ別の画像ファイルというのも(手間が大変だが)便利そうだ。スタッフもかなりの数が要るだろうし、日本のように公立中心だと、行政の理解を得て予算措置するのはなかなか難しいかもしれない。カーネギー氏のような篤志家が現われないものか。
追記:“シュミレーション”の字幕は残念だった。
アメリカ社会を俯瞰するようなスケール感
フレデリック・ワイズマン!そしてこれは傑作。
ニューヨーク公共図書館(NYPL)……そこで行われていること、そこで働く人たちの思い、知識、スキル、そしてそこを訪れる人たちの表情を丹念に拾う。知らないことだらけだった。図書館の多様性と存在意義を知った。
何よりそこで講演を行う著名人たちの話が貴重過ぎる。彼らが言わんとすることを時間を惜しまずじっくりと聞かせる。時空を超えてトリップした。
それにしても何という編集!これらすべてが綴られ一つの塊となり、ワイズマンそのものとなった。これぞ映画のマジック!
アメリカの近代史、人種問題、格差社会、教育問題、その他、雑多な内容に触れ……てかNYPLを通してアメリカの社会そのもの、その過去、現在、そして未来までを俯瞰しようとするワイズマンの企み、そしてそれを可能にするNYPLのポテンシャルの高さに圧倒される。
いや〜〜名古屋シネマテークの最前列の座椅子という劣悪な環境での205分、体は悲鳴をあげたが、満たされた気持ちになった。どれだけ教えられたことだろう。
いつも通りのワイズマン
淡々と撮られた映像だけど、どの順番で出していくかでメッセージ性が出てくるね。
資金調達や、ベストセラーと収集すべき本のどちらを優先するかとか、考えること一杯あるなと思った。
あと人種差別は根が深いんだとも。
単純に、図書館って色んなことやってるんだなあって観てても面白かった。
議論のシーンが多かったんだけど、印象に残ったのは一人一人の話が長いこと。「何をウダウダしゃべってんねん」と思うぐらいみんな長い。そして、そこに誰も割って入らない。
短いやり取りで、話を往復させて詰めていくんじゃなくて、一人ひとりがミニプレゼンのように順番に意見を述べていくやり方なのかな。
あとアメリカ人はストレートにはっきり言うイメージが強かったけど、みんな結構気を遣ってる。
そしてこちらはイメージ通りだけど、決してネガティブな話し方をしない。
そういう議論のクセみたいのが、面白かったよ。
凡人にはきつい
長い。とにかく長い。でも、寝ない。
興味深いが長すぎる
あとワンカットあれば
長い、長すぎ。
面白いのはいいとして、映画終わったら腰フラフラはいかがなものかと。
鑑賞後、西漸運動が盛んだったころのセツルメント活動がそのまま生き残っていたの感あり。
ただ、まだやっていたのか、というより未来永劫続けていきそうな気配には、もう脱帽する以外なし、です。
またドーキンス・ミーム卿を冒頭にもってきたのは、NYPLは住民のQOL支援だけではなく、知見の拡大再生産の拠点であることも示唆しているのかと。
そうだとすると、映像的にもの足りない点が一つ。
研究図書館機能については理工系分野での活動ぶりを入れてほしかった。
NYPL知のサイクル、その全体像をみたかった。
Inclusive Community
一番好きだったところは、私の個人的な思想とこの図書館のミッションが同じだということでとても共感が持てたところ。
2019年のニューヨークの市の公立図書館の現状とこれから先の展望と課題という面でこのドキュメンターリーは作られている。いくつか気に入ったこととこれから考慮点すべき点について個人的な意見を書きたい。あくまでも個人の感想。
Inclusive Community (多種多様な人々のコミュニティー)という観点で、人々は平等で、それぞれのニーズに合わせて、図書館が運営されているということは素晴らしい。たとえば、身障者(点字)ホームレス、英語ができない人、移民のコミュニティー、など。それに、各界の講師陣は音楽、詩、政治 などの生涯勉強の場。そのほかに、テクノロジー、無料の放課後のプログラム、宿題ができる場所、仕事をするためにスキルを磨く場、黒人の文化のリサーチのセンターや観光客の受け入れや演劇/舞台の場や。赤ちゃんが泣いていても締め出さない寛大さもある。利用者との対話も怠らず、利用者はなにが必要かに耳を傾ける姿勢がある。
将来の課題とゴールについても幹部は話し合っているが、それは各図書館からのリサーチや意見をベースにしている。それを取り締まり役会議に持っていっている。
ヨーロッパ人の女性の言葉で図書館というのは本があるだけ場所ではない(本の倉庫)。もっと、コミュニーティーに入っていき、利用者にとっての生涯教育の場だと。十何年か前、ヨーロッパでは図書館はもういらないという人々がいたけど、図書館は人々に投資する場だと。最低の目的として、community engagement (社会貢献) を挙げて、図書館は寝るところではなくものごとを探求するところ。ポジティブな将来展望として、inclusive City を考えている。
これからの課題ではE-Books (電子本)の貸し出しが300%に増えて、需要が高まっているが、Physical books (紙でできている本)とのバランスを考えている。でも、一番力を入れたいのか family Literacy (家族が本をよめるようにすること)。特に、学校に上がる前の子供の英語での読書に力を入れたいと。
どこでも図書館はリベラルなところでなければならないが、この図書館の幹部はほとんどが白人で成り立っている。特に中心人物の何人かは白人男性。取締役会議はほとんど白人が占めている。ニューヨークは多種多様な人々が住んでいる。公立の図書館はその縮図であるべきだ。そして、不思議なのは黒人男性は黒人の社会や歴史についてだけを話しているのを映している。もし、このことが広範囲にわたり現実ならば、もっと黒人の図書館の幹部やボードを雇うべきだ。不幸にもアジア系の幹部はいなかったように(?)思えるが。チャイナタウンを抱えているのに、アジア系の存在は皆無に等しい。まだまだ、リベラルとはいうがこれからだと思った。
NY公共図書館の在り方について
評価は、他の方に任せます。
作品上映時間が、2時間以上で途中休憩を挟むという、わたしにとっては異例の長さの作品、というかドキュメンタリーであった。一番驚いたのは、日米においての「図書館」の在り方の違いである。色んな分館の館内の説明がなされていたが、それぞれの分館が、千差万別に特色が違っている。日本では、児童館のようなところ。ではあるが、アメリカの図書館は一つの小劇場みたいで、市民の生活と非常に密着している。さらに、常に進化し続けている。ざっとあげれば、点字・読書会・著者との作品についての語り合い・プログラミング教室・ライブ等々。パソコンを貸すという場面もあった。(「わたしは、ダニエル・ブレイク」(17’)の作品中にもあった。)日本の永田町の国会図書館にも、点字図書館はあったかな?アメリカという国の大きさからしてもあまり蔵書の多さには驚く。黒人文化機関というカテゴリがあるのも興味深い。作品中に議論になった各図書館とのネットワークによる繋がり。このことについては、日本でもあらゆる図書館とのネットワークによる繋がりは、今後重要視されるべき課題である。本の形態も電子本の取り扱いについての議論もされている。さらに、「創作物」を大変貴重に扱っていることを見逃してはならない。今後の図書館の運営については、白熱した議論展開であった。何よりも、この公共図書館の素晴らしい所は、誰でも利用できるということ。
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