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「ユダヤ人キリスト教の神の再解釈。」マザー! rockoさんの映画レビュー(感想・評価)
ユダヤ人キリスト教の神の再解釈。
私本人も男性で、制作活動をしています。初めの感想は、ハビエル・バルデムがまるで自分を見ているようだということです。制作前に悩みぬいて、作品ができたらハイになって、嫁に見せて、でも人々の名声には興味津々。しかもその栄光もつかの間、また初めに戻って新たな制作の開始。結局は女性のなかにある「自然」からインスピレーションを得て、それを作品に解釈して人に見せることで、名声を横取り。
多くの人が言うように、旧約聖書における神がハビエルであるのは間違いないと思います。そしてジェニファーが、自然そのものなのではないでしょうか。人間を救うために自然を犠牲にして搾取し続けて、愚かな人間を寛容に受け止め、産めよ増やせよとやってきて、キリスト誕生と死、それでも人間の愚行は収まらず、戦争に明け暮れ、最後には崩壊。しかしまた初めに戻る。神の寛容さも人間の側からすれば素晴らしいものだけれども、自然にとってみたらいい迷惑で、じつは神も人間の賞賛が目当て。そういう歪んだ世界がストーリーに凝縮されている気がします。
自然にとっては、人間そのものが悪、人間の自分本位な愛も悪、ヒューマニズムも悪、それに加担し、名声を得るキリスト教の神も悪、そういうメッセージを感じます。そんなこんなで、最近人間至上主義に疑問を持っています。
ミッドサマーというホラー映画で、とある宗教コミュニティが、ある年齢に達したメンバーを殺したり、外部の人間を次々と殺していましたが、それがホラーになってしまうのは、私たちがキリスト教的価値観にすでに影響されているからとも取れます。人間の死を闇雲にタブー視することが、世界の均衡を破り、ひいては自分たち自身の首を絞めることになるということなのかなとも思います。
先に書いた通り、ハビエルの行動が、なぜかそれが芸術家の制作プロセスにそっくりです。私も嫁の冷たい目線を感じながら、工房にこもり、名声を望んだ時期もありました。最近はそういう制作スタイルに疑問を感じ、別な方法で作っています。
非常に考えさせられる作品でした。