禅と骨のレビュー・感想・評価
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事実は小説より奇なり
いやはや、回想シーンのドラマ仕立て、これはもうドキュメンタリーの概念を超えている、実話好きのクリント・イーストウッド監督に観せたい位のハイブリッド映画の秀作です。
混血の青い目の禅僧と言うことだけでも奇異ですが彼の人生が実に数奇、太平洋戦争を挟んでいる時代背景も一因ですが図抜けているのは主人公ヘンリ・ミトワさんの行動力、時に自分本位にも映りますが心の中では引きずっているようで実に人間臭い。
話が進むにつれ見えてくる実像、禅僧とは名ばかりの趣味人で稀代のひとたらし、本作の風変りなのは偉人、聖人の伝記風を装いながら綺麗ごとより生の人間性、家族関係など辛辣さも隠さないところ、ドキュメンタリーに音楽は無用とされていますが童謡「赤い靴」でしんみりさせたりオリジナルからクラシック、歌謡曲まで実に効果的、エンドロールのクレージー剣さんの「骨まで愛して」には痺れました。
(以下ネタバレ・あらすじ)
ヘンリ・ミトワさんは大正7年、映画配給会社のドイツ系アメリカ人と新橋の芸者の子として横浜に生まれ22歳で父を頼って単身渡米、時はまさに太平洋戦争の真っただ中、日系人は危険分子と見做され収容所に入れられた。
収容所というと刑務所のようなイメージだが病院や学校も併設されており、閉じた街のよう、結婚もし、子も出来た生活とは摩訶不思議。
戦後米国で電機メーカーに勤め、妻はピアノを教えてそこそこ満ち足りた暮らしぶりだったようだが、42歳で日本に単身帰国、米国で裏千家の茶道のセレモニーを手伝った縁で後の家元(15代)を頼ったのであろう。
その後家族を日本に呼び京都で暮らすことになる。禅道の海外紹介としてバイリンガルが重用されたのか京都・嵐山「天龍寺」の僧侶にまで登りつめる。ところがどっこい禅僧とは名ばかり中身はこの上ない俗人で趣味三昧、映画「動天(91年)」に通訳を兼ねて出演したことがきっかけで映画に目覚め自身で菊池寛のノンフィクション小説「赤い靴はいてた女の子 (1979年)」の映画化に奔走し始めます。(菊池寛氏は文豪ではなく同姓同名の北海道テレビの記者さんです)
その相談に乗ったプロデューサーの松永賢治さんが赤い靴よりミトワさんの自伝の方が映画向き、先ずはそっちを作って話題と資金稼ぎにしたらどうだろう?と言い出して本作が立ち上がったそうだ、本作の構成・監督の中村高寛さんは短編アニメ「ヘンリの赤い靴」の方の制作も務めています。
赤い靴に執着したのは日本に残した母への慕情、レクイエムでもあったのでしょう。
映画は完成するも観ることなく93才で逝去、夢半ばと言え大往生だったでしょう。
茶禅一味
かなり毛色の変わったドキュメンタリー作品。アニメも差し込んであるし、回想ドラマ部分もある。俳優も有名な人が出演されているし、なかなか凝っている。そして音楽もシッカリと作り込んだ作品である。撮影期間も8年という時間を費やしていて濃密なショットを撮っているであろう。
ただ、何故だろう、少しも重みを感じられない。主人公の方は確かに魅力的ではあるだろうし、何より手先が器用だ。だから色々な興味をきちんと形にしている実績はある。しかもその人生は波乱に満ちているし、その出自の複雑さ故、降りかかる災難も半端ではない。でも・・・である。それは、この人の洒脱さという聞こえの良い表面の影にある、『自分勝手』という迷惑が常に纏わり付いていることに起因するのではないだろうか?まぁ家族は確かに死ぬ迄振り回され続け、結局残った遺産はガラクタばかり。その家族の複雑な思いをそのまま観覧している自分も共有してしまう。最後のシーンである、巨大観音像を横浜港に置いているCGに全てが集約されている。別に『赤い靴』にもそこまで思い入れもある訳でもなく、この人のモチベーション、エモーション、そしてマスターベーションでのみで人生を過ごした、特異な人という位置づけから離れられない。だから自分にとってカタルシスも得られないし、付け離したような感覚をずっと保ってしまうのである。共感もないし敬意もない。『おもしろおかしく生きてきてさぞ、よかったろうね』と、嫌みの一つでもかけてやりたくなる程の苛立ちさを感じた鑑賞後であった。もしかしたらもっと時間が経てば観方も変わるのだろうか?・・・
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