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戦時下でのロマンス、ロミオとジュリエットのようなロマンス作品だと思い込んでいたので、恋愛描写の薄さがすごく気になったし、リリー・ジェームズのお尻しか見所のない作品かもしれないと不安になった序盤だった。
しかし物語の本質が見えてきてからは徐々に面白くなっていく。
ドイツ最後の皇帝ヴィルヘルム2世の屋敷で繰り広げられるタヌキとタヌキの化かし合い、そこに大タヌキが現れて、というストーリーにニーチェの著作の内容を盛り込んでいる。
原題の意味は「例外」で、字幕の翻訳では「異端」となっていた。これも重要なので先に書いておく。
作品内に登場する「善悪の彼岸」は読んでもいないし詳しくもないがちょっと調べたところによると、既存の価値観に疑問を抱き、キリスト教の教えである隣人愛ではなく、自分の利益よりも未来の利益である遠人愛を説いているらしい。
皇帝、ブラント大尉、ミーカだけではなく登場人物の多くが、立場や目的のために腹の探り合いを展開していく。
自分のより良い未来のためであるが、ヒムラーの登場でちっぽけな探り合いなど無意味だと気付き始める。
皇帝夫人は大尉とミーカの情事にあれだけ憤慨していたにもかかわらず、ヒムラーが部屋に娼婦を呼んでいることに文句を言うどころか便宜を図ってもらおうと金まで渡す。権力者ヒムラーに夫人が屈服した瞬間でもある。
そのあとの夕食会の場面でヒムラーは、現在の価値観では到底容認できないような、ナチス政権下の価値観を飄々と語り、ユダヤ人を愛したブラント大尉、片腕が不自由な皇帝が、自分たちは異端であると気付く。
そして、明日は早いからと席を立つヒムラー。夕食会の終わりは一番立場の上の者が決めるもので、本来であれば皇帝がその立場なのだが、今やドイツの常識であるナチ党ナンバー2の彼は、当然自分が最上位の立場であるかように振る舞う。それに対し元皇帝は逆らえなかった。
その場にいた誰もがナチ党に屈服した瞬間なのである。
物語の時代の常識であるナチ党の価値観に疑問を感じながらも屈せざるを得なかったブラント大尉と皇帝は、自分中心の隣人愛からニーチェの唱える遠人愛へと変わることになる。
自分のためではなく、ナチスの価値観に異を唱えながら遠い未来のためにミーカの脱出を手引きするのだ。
そしてその行動は、ミーカのお腹の子という未来を作った。
常識が正義かどうかは価値観しだいなのだなとニーチェに感心すると同時に、キリスト教の常識に切り込んだニーチェは異端なんだろうなと思った。