おクジラさま ふたつの正義の物語
劇場公開日:2017年9月9日
解説
「ハーブ&ドロシー」の佐々木芽生監督が、捕鯨問題で世界的論争に巻き込まれた小さな漁師町を通し、歴史、宗教、イデオロギー、自分と相容れない他者との共存は可能なのかを探っていくドキュメンタリー。紀伊半島南端に位置する和歌山県太地町は、イルカの追い込み漁を糾弾した映画「ザ・コーヴ」がアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞したことで世界的論争に巻き込まれた。シーシェパードを中心とした世界中の活動家たちから集中非難の的となった、400年の歴史に裏付けられた「くじらの町」としての誇り。太地町を訪れた佐々木監督は、「捕鯨を守りたい日本人とそれを許さない外国人」という単純な対立ではない、多種多様な意見をカメラに捉えていく。
2016年製作/97分/G/日本・アメリカ合作
原題:A Whale of a Tale
配給:エレファントハウス
スタッフ・キャスト
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題にあるように、現代戦争とは生存のため等ではなく、およそ、「正義」と「正義」の闘いである。
「正義 vs 正義」は、ある視点に立つと 「正義 vs 悪」であるために、戦争の大義名分となる。
2009年に発表されたザ・コーヴは、「正義 vs 悪」を描き出した映画だった。
そこを「正義 vs 正義」に戻そうという試みが、この映画と理解した。
そして、それは同時に、「悪 vs 悪」でもあるというメッセ―ジでもあった。
観ていくと、どちらの立場にも、「もっとできることがあるのではないか?」と思わされる。
活動家が価値の押しつけをしてくるのと同じように、太地町の人々(や日本人全般)もまた、外から伝統に口出しされることを拒否することは正義であると意固地になっている姿が映された。
太地町に過度に肩入れせず、比較的ニュートラルに撮れている映画だと感じた。
* 以下は極めて個人的な意見です。
人が不愉快に感じるものなんて文化や宗教によって異なるし、家庭環境といったサイズでも異なる。
すべての人が承諾できることしかできないのであれば何もできないし、お互いに尊重するべきなのではないか。
まったくもって、一理ある。
ただ、太地町が伝統・文化を捨ててもいのではないか?と私は映画を観て感じた。
その理由は…
1. 生きる術としてのクジラ(太地ではイルカもクジラと呼ぶ)漁の価値の低下
他に産業のない太地町においてクジラ漁は、生きるための術として400年前にはじまったという。
しかし、「生きるため」の価値はかなり低下した。
クジラ肉は安全懸念(水銀含有)もあり、味も よくない上に、国際批判にさらされ、マーケット価値が劇的に低下( イルカ 一頭の食肉としての価格はこの20年で40~50万円 -> 1.2万円。 日本国民の平均消費量は40g/年 )している。
また、 世界動物園水族館協会(WAZA) からの制裁により、イルカを水族館に売ることも難しくなっている。
生きるためにはじめた伝統であれば、不要になった時点で新しい伝統を作りだす方向に舵をとってもよいのではないだろうか。
クジラに頼って生きるという方向性をある程度残した上でも。
世界の注目を浴びた町ということを逆手にとって事業をしやすくなっているだろうし、その方法を例えばシーシェパードと協力して模索する方向に歩み寄ってもよかったのではないか。
2. 世界家族化
グローバリゼーション行き詰まりが顕在化しつつある現在ではあるが、世界が狭くなり、世界家族化しつつある中、世界の多くの人が不愉快に感じることは避けられるなら避けてもよいのではないかと一方で思う。
クジラ漁に関しては、前述のように価値の低下が著しく、避けられる部類の文化になっているのではと感じる。
2018年7月22日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
こういう事は多い。
話し合っても噛み合わない。互いの主張を述べあって相手に同意を求めるだけではダメだ。
相手が何故にそう主張するのか?
どんな歴史や経験があるのか?
クジラやマグロは食べずにチキンを食べるというのは、本当に正しい事なのか、環境を守る事なのか。
クジラやイルカを食べるのは間違った事なのか?
平行線を曲げる技はなかったが、平行線のままでの対立や犯罪者呼ばわりにも未来はない。
2017年10月30日
iPhoneアプリから投稿
まったくの期待外れ。登場人物に対する掘り下げがほぼゼロ、ちょっと行って通り一遍の話きいた映像繋げただけ。
そもそも監督がこの町の問題を深く知りたいという意思が感じられない。町の人との信頼関係もなさそうで、その部分はすべて元AP記者で町に移住したアメリカ人ジャーナリストに頼っている。ドキュメンタリーの基本がなっていない。NHK特集のトレースアニメなんかは論外。このアメリカ人記者に撮らせたほうが、はるかによかっただろう。
2017年10月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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サブタイトルに「ふたつの正義」という文字が使われているが、太地町の漁師からすればクジラやイルカを取るのは正義でもなんでもないだろう。
ただの伝統と生きる糧、それに尽きる。
監督は佐々木芽生、意識しないで観ていたが、実は彼女の前作に当たる『ハーブ&ドロシー』『ハーブ&ドロシー2』をともに観ていることに後から気付いた。
ニューヨーク在住の世界的に有名な現代アートコレクターの老夫婦の生活を追った素晴らしいドキュメンタリー映画であった。
筆者が小学生の頃はまだクジラの漁獲量が大幅に制限されていなかったため時々学校給食にクジラのステーキが出ていたし、当たり前のように魚屋にも鯨肉が置いてあったので食卓にのぼる時もあった。
漁獲量が制限され始めてから段々に見かけなくなりいつの間にか見なくなった。
筆者個人としてはクジラのステーキは固くてそれほど美味しくなかった印象がある。(クジラの刺身は美味しいと思う)
とはいえ国際的な取り決めでいざ食べられくなると寂しく感じたし、小学生ながらどうして日本のやることに一々文句を付けるのかと憤慨していた。
もう今から10年近く前になるだろうか、熊野古道へ家族旅行に行った際に一日雇ったタクシーの女性運転手が太地町の出身だったため、薦められるままに太地町の大衆食堂に寄ってクジラ料理に舌鼓を打ったことがある。
小学生の時の記憶とは違ってやはり地元で美味しい料理方法を知っているせいかかなり美味しかった。
その折にクジラと言ってもイルカの肉だということを運転手さんから教えてもらった。
筆者は北京留学中に犬もサソリも羽化しかけの鶏の卵もなんでもござれで食べていたので、イルカを食べていることには全く抵抗はなかったが、事実を知った母の箸はやはり止まった。
おそらく大半の日本人もイルカを食べることへは抵抗を感じるかもしれず、これだけは太地町の人々は慣れているとしか言いようがない。
その後やはり運転手さんから薦められてくじら博物館にも足を運び、展示物から捕鯨の歴史を学び、水槽ごしに腹びれイルカの「はるか」と戯れ、最後は観客に凄まじく水しぶきを浴びせるシャチやイルカの芸を観て館を後にした。
それが2009年に『コーヴ』という映画がアカデミー賞を受賞してさらに国際世論が厳しくなった。
筆者はまたか!としか思わなかったし、内容を聞いて『コーヴ』を観てもどうせ胸糞悪くなるだけだろうと思っていまだ観てはいない。
2015年には『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』という反論映画も制作されているがこちらも未視聴だ。
満を持して本作を観たことになる。
監督は話し合って何とか落としどころがないかを探っているように感じられたが、結論から言うとそれは無駄である。
特にシーシェパードのような環境テロリストには反撃して来ない日本は格好のターゲットなだけである。
まず断言できるが、もし日本が捕鯨をやめたとしても次はマグロを捕るな!などと新たな難癖を付けてくるに決まっている。
それに話し合いで解決するなら北朝鮮問題など今頃とっくに解決している。
シーシェパードは申し訳程度に一度だけ捕鯨しているノルウェー船を攻撃したことがある。
しかし白人は白人の対処方法を良く心得ているもので、代表のポール・ワトソンを捉えて報復としてきっちり半殺しにした。
これ以降彼らはノルウェー船を襲わなくなった。
日本の調査捕鯨で漁獲するクジラは年間500頭だが、実は韓国ではたまたま勝手に網に引っかかったという理由で年間2000頭(多い年は2700頭)も捕獲している。
ただ韓国人も激しい性格だから半殺しぐらいは平気でされると思ってかシーシェパードは全く手出ししない。
攻撃したら下手すると殺されるかもしれないロシアは言わずもがなである。
筆者も北京留学中各地を一人旅したので実感しているが、人をよく脅す人間は逆に脅し返されることや毅然とした態度に弱い。
実際に手を出すかは別にしてやられたらやり返す精神は絶対に必要である。
本作に登場するシーシェパードの一員が捕鯨を黒人奴隷制度に喩えて伝統でも我々は間違っていればやめたと豪語していたが、昭和時代まで銃でアボリジニ狩りをしていたオーストリア人がどの口で言うのかとわが目を疑った。
さすがにアメリカもインディアンの捕鯨を妨害する彼らの横暴ぶりを庇いきれなくなったのかついに彼らを「海賊」に認定し、本作でも描かれているように日本での活動もできなくなりつつある。
カナダでは毎年アザラシの赤ちゃんを棍棒で叩き殺して商業用に皮を剥いでいる。多い時は2日で15万頭も採るらしい。
しかもあまり生死は確認しないから生きたまま皮を剥ぐことも多く、剥いだ肉を食べるわけでもない。YouTubeで見られるが目をそむけたくなる映像である。
肉から何から全てを無駄にしない日本の捕鯨とは大違いなのだが、こちらは国際的に非難されていない。
おいおいどんなダブルスタンダードだよ!と筆者は突っ込みを入れている次第だが、このアザラシ猟を妨害したとしてシーシェパードはカナダでの活動も制限されつつある。
またワトソンがすでに声明を出しているが南極海の日本の調査捕鯨を今後は妨害しないらしい。
理由は軍事級の高い衛星技術を用いて日本船が彼らを回避するようになったことと、マスコミでは「共謀罪」と忌み嫌われたテロ等準備罪の成立により資金調達が難しくなったかららしいが、国際指名手配されているワトソンの身柄引き渡しを潜伏中のフランスに日本が求めているので案外そういったことにただビビっているだけかもしれない。(フランスは要求を無視している)
本作によると黒人奴隷うんぬんを豪語した父と「恥を知れ!」と太地町の漁師を詰っていた娘も金の切れ目が縁の切れ目なのかシーシェパードを脱退している。
オーストラリアでは増え過ぎたクジラを狙ってサメが港湾に入ってくることでかえって人間が襲われる事例が増えている。
さすがに一種族だけを保護する愚かさに気付き始めるかもしれない。
本作の最後に太地町の町長がイルカやクジラの研究施設を作りたいと構想を語っていたが賛成である。
イルカを豚や牛のように家畜化できるようになれば論理的には欧米の身勝手な難癖をはねのけられる。
品種改良して太地町ブランドのイルカ肉として売り出す斜め上の戦略も手である。
本作で映される太地町の港はまるでCG顔負けの美しさである。そんな港が活用されるのはなんだかワクワクする。
遠からずシーシェパードはどうでもいい存在になりそうだが、本丸を突き崩すのはまだまだ先になりそうだ。