「クライマックスにがっかり。」パーフェクト・レボリューション Hiroyukiさんの映画レビュー(感想・評価)
クライマックスにがっかり。
1.なぜ、ラストでクマはミツを乗せたまま、車いすのまま降り階段に突っ込んで行ったのか?単純に考えれば、それは二人の死を意味する。
少なくともミツは、その直前まで、二人が別々になっても精一杯生きようとしていたのに、クマは自死に彼女を道連れにすることになる。
この場面は「奇跡を起こす」ということの比喩なのだろうか。エンドロールの後に二人で暮らす映像が流れることを期待したが、それはなく、何とも苦々しくやるせない気分で映画館を出た。
先のことは、観客の想像に任せるというのなら、もっと別なエンディングの仕方があったと思う。いずれにしても、無責任と呼ばざるを得ないだろう。
障害の有無にかかわらず自死を選ぶことを否定はしないが、この死は誰をも幸せにはしないだろう。直前にミツを逃がした晶子・恵理夫婦の行動は犯罪に過ぎず、彼らもまた報われないだろう。
このような残酷で、かつ深みの感じられない(かなり安易な発想)シーンをラストに持ってこざるを得なかった本作品には、「やはり障害者同士は愛しあえない」というメッセージを暗に見せられたようで、幻滅感すら覚える。
晶子・恵理夫婦の行動もまた安直でリアリティの欠片もない。彼らを動かした衝動がいかに生じたのか十分な説明がないまま、罪悪感すら感じられない。障害者自身の思いを支援するヒーロー気取りだ。エンターテイメントとしても成り立つとは思えない。
僕は、主人公二人が死んだ後、彼らが逮捕される場面すら想像した。
ミツが入院しその1年後の再会の場所も、不自然に感じられた。ホテルのロビーだろうか。通常であれば、病院内だろうと思う。医師または看護師、ソーシャルワーカー等医療関係者の立会いの下での再会が、通常であろう。
黒づくめのまるで秘密結社のガードマンのような男たちの立ち合い、これもナンセンスだ。通常であれば、行政職員が普段の仕事姿であろう。
2.クマのモデルが活動家・熊篠慶彦だったとしても、クマの講演の場面をあれほど表に出す必要があったのだろうか。彼の講演を聞きたいのではない、彼の生きざまが見たかったのだ。講演内容は、きわめて薄く、そこに感銘を受けることはなかった。障害者の生きざまや性を描くなら、講演という形で言葉で説明するのではなく、講演の準備や、投稿したとしたとされる動画の撮影シーンなどを盛り込んでほしかった。
物語の結末は、主人公クマの言動を否定することにも通じる。
場面の途中、車いすからクマが落ちる場面があったが、あのような障害状況であれば、通常、安全用のベルトを装着しているはずだ。
リリー・フランキーや清野菜名の名演を称賛するものの、ストリーの展開やディテールにリアリティ感がなく、後味の悪い映画だった。見なければよかったと思う。
僕はラストの「飛べ」と言うセリフに感動を受けました。
2人なら出来る。未来を変えられる。いや変えてやる。そんな色々な想いがあって、自分を変えたいからこそ飛んだのだと思いました。
それを観た私も、勇気を貰いました。
色々な意見があると思いますが、私はこの映画に出会えて良かったです。
逐一同感です。
話の締めが雑すぎて悲しくなりました。
自殺行為同然、そんな終わり方ないですよね。
オープニングの音楽とかすごくよかったのに、丁寧な描き方は無理心中のシーンまででした。
接触禁止した当の本人たちがなぜ二人を逃がす?
何だそりゃとついていけなくなった頃に、余貴美子がスタンガンで強盗まがいの行動に出たところで苦笑してしまいました。
製作費が足りなくなったとか、尺が長くなりすぎたとか、何か事情があったとしか思えません。
なかなか扱われない設定で、主役の二人の名演が光るだけに、勿体ないと溜め息が出ました。