「二人の歩調、希美の表情、鳥の羽ばたき」リズと青い鳥 カミツレさんの映画レビュー(感想・評価)
二人の歩調、希美の表情、鳥の羽ばたき
よくレビューで「映像が美しい」という表現を目にしますが、ほとんどの場合、それだけでは映画は面白くなりません。5分程度のPVならまだしも、2時間近くもある映画(本作の上映時間は1時間半ですが)では、ただきれいなだけの映像を見せられ続けてもすぐに飽きてしまいます。
しかし、この『リズと青い鳥』は映画としてちゃんと面白いです。大きな事件が起こるわけでもなく、物語の舞台が学校の外へと出ていくことのない、小さな物語であるにもかかわらず、なぜ面白いのでしょうか。
それは端的に言うと、映像に多くの情報が含まれているからです。情報には、言葉で代わりに表現することができるものもありますが、登場人物の心情や物語の主題など、簡単に言葉で置き換えることのできない、あるいは、言葉にすると陳腐になってしまうものがあります。
本作では、それを徹底的に映像(そこには音も含まれる)で語りきるという挑戦がなされています。登場人物の表情や仕草。セリフの言葉自体よりも、その言い方や声のトーン。歩き方やその足音、そして楽器を演奏する音。さらには、メタファーとしての鳥の影、鳥が羽ばたく表現……などなど。あらゆる映像表現を駆使して、主に希美とみぞれの心情、二人の関係性を描いているのです。
私は二度劇場に足を運びましたが、二回目の鑑賞時には以下の三つの点に注目しました。
➀希美とみぞれがいっしょに歩く場面
➁中盤から終盤にかけての希美の表情
➂鳥の影、鳥が羽ばたく表現
本作では徹底して学校の中だけで物語が進んでいきます。それぞれの家庭の描写や、休日の場面は一切ありません(プールに遊びに行く話は出てきても、その場面は描かれない)。象徴的なのが、希美とみぞれが登校する場面から物語が始まり、下校する場面で物語が終わることです。
この冒頭の場面と最後の場面とを比較すると、二人の変化を見て取ることができます。初めみぞれは、希美の後ろについて足並みを揃えるように歩いていますが、最後では、みぞれが希美の前を歩いて学校を出ています。二人の歩調も微妙にずれていて、それぞれ自分のペースで歩いているように見えます。みぞれと希美それぞれの変化、あるいは二人の関係性の変化を、二人の歩き方や足音だけで表現しているのです。
物語終盤で、これまで「みぞれ=リズ、希美=青い鳥」だと思っていた構図が反転し、実は「みぞれ=青い鳥、希美=リズ」であることが分かりますが、映像を注意深く見ていくと、それを仄めかす表現が散りばめられていることに気が付きます。
分かりやすいのは、物語中盤から終盤にかけての希美の表情です。希美はみぞれと比べて表情が豊かですが、内心何を思っているか、何を考えているかはよく分かりません。感情表現がストレートな分、よっぽどみぞれの方が分かりやすいぐらいです。しかし、「希美=リズ」という前提で彼女の表情を見ると、不安を押し隠したようなその表情が、自分の元から青い鳥が飛び立っていくことをおそれるリズそのものだということが分かります。
初見時には、希美がなぜ「私も音大に行く」と言い出したのかがよく分かりませんでしたが、これも、自分の元からみぞれが離れていくことをおそれる気持ちから出た発言だと考えれば腑に落ちます。
「みぞれ=青い鳥」であることを仄めかす表現も実はちゃんとあります。それは、鳥の影や、鳥が羽ばたく表現です。初見時はただなんとなく「この映画、鳥が羽ばたくカットがやたらと多いな」と思っていたのですが、どんな時に鳥が羽ばたくカットが差し挟まれているかを見ていくと、あることに気が付きました。鳥が羽ばたく表現の前後には、みぞれが同じパートの下級生と交流を深める場面が必ずと言っていいほど来ているのです。
つまり、鳥が羽ばたく表現は、みぞれ(=青い鳥)が希美(=リズ)の元を離れて自立しようとしている姿を象徴しています。その最たるものが、クライマックスの演奏シーンです。このシーンの直前には無数の鳥が羽ばたくカットがあり、演奏シーンの合間にもインクで表現された青い鳥が羽ばたくカットがくり返し挿入されています。これは、青い鳥であるみぞれが希美の元を飛び立つ決定的瞬間であることを象徴しているのです。
本作では童話『リズと青い鳥』が作中作として出てきますが、ただ童話の中のリズと青い鳥の関係性が希美とみぞれの関係性に重なるだけでなく、途中でその構図が反転するところや、童話の結末を自分たちなりに解釈し、青い鳥がリズの元から羽ばたいていくことを、ハッピーエンドとして捉え直そうとしているところが面白いなと思いました。
映画のラストに“disjoint”という言葉が出てきます。これは数学用語での「互いに素」という意味の他、「離れる」「バラバラになる」といった意味を表す言葉です。この“disjoint”の“dis”が消されて“joint”となる表現は、手を離すこと=別離ではなく、かえってつながりが強くなる、ということを象徴しているのではないでしょうか(私は、愛着理論における「安全基地」の概念を思い起こしました)。「飛び立った青い鳥は、リズに会いたくなったらまた会いに来ればいい」のです。
みぞれと希美の二人が一歩成長する瞬間を、色んな角度から暗示しつつ見守るように描いた作品でした。
総集編二作の石原監督と小川監督がパンフレットのインタビューで「山田さんの演出にはいつも注目している。最先端のセンスだから」とうんうん頷いてる部分も納得の演出力です。