「人は誰もが伊藤くん(またはドラマのB面としての映画)」伊藤くん A to E バラージさんの映画レビュー(感想・評価)
人は誰もが伊藤くん(またはドラマのB面としての映画)
なるほどね~、こう来たかぁ、さすが廣木隆一監督、という感じ。テレビドラマ版(および原作)とは視点を変えて同じ話の表と裏、あるいはA面とB面という物語に仕立ててきた。なのでまずドラマのほうを観てからでないと映画を観てもあまり意味はない(他のドラマの劇場版でも同様ではあるが、この映画の場合は特に)。映画について語るためには、まずドラマ版『伊藤くん A to E』について語る必要があるだろう。
ドラマ版は、数年前に大ヒットドラマを手がけたがその後はスランプに陥り書けなくなった落ち目の独身アラサー女性脚本家(E・木村文乃)を狂言まわしに、彼女が開いた恋愛相談イベントに来た4人の女性(A・佐々木希、B・志田未来、C・池田エライザ、D・夏帆)の悩みの種がいずれも「伊藤」というクズのような男だったことから始まる物語。原作はA~Eが順に書かれた連作短編だが、ドラマは4人の女性の語る相談内容を脚本家が頭の中で再現する形で進行していく。見知らぬ伊藤に身の回りの男性(プロデューサー、後輩脚本家、ヒット作の主演男優)を当てはめ、その再現の中に脚本家自身も観察者として登場しツッコミを入れるなど凝った構成になっている。
伊藤と5年も付き合いながら性的関係に到らず恋人扱いもされないA、恋愛に興味がないのに伊藤にストーカーまがいの行為をされるB、男とすぐ寝るが関係が長く続かず、伊藤との恋がうまくいきそうな親友から寝取ってしまうC、その親友でずっと伊藤に片想いしながら処女の重さゆえにフラれるDがそれぞれの主人公。復活するための新作のネタになると踏んだ脚本家は心の中で「この馬鹿女ども」と毒づきながら自らの脚本のネタになるように彼女たちをけしかける。だがやがてそれぞれの伊藤が全員同一人物だとわかり(原作では名字が同じだけの別の男)、しかもそれが脚本家主催のドラマ研究会の生徒(岡田将生)だったことが判明。以前から口先だけの薄っぺらい男と伊藤を内心軽蔑していた脚本家だが、やがて彼女自身も伊藤によって追いつめられ傷つけられて、自らも目を背けてきた過去の傷と向き合うことになる……。
AからEの女たちはそれぞれ伊藤というクズ男に傷つけられズタボロにされるが、彼と決別することによって自らの人生を覆っていた闇から抜け出し、新たな世界への一歩を踏み出していく。伊藤との出会いがなければそれもなかったわけで、そう考えると伊藤は(彼自身は決してそれを意図していたわけではないものの)単純に悪とも言いがたい複雑なキャラクターであり、一種のトリックスターとも言えるかもしれない。その伊藤のトリックスター性は、視点や方向性の異なる映画版でも別な形で表れる。
ドラマはオムニバス的な4つのストーリーが見事に絡み合っていく構成が上手い。CMで廣木隆一が監督と知り観てみたんだが、期待にたがわぬ出来だった(正確には廣木は1~2話(Aの話)の監督と全体の総監督)。5人の女優陣がいずれも素晴らしく、プロデューサー役の田中圭、後輩脚本家役の中村倫也、Bの親友役の山下リオなども好演。やはり役者が上手いと話に引き込まれる。女性たちが闇から抜け出していく形で話が終わっていくのも良い。
そしてここからが映画版の話。当初からドラマと映画がほぼ同時進行のメディアミックスとして製作され、ドラマ版では伊藤の正体がなかなか明らかにならず、脚本家(木村文乃)の頭の中の想像で周囲の男を当てはめた形で話が展開していくという、ちょっとミステリー要素を含んだ作品だった。主演は木村文乃で、伊藤を演じる岡田将生は終盤まで登場しなかったが、映画ではドラマ版で使っていたようなギミックを排し、同じ話でありながら最初から伊藤を主人公としたストレートな物語となっている(岡田と木村のダブル主演)。
ドラマでは実質的主人公はA~Eの5人の女性たちだったが、映画ではEの木村文乃以外は後景に退き、あくまでも伊藤の物語になっているのが興味深い。ドラマの伊藤は同一人物でありながらA、B、C、Dが上手く1人の人物像にまとまらない多重人格的というか悪魔的な、一種の非リアルなトリックスター的人物像として描かれていた。それに対して映画では同じ話にも関わらず見事に1人の人物像に集約された、よりリアルな人間としての伊藤が描かれている(岡田将生、好演!)。ドラマは4人の女性の話を脚本家が脳内再生した伊藤で、映画の伊藤がそのままの実像とも言え、ドラマでは複数の役者が演じ、映画では岡田1人が演じているのも明らかにそれが狙いの1つだと思われる。
映画を観て意外だったのは、伊藤はドラマ同様の痛男ではあるもののドラマに比べると全面的なクズには描かれていないこと。むしろ場面によっては「伊藤、意外といいやつじゃん」というシーンすらある(原作の柚木麻子もパンフに寄せたコメントで「驚いた」と語っていた)。その一方で劇中の伊藤を観ていて、自分にも伊藤に似てる部分があると気付かされる場面が所々にあり、胸に刺さるというか何とも形容しがたい不快感を感じないわけにはいかなかった。そういう意味でも深く感じ入らずにはいられない映画だった。
終盤の伊藤と脚本家が自らの考えをぶつけ合うシーンは圧巻で、伊藤の語る「リングに上がらない。戦わない。だから負けない」という人生指針にはちょっと説得されそうになった。彼には彼なりの哲学があったわけで、映画はまさに「伊藤くんの物語」だったのだ。伊藤もダメ男なら彼に引っかかる女たちもダメ女。ドラマ・映画ともに出てくる人みんなダメというのは、廣木監督の『さよなら歌舞伎町』と同じで、雰囲気がよく似てる。人間なんて結局はみんなダメなやつじゃないのか? 結局人間は大なり小なりみんな伊藤くんなのだ。廣木監督はそう言いたいんじゃないかと感じた。映画を観て自分も伊藤に重なる部分があると感じた僕としてはそう思いたい。