ブラック・ビューティー(2016)のレビュー・感想・評価
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ブラックとはなにか
売れている女優ベスと売れていない女優アンナが郊外で休暇を過ごす。
ストーリーをもっていくための性格とはいえリアルでもあった。
アンナは偏狭だが自分に無自覚、ベスは鈍感だが潜在的な優越意識をもっていた。
アンナは破綻しており過ちを犯すのは明らかだったが、ベスの戦略的愚直が割れて、逆鱗にふれるのも明らかだった。
芸道の虚栄世界が脚本に反映されていた。
Imdbは5.6。RottenTomatoesは90%と52%。
一般は伸びないが批評家がほめる玄人好みの映画になっている。
アンナがぶちぎれてベスに襲いかかるが、そこからホラーになってしまわないところに節度があったし、B級を回避してもいた。それを批評家はほめたが、一般は物足りなさを感じた──という評点構成になった、と思われる。
いい脚本だが結末に尻切れトンボを感じた。なんとなくシレっと終わってしまった。
原題はAlways Shine。
いつも輝いていたい──という虚栄心を表わしたタイトルだがブラックビューティーという妙ちくりんな邦題をつけられた。
このブラックは悪を意味している。腹黒とか暗黒とかブラック企業のように悪を黒を使って表現することがあることは誰でも知っている。がしかし洋画に使うと変なことになる。ブラックパンサーとは言ってもブラックリトルマーメイドと言ったら袋だたきに遭うだろう。
前にJust Mercy(2020)が「黒い司法0%からの奇跡」という邦題をつけられた。
黒人が差別される映画なのに黒が悪として使われたのだった。このあほさをどう伝えたらいいかわからないが要するに邦題というものは配給元のあたおかがえいっとか言ってつけるものなのだ。
本作もなぜAlways Shineがブラックビューティーになるのか解らないし映画を見たらなおさら解らない。言うまでもないが外国映画の邦題は権元の自由な遊び場になっちゃっているわけである。
こういったことをじぶんのような無名過疎レビュアーが言ったところで馬耳念仏だが、もし有色人種の外国人団体が指摘したら配給元は謝罪したり変更しなきゃいけなくなるんじゃなかろうか。
あほ邦題を見るたびにひきつけをおこす俺としちゃぜひそうなってほしいと思っている。
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