「蜃気楼」検察側の罪人 しゅうへいさんの映画レビュー(感想・評価)
蜃気楼
レンタルDVDで鑑賞。
原作は未読。
最上(木村拓哉)の正義の暴走―「それはもはや私怨ではないのか?」と云う感想はさておき、正義の意味は個々の価値観や事情によって如何様にも変化してしまう、蜃気楼のように掴みどころの無い幻みたいなものなんだな、と…
行き過ぎた正義が悪であるならば、最上は完全に罪人となりますが、そこに彼なりの信念が絡んで来るから一筋縄ではいかない。確かに、検事である前に人としての一線を越えてしまった時点でアウトなのかもしれませんが、確固たる自信を持って「間違っている!」と言えそうにありません。
松倉(酒向芳)は23年前の女子中学生殺人事件の犯人で、少年時代には一家を皆殺しにしているクズ中のクズ。例え冤罪だとしても死刑にしてやりたいと云う考えが湧くのは分からないでもない。しかし、私情を挟んでしまっては途端に公正とは言えなくなるし、それこそ「検事である意味が無い」。考えれば考えるほどジレンマに陥ってしまいました。
沖野(二宮和也)自身も最上イズムを継承しようとしていましたが、今回の件で迷宮に入り込んでしまいました。信じていたものが蜃気楼のようなものであり、いとも簡単に変容してしまうものならば、いったい何を道標にすれば良いのか。それでも尚、彼は真実の追及を続けるのか?
原作ではどうか知りませんが、ところどころに戦争と云うキーワードが見え隠れしていて、それらが挿入される意味を考えることに多くの気を取られてしまいました。
インパール作戦。白骨街道。戦争への動き。…これらのワードが出て来る度に無理矢理戦争にこじつけようとしている風にしか思えず、本筋が見失われないかと不安になりました。
戦争は決して繰り返してはならない行為。インパール作戦の悲劇を象徴する白骨街道の示す凄惨さ。最上のセリフにもあるように、それから地続きで今の世の中が存在している。
平和は束の間だと言うかのように、静寂が不意に破られるかもしれない状況が現出しているのは紛れも無い事実です。
一国の元首が個人主義に走る歴史の流れにおいて、如何に正義の指針を見失わないでいられるか。見失った時、悲劇が再び繰り返されるのではないか、と云うことを主張したかったのかな、と…。風呂敷を広げ過ぎた感は否めず、それを語るなら別の物語の方が相応しかったのではないかなと思いました。
※修正(2024/06/24)