米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジローのレビュー・感想・評価
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リーダーのカリスマ性
大きな権力や組織に立ち向かい、民衆を扇動するには強いリーダーシップが必要だったり、またそのリーダーシップを持つには、カリスマ性が必要だったり、闇雲に反抗分子として存在するのではなく、強い信念を持ち、異を唱えるだけの知識も必要でしょう。
だが、このカメジローからは人びとを惹きつけるカリスマ性や人望も感じなかった。自分の受け止めかたが貧弱だからか、少なくともこの映画から、カメジローの魅力は伝わらなかった。
ただ、この飄々とした風貌からは想像もつかない不屈の精神はどこから湧いてくるのか、カメジローという人物にとても興味を持った。
不屈
本日映画館で観て来ました。
幾度となく繰り返される米軍や財政界からの弾圧にもひょこっと立ち上がるカメジロー。まさしく不屈の男。愛する沖縄を守る為に闘い続ける姿に武者震いしまた彼の人柄に涙が溢れました。
●沖縄のしなやかさ。
タイトルとは裏腹に、カメジローさんは なんだか愛くるしい。本人映像に会場から笑みがこぼれる。カメジローさんの不屈は、強固というよりしなやかだ。何度アメリカに潰されても、ひょっこり起き上がる。
ここに沖縄の強さがあると思う。
明るい日差し。青い海。陽気な音楽。でも、その笑顔の裏側には不屈の魂がある。その礎をつくったひと。「この瀬長ひとりが叫んだならば」と民心をひとつにする。
ひどい地上戦を経験して、’72年までアメリカの統治下で、基地は治外法権で。沖縄は今も戦っている。現在も続くその戦いの様が映像に映し出され、涙が止まらなかった。
アメリカの理不尽に立ち上がった男。いや、立ち上がらなかった男。あの写真には震えたわ。強烈だ。惚れるわこりゃ男でも。こんな風に生きたいもんだ。
ポツダム宣言の感動を共有する
権力は必ず腐敗する。民主主義が保たれるためには政治権力の交代が必須である。民衆は強権に確執を醸すことを忘れてはならない。
しかし強権は屡々警察その他の暴力装置を用いて反権力の人々を弾圧する。時に名声を貶め、時に拘束して拷問する。強権に対峙し声を上げて反対するためには、死をも覚悟した上でなければならなかった。
沖縄における米軍は、暴力装置そのものである。戦後間もなくから現在に至るまで、無辜の沖縄の人々を無残に殺してきた。多くの女性や子供が海兵隊に強かん(映画.comではかんの漢字が使えない)され暴行されている。
圧倒的な暴力に対して、反対の声を上げることは勇気のいることだ。夜の闇に紛れて米兵を暗殺する方がまだ簡単かもしれない。衆人の見守る中で正々堂々と米軍を否定する亀次郎は、沖縄人の勇気の象徴であり、拠るべき砦であった。
亀次郎の強さは暴力をものともせず主張すべきことを主張する精神力にある。明治以来の富国強兵のパラダイムの中で育った彼にとって、ポツダム宣言の次の文言は衝撃的であった。
宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
民主主義を知らなかった人間にとって、何を信じても何を考えてもいい、何を言っても書いてもいい、人間にはその権利があるという考え方は、新鮮そのものだ。そこには自由と人権がある。暴力に屈せず、暴力によることなく、自由と人権を手に入れる。スパルタカスの昔から人間に根源的に宿る思いだ。ポツダム宣言の文言に触れた亀次郎の感動は、現在の我々も共有する感動である。
国家主義に負けず、組織の大義名分に負けず、友達グループの掟にも負けず、自由と人権を主張しなければならない。友達から無視されても、村八分になっても、会社を馘になっても、逮捕され絞首台に向かうことになっても、なお主張しなければならないのだ。
亀次郎は沖縄の自由と人権を死ぬまで主張し続ける本物の強さを持っていた。暴力が彼を拘束し貶めても屈することなく立ち上がり続けた。我々も同じ強さを持つことができるだろうか。特定秘密保護法と共謀罪が自由と人権を封じようとしている現在、亀次郎が生きていたらどう行動するだろうか。
返還と残留
評価は、他の方に任せます。
ドキュメンタリーとは、真実の記録である。そこに嘘があってはならない。映画という
媒体でドキュメンタリー作品を制作するのは非常に難しいものと思われる。一民放の一
アナウンサーが制作するのはかなりの挑戦である。皆が多少知っている人物であれば、
それも何となくどんな人物であったが、多少の予想はつく。しかし先の戦争で、日本が
どこの国と戦ったのか。そして日本は敗けたのか勝ったのかどうかも判らない人間にとっては、「瀬長亀次郎」という人間の存在にスポットを当てても何のことやら?????
監督自身の亀次郎という存在を伝えたいというのであれば彼が残した『叫び』、それを
知ってもらいたいという監督の『情熱』がもっともっと、もっとスクリーンから伝わって
くれたら良いなと思いました。そこがいまひとつだったのが、残念でならない。
ドキュメンタリーは、ナレーションが中心で、そのナレーションにあまり抑揚がない。
今回の作品では、過去の亀次郎の写真を要所要所に起用をしているため、睡魔との戦いで
苦痛であった。ナレーションに山根氏を起用したのは良かったが、NHKにおいては『映像
の世紀』、民放においては『半沢直樹』で上手く活用されてはいたが、今回それをうまく
活用されてはいなかったように思われる。
しかし、佐藤栄作と亀次郎とのやり取りの場面は、緊迫感があり良かった。しかし、この
場面は監督自身が培った編集力ではないように思われる。
これからの沖縄は本土復帰したが、未だ米軍基地残留という難問に対峙する人物、亀次郎
に次ぐ「不屈」の精神で米軍から恐れられる人物は現れるのだろうか。北朝鮮が騒がしい
昨今、米軍基地はどうなるのだろう。という将来への不安は、やはり残る。
※題名については『その名は~』要らないと思う。
重くないがスパッと斬られた
沖縄と戦争というと沖縄戦の方が数多く取り上げられてきたが、この映画は戦後の沖縄の苦難をテーマとしている。戦後の苦難というと私達の祖父母の代は一様に味わったと教えられてきたが、沖縄の人たちが耐え忍んだそれは、我々の祖父母たちが耐え忍んだものとは全く別次元だということを知らされた。日本本土を占領したGHQの目的は、日本の民主化であったのに対し沖縄を占領したアメリカ軍の目的はアメリカの世界戦略達成のための沖縄統治であった、そのため沖縄の人々はさながら植民地支配を受けていたこと、平和憲法を制定し高度経済成長を謳歌した本土と狂った軍国主義の下米軍を巻き込んだ捨て石作戦を強いられ、それによって米軍による軍政下に長く置かれた沖縄、両者の戦後史の決定的相違を私達は認識しなければならない。最後に、衆議院議員となった亀次郎が佐藤首相に「日本国憲法の恩恵に浴していない地域があることを認識しているか」と問いただすシーンがあるが、個人の意思に反して軍用地を半永久的に提供させられている人々を放置し続けることは、不正義この上ないことなのだということを強く感じた。
戦後沖縄の原点を見た
今に続く「不屈」。何かがある度に立ち上がる沖縄の人達の原点を見た。感動した。終演後に会場に拍手が。
主題とは離れるが、国会(特別委員会)での質疑応答の場面。瀬長議員の質問・意見に対して、佐藤栄作総理(当時)は、政府がどう考えているか、なぜ瀬長議員に同調できないかを、キチンと答えている。議論が成り立っている。これが本来であり、当たり前の姿。いつから見られなくなったのだろう。
沖縄を知るには、歴史を正しく知ること
映画観ていると、これが戦後直後の話なのか?今と変わらない、むしろ、治安維持法のように、今言論弾圧が始まっているのではとおもうくらい。先人達の苦労にずーと涙ぐんでいました。私は50代なので、当時の事は父からのまた聞きでしかしりません。点での知識が、この映画をみて、線でわかりました。
ドキュメンタリーだけどドラマよりドラマチック
戦後から現在にいたるまでの、
日本とアメリカ、そして沖縄と日本の複雑な関係。
基地に反対する沖縄の人々。
そうした現在を含む歴史のエッセンスを、唯一無二の政治家である瀬長亀次郎の一生を通して学ぶことが出来た。
人間にとって、戦争暴力に晒されない日常がいかに尊いか、そうした日常を取り戻すこと、守ることを諦めない=不屈であることがいかに尊いかをひしひしと感じた。
激動の戦後沖縄を肌で感じることが出来る映画。
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