あゝ、荒野 後篇のレビュー・感想・評価
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泣かされました。
荒野と言うより霧の中!!
前編のラストからひたすら延長している感じで、ドラマのインパクトは前編より薄いと思います。ボクシング試合も特に面白い訳ではなく、セックスシーンと同じくただ眺める感じです。ダブル主人公ですが、どちらの内容もスッキリせず、菅田将暉の持ち味で辛うじて成り立っている映画だと思います。芳子よりもう一人の子のおっぱいの方が良いと思います。前編にあった、取って付けたような社会問題の描写もほぼ無くなっているので、より特徴はなくなってしまっています。
死と生のバランス
変態だ。
明日はどっちだ?
人には言えないわだかまりがある者は、どこに行ってもはみ出し者扱いを受ける。何かと口実をつけては挑まれる。理不尽さは度肝を抜かれるほど醜悪だし異臭を放つ。重い蓋が必要になり、気が付けば自分の力でその蓋を開けられなくなってしまっている。なぜなら正しいと信じ切ってしまうからだ。自殺防止運動を企てる学生たちの登場はこの映画には欠かすことができない。
この映画はどんな卑劣な、世間一般的での話だけれど、愚劣で滑稽だとしても生きていかなければ意味がないだろう???
そんなことをこの映画は問いかけているからだ。人と人はつながりを求めていながらも相手を拒絶し続けるからだ。誰も周囲の人間の期待通りに行動できない。でも、行動してしまってくよくよしてしまう。人に意思という行動するためのエネルギーが存在しているのだから仕方がないのだ。
繋がるために殴る奴と、それを拒むために殴る奴。
コミュニケーションなんだろう。言葉以外での方法なのだろう。
明らかに矛盾に満ちた若者の感性はすれ違う。
それは必然なのだろう。
繋がりあいたいと願うこと、そしてももがくことが生きると言うことなのだ。
正常も異常も、そこにありはしない。
あるのは、肉体だけなのだから。
この映画に人生の答えを見つけようなんて、そんな甘い考えは捨てた方が身のためだ。
いやいや、良さが全くわからん、
ラストが寂しくて切ない
残念ながら…最低!
俳優陣の頑張りは本当に素晴らしいと思う。
でも、それが台無しになるくらいに内容がヒドすぎて、もう最悪、最低。怒りが込み上げてくる。
まず、良かったトコロ。
主役の2人(菅田将暉、ヤン・イクチュン)の演技と身体作りは本当にすごい。特に菅田将暉の減量とその結果で見せる筋の浮き上がった筋肉は、ホレボレするほど。
木下あかりと他2人の脱ぎっぷりも素晴らしい。ただ、私は木下あかりをカワイイとは思わなかったけどね(笑)
で、悪かったトコロ。
1.自殺サークルの件、要らない。ノイズすぎる。本編との関わりは?
2.東日本大地震、福島の件、要らない。ノイズすぎる。
3.健二の親父(モロ師岡)が、マジで要らない。何がしたいの?目が見えなくなった?って、知らんがなッ! ツベコベ言わず、病院行けよ!
4.バリカン健二に恋する妊婦。この人の行動も意味不明すぎる。なんで好きになったん?もう、自殺サークルとの接点を持たせるために、無理矢理の設定にしか見えない。ゲンナリする。
5.木村多江が、息子のシンジと再会したとき、「ゴメンナサイ」の言葉がない。また、その後も謝る気配がない上に、無かったことにしようとしつつ、関係修復をしようとしている。
…悪い所は挙げていればキリがないほど。
1.2.は、描くのを否定をしているのではなく、描き方が下手すぎるから、こんな表現しかできないなら描かない方がマシ、と思う。自殺・福島が記号的すぎて、「気にしてますよ。この映画って社会派でしょ?」とアピールしているように見えてしまう。
せっかく、『ボクシング×命×魂の叫び』みたいなテーマで面白そうな題材なのに、すごく勿体無い事になっていて、とても残念。
あと、5.が一番腹立たしい!親は子供を捨てて解放されたのかもしれないけど、子供はどれだけの絶望感を味わったことか。子供(弱者)の苦しみを理解しない親だからこそ、ラストシーンであんな最低なセリフが出てくる。…という理屈は分かるが、それならそういったキャラに『それなりの落とし前』をつけれ終わらせるのが、映画ってもんだろう?って思う。そこも描かないって、この映画は何を伝えたいんだ?
一気観
前編・後編の一気観。キネカ大森ありがとう。
荒野だ、場末的な環境とボクシングは昔からマッチする組み合わせだ。
単なる希望ではなく、ボクシングをすることが人生の他のことよりも楽しいという時点で場末だ。
いや、楽しいという表現ではあっていないな。ほかのことより、ましだって感じかな。
ボクシングでのあしあがろうという気持ちでもなく、ましだからやる。だからこそ、環境が悪くなれば悪くなるほどのめりこめる、そういう意味で貧乏なほど強くなる。
自殺防止クラブの活動は何だったのだろうか。寺山修二の脚本なので、60年代がわからないとのめりこめにくい。
結果として、この話はなんだったのだろう。ボクシングやれば人とつながれるという話? つながりすぎて、愛しすぎて死んじゃったという話? 終了のゴングが鳴った後の殴り合いの意味は何?
もしかして、そこはカタルシスを感じるべきところだったの? 俺には、ボクシングという競技を冒涜しているとしか思えなかったけれど。
それとも日本という最低の国の中でも俺たちは戦っているんだということを、ボクシングと反戦活動を重ね合わせて作者の心情を伝えたかったということ? わからん。
舞台は、かなり誇張したくらいでないと伝わらないと思うが、それをそのまま映画に持ってくると極端すぎる気がする。「ライチ光クラブ」を観たときにも感じた感覚。
よくできていただけに、本当にラストは残念だった。やりすぎだと思います。それこそが寺山修辞的世界なのかもしれないが。
ボクシングファンの俺には「百円の恋」のほうが向いていたようだ。
熱くぶつかり合う2人
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