彼女の人生は間違いじゃないのレビュー・感想・評価
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脱ぐスタイルではないが 実際は あんなもんでしょ 顔も綺麗で 痩せ...
鍵盤
重いテーマだが映画としては評価しがたい
福島で公務員をしながら週末に渋谷でデリヘル嬢をしている女性を描いた映画。と思っていたら、意外と周りの人たちも含めて描いた群像劇になっていた。
福島の現状を伝えたいって気持ちに溢れてて、それなりに考えさせられた。でも、ドキュメンタリーじゃなくてストーリーのある映画にする必要あったのかなと思ってしまう。日常を撮ってる雰囲気にしたかったのかもしれないが、ワンカメラでダラダラ撮影したシーンが多すぎた。それなのに、主人公がデリヘル始めた理由とか、彼氏と別れた経緯とか、犬を飼い始めた動機とか説明不足のまま進められて戸惑ってしまう。
デリヘルで本番したのかもどうか分かりづらかった。したのならしたとわかる表現にしてほしい。あれではどっちかわからずモヤモヤする。
何でこんなに応援したくなるのか。
もっとリアリティがあれば
いい部分
柄本時生の演技
特にスナックで女子大生からインタビューされているシーンはよかった。僕らの福島に対する見解が等身大で描かれていた。きっとあのような意図しない悪意ってありふれていて自分もやっているんだろうなとハッとさせられる。
光石研の演技
難しい設定でありながら、人間性を上手に表現していたと思う。パチンコの台を譲るところはグッときた。そのあとニイちゃんの呼びかけに手を振るところもいい。ギャンブルは切るが、人との縁は切らないというところが、キャラクターを立たせている。
テーマの着目
福島という難しいテーマだが、震災から5年経った現状をリアルに描いていると思った。
悪い部分
長い。日本映画にありがちな何が起こるわけでもないシーンを淡々と描いてその人間性を表現した気にさせるという描写が多すぎる。90分に、まとめて欲しい。
セリフ
元彼と初めて語り合うところとか、本気で言ってんのか?と寒気がした。詩を読んでいるかのようなセリフはこの映画にはそぐわない。もっとリアリティが欲しい。
中途半端な伏線多すぎ
この伏線いる?みたいなやつが多すぎる。もっも絞って人間性を掘り下げて欲しかった。トイレで会うあの子とは何かあると思っていたのに残念。元彼とのホテルのとこも中途半端やなーと思った。高良健吾はよかった。
いいとこはあるけどやっぱ日本映画らしいだらっとした印象だなと思ってしまった。ところどころ自分の視野を広げてくれるシーンがあったのはよかった。
観るべきでもあるし、映画として普通に面白い
震災、原発事故から5年後の福島県いわき市を舞台とした群像劇。
毎週末に東京へ通いデリヘル嬢として働く 主人公、
というショッキングな設定が目立ちますが、とんでもない。多角的に登場人物皆がしっかりと描かれています。
俳優部のお芝居も皆様素晴らしかった。
生半可な主題でも設定でもない、中途半端になんか描ける訳のない映画にガチンコで面と向かってらして感動しました。
それにしても愛のあるタイトルだなあと映画を観終わった今思います。
できることなら守ってあげたい。
これはなんとしても観ておきたかった映画だったが、その予感は的中した。今年の収穫ともいえる傑作である。
冒頭、向こうからヘッドライトをつけた車がやってきて、止まる。車から白い防護服を着た人たちが降りて、左右に散っていく。そうだ。この映画は福島が舞台なのだ、と気づかされる。
「ファーゴ」を思わせるシーンであった。
その後、映画は仮設住宅に暮らすみゆき(瀧内公美)の日常を淡々と映し出す。それは週末のデリヘルも同等である。
淡々としながらも、父親(光石研)との関わり、元カレ(篠原篤)との関わり。それからデリヘルの三浦(高良健吾)との関わりによって、みゆきの暮らしは成り立っている。
みゆきの佇まいが、観ていて気持ちがいいといえば語弊があるかもしれないが、あまり笑わない、大きな声を出さない、つまりは感情を表に出さない。もちろん元はもっと快活な人だったとは思うが。
だから唐突にはさみこまれたデリヘル面接のシーンはインパクトがあった。
映画監督として残さなければならない類いの映画はあるはずで、廣木隆一はその1本をものにした。加藤正人脚本との名コンビも健在。
見逃さないでよかった。
光に手をのばす
深い悲しみをかかえ、なおも人は生きていく
この映画を一言で表すとすれば
奥の深さです。
なにげない台詞に
にじみ出る主人公みゆきのやるせない気持ち。
みゆきを送り迎えする三浦の台詞は
監督自身のつぶやきのようにも聞こえました。
原発という社会問題を告発する形ではなく、
庶民の立ち位置から、同じ高さの目線で
監督は描きたかったのではないでしょうか。
深い深い悲しみに沈んだ人にも、
日常はいやおいうなく続いていかざるを得ない。
生と性、そして新しい命。
生きていくとは、そういうことなんだ、と
静かな語りを聞いたような気がします。
瀧内公美の演技、心に残る秀逸なものでした。
たとえば純文学のように、
行間を読む大人の映画を楽しめる人なら
ぜひ見てほしい映画です。
私とっては、トップ3に入る映画です。
うん、まあ。
タイトルが訴えかけてくる
東日本大震災の原発事故を描いた映画を観た順に挙げてみる。
希望の国
あいときぼうのまち
日本と原発
STOP
今更だが、福島原発のある福島県双葉町には「原子力明るい未来のエネルギー」という看板が鳥居のように道をまたいで立っていた。映画で象徴的に使われる看板だったが、すでに撤去されてしまっている。
人は皆、その所属する共同体を自己存在の拠りどころとする。その場所を「故郷」「祖国」などと名付けて、現在の自分に紐づけることでアイデンティティとするのだ。共同体は国や地方自治体に限らず、場合によっては会社であったり、学校であったり、部活動であったりする。
何らかの要因で共同体との繋がりが断ち切られたとき、人はアイデンティティを失い、同時に自信も失ってしまう。大学卒業から定年までの38年間を一つの会社で働いてきた人は、退職と同時に根無し草となってしまうのだ。どこかに自分の居場所を見つけ、アイデンティティを取り戻し、自信を取り戻さなければならない。そうしないと生きていけなくなる。
原発事故によって住む家を失った人々もまた、同じようにアイデンティティの喪失による流浪の民と化している。避難所生活に自分の居場所はない。
本作の主人公は女性である。女性が女性であることによって居場所を得られる手っ取り早い選択は、売春婦になることだ。誰かが自分の体で喜んで、代金を支払ってくれる。女としての自分の体には、存在価値がある。
しかし結婚はどうだろう。結婚のためには、女としての体だけでは不十分だ。いずれ歳を取り、女体は魅力を失っていく。人間としての存在価値を認めてもらわなければ結婚はできないのだ。
本作はアイデンティティの危機に瀕した女性が、再び居場所を見つけ、生きる希望を見出そうと一生懸命にもがいている様を描いている。一緒に暮らす父親は母親の喪失感にいまだにどっぷりはまり、脱却する見込みはない。父親を家に残して週末に通う渋谷のデリヘルで、見知らぬ男の体に触れ、金を稼ぐ。安っぽい倫理観で彼女を責めることはできない。ほかにどんな生き方があるというのだ。彼女の人生は間違いじゃないのだ。見終わった後に、タイトルがそう訴えかけてくる。
正しさで、測れないもの
フクシマに無関心でいるのも、人として如何なものかと、思いますが、興味本位で覗き見するのも、卒論の名の下に、人の心にカチ込みかけることと、同じですかね。
ひとつの災害が起きたことで、ひとつでは済まされない、想いと無念が残る。還れない街。自ら選択したわけでもない現実。それは、完全に映像化することも、完全に伝えることもできない話。それでも、あの風景の中に、私の家があるとすれば…。次に震れた時、戻るべき処を喪う覚悟が、問われているようです。
特定の答えがあるわけでもなく、正しさを追及するわけでもない、本作の立ち位置に、余計不安を感じます。
ただ、エッチなシーンが多すぎ。陰鬱な表情が素敵なお姉さん、あんなに脱いじゃって、次回の仕事が心配になります。
また作文になってしまいました
今の時期に見るべき映画
セリフにリアリティがない
モヤモヤを抱えつつも生き続けなければならない
2011年の東日本大震災から5年。
福島県いわき市は、津波と原発事故の二重の衝撃に見舞われ、いまだ復興途上。
市役所に勤めるみゆき(瀧内公美)は2年ほど前から週末東京に出てきて風俗業(デリヘル嬢)を行っている。
理由は明らかにされない。
しかし、母を津波で喪い、田畑を失った父親(光石研)は、定職に就かず(就けず)、補償金でパチンコをして一日を無為に過ごすしかない・・・
といったところから始まる物語で、さらに、同じ仮設住宅の隣家の亭主は震災前から原発に勤務しており、震災後のバッシングが酷く、その妻(安藤玉恵)は精神を病んでいる。
また、みゆきの同僚の広報課の職員・新田(柄本時生)は、家屋敷は助かったものの、父親の経営する水産加工工場は流され、その後、母親と祖母は信仰宗教に傾倒し、まだ小学生の弟の面倒をみなければならない情況になっている。
と、映画のタイトルは「彼女の」であるが、みゆきを中心にしているものの主要な登場人物は渡る。
さらに、震災直後に地元を離れてしまったみゆきの元恋人(篠原篤)が戻ってきて、みゆきに復縁を迫るというエピソードもある。
この映画が実に巧みで、観る側に共感(良い感情も悪い感情も)を呼ぶのは、主人公のみゆきがデリヘル嬢にならなければならなかった理由を明確に描いていない点である。
津波に浚われ、その後更地になってしまった多くの土地を前にして、どうしていいかわからない、呆然としてしまった気持ち。
それを引きずるみゆきの父親。
市役所の広報という、他者の矢面に立たされ、「がんばろう」という言葉のもとに、ずけずけと心の奥底まで踏みにじられてしまう新田。
ただただ「働く」という目的であり、かつては地場産業の牽引役を担っていたはずなのに、掌返しにあってしまう隣家の夫婦。
親友も津波で喪い、本当は「逃げてしまった」だけなのだが、それを認めるのがつらいが、それでも故郷に(愛する女性に)未練を持っている元恋人。
そして、みゆきは、津波が襲ってきた際、その彼とホテルで情交を行っていた。
生きることの延長線上にあった毎日が、ある日を境に、延長線上にないこと遭遇する。
そして、まさしく、生きることが途切れてしまった人々がいる。
にもかかわらず、生き続けなければならない。
その生はつらい。
しかし、生きている限りは、生き続けなければならない。
東京でのデリヘル嬢生活で、彼女を守るスタッフの三浦(高良健吾)がみゆきに言う台詞がある。
「オレ、この仕事好きなんだよね。人間の、良い面も悪い面も、両方みられて。生きてる、って感じがするんだよね」
たぶん、これがみゆきがデリヘル嬢になった理由だろう。
だが、そう決めつけてはつまらない。
この映画では明確に描かれていないのだから。
そして、そんなモヤモヤを抱えつつも、生き続けなければならない人生。
それは決して、間違いであるはずがない。
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