ボンジュール、アンのレビュー・感想・評価
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コッポラ夫婦が見えてくる感慨深いロード・ムービー。いつまでも仲良く、お元気で!
映画監督フランシス・フォード・コッポラの奥さんで、同じく映画監督ソフィア・コッポラの母ちゃん、俳優ニコラス・ケイジのおばさんである、エレノア・コッポラ80歳にして、初監督作品です。
才能のある人たちを陰で支え続けたエレノアさんの心の叫びを聞きたくて、張り切って観て来ました。
『ボンジュール・アン(2016)』
原題 Paris Can Wait
※ネタバレあり。
(あらすじ)
エレノアさんが監督・脚本をやってて、このお話は実体験らしいです。
夫マイケル(アレック・ボールドウィン)は映画プロデューサーで成功して、娘は独り立ち。全てが自分の手から離れ、ちょっと寂しさを感じるアン(ダイアン・レイン)。
そんな時、夫の仕事仲間ジャック(アルノー・ビアール)と車でパリに迎うことに。
7時間で着くパリなのに、美しい風景と、美味しい食事と、ジャックはいかにもなフランス男だしで、なかなかパリに着かない!っていうロード・ムービーですね。
このあらすじを読むと、なかなかお金が集まらなさそうな映画だなーって思うでしょ?
しかも監督は80歳にして、新人。
しかし夫は、あのフランシス・フォード・コッポラ!
旦那さんがお金集めに協力しなければ、完成しなかったかも?
じゃ、なんで旦那さんは協力したか?
そりゃ罪滅ぼしでしょうね(笑)
劇中、アンはずっとデジカメで写真を撮り続けてるんですが、その姿を観てなんだか切なくなってきました。
エレノアさんだって、したいこと沢山あったろうな。
けど、夫と娘の雑用係な人生(劇中バタバタしてはったよ)。
エレノアさんだって、映画撮りたかったのかも。夢、あったかも。
けど、フランシス・フォード・コッポラは、暴君だからね。
夢を脇に置いて、エレノアさんは尽くして来たんでしょうね。
そんなエレノアさんの苦労を、町山さんがどこかで語ってました。
そんな妻エレノアさんにもあった、数日だけのアバンチュール。
その映画化を助ける夫の図。
いやー、なんか感慨深いです。
ラスト、お金目当てだと思っていたフランス男が、約束通り借りたお金とチョコレートを送ってきます。
そのチョコを、カメラ目線でカリっとかじって意味深に微笑むアンにて終了。
「ラ・ブーム」のソフィ・マルソーのウインクみたいに、アンにも新しい恋が待っている?そんなラストでした。
この映画の制作を助けたであろうやんちゃだったフランシス・フォード・コッポラと、それを許して自分だっていろいろあったんだからね!って笑うエレノアさん。
全てが溶けて混ざって、ようやっと本物の夫婦になれたんだろうな。
表面的にはなんてことないロード・ムービーですが、コッポラ夫婦の心の中を覗くような、不思議な感覚に陥る映画でした。
いつまでも仲良く、お元気で!
夫の世話を離れて。
御年52歳にしてこの美貌を誇るダイアン。アンチエイジング
は当たり前の時代に、この人の顔に刻まれた皺は本当に素敵。
コッポラの妻役にしては随分美人すぎる気もするが(ゴメン)
そりゃこんな奥さんと同乗したら7時間の間に口説き落とし
てやるとフランス男ならずとも思うでしょうよ~(^^;と納得。
かくして夫とパリで落ち合うことを約束し、友人のジャック
の車に乗り込んだアンだけど、もう冒頭からこのジャックの
思惑が分かりすぎるくらい明確に表現されるのでまぁ何とも…
不倫するの?しないの?と思わせつつ、パリまでの芳醇な旅
が描かれていくが、おそらくこれは世代別で違う感想を持ち
そうな気がする。マダム系はこんな旅を満喫したいと思った
だろうが、若い女子なら金欠エロ親父に魅力は感じないはず。
お互いの過去や悲劇を語る手法もありきたり、行く先々では
愛人と鉢合わせ、ついには友人である夫君の浮気?ネタまで
披露するとはどうゆう奴だお前!と思ってしまうところだが
こういう女心に入り込むタイプだからモテるのかもしれない。
ケチで仕事人間の夫(監督がそうなのかは知りませんけれど)
にない魅力を垣間見た奥さんなのは間違いないところだろう。
夫婦でみてみたい映画
主人公に共感する人、多いんじゃないかな?
人生を楽しみたいと思う心と自分の倫理観、夫に対する愛情。疑問にも思ってなかった、幸せか?という質問。
幸せだけど。。。だけどにちょっと揺さぶりをかけられる。
心配する夫もわかるし、愛されてるのもわかるし、寄り道を楽しんでいる自分もいる。
フランスの観光地、フランス人の人生の楽しみ方をみることができる映画。
もう一回見るかな
インスタ女子
ロードムービーはアメリカの十八番。多くはアメリカ大陸の殺風景なハイウェイをホコリまみれになりながら旅するものだがこの映画は今風な言葉を使うなら「真逆」。円熟した大人のおしゃれなフランスの旅だ。
映画プロデューサーをする夫とともにカンヌにやってきたDiane Lane。映画は夫役が前日に日本人と接待があり、お辞儀で腰が痛かったと愚痴るシーンではじまり、小馬鹿にされてちょっといやな感じ。やはりこの世代にとって日本人はステレオタイプでしか見られない、好まれない対象なのかと思った。いわゆる日本のバブル経済のころを体感した彼らは日本に対していい印象を持っていないだろう。丁度今の中国をみる我々のように。
だが一方で日本のパズル、「数独」がそのまま”Sudoku"と発音されてフランスのコンビニに売っている。アメリカ人のDiane Laneがフランス人にそれを手ほどきをしているシーンもあったりして。日本と欧米の関係も円熟味をましていることも垣間見える。
南仏の陽光を楽しむ暇もなく夫の携帯は仕事で鳴り続ける。ビジネスジェットでプラハに飛ぶ予定が、Diane Laneの耳が痛くなり、急遽夫のビジネスパートナーのフランス人とともに車でパリに向かうことになる。
このフランス人、真っ直ぐパリに行かない。夫が電話している姿ばかり見ていたDiane Laneにアメリカ人が憧れそうなベタなフランスの魅力を見せて回る。
手始めにフランスが誇る芸術。絵画は展覧会で観ることができるが、モチーフの風景そのものは現地に行かないと見られない。それがハイウェイを走りながら「あれがサント・ヴィクトワール山。セザンヌの絵の」なんて言えるのは他の国には逆立ちしたって真似できない。
ロードムービーお決まりの車の故障も、マネの「草上の昼食」ばりに優雅なピクニックになる。もちろんDiane Laneは服を着ていたが。
レストランでダンスが始まるとルノワールになる。
旅の体験が芸術作品の1シーンになるなんてなんとロマンチックなことか。
出てきた芸術が印象派周りの有名どころばかりなのはアメリカ人のレベルに合わせてやったのか(と、結構冒頭のシーンを根に持っている)。
ローマ時代の遺跡。2000年前に架けられた壮大な水道橋。歴史の浅いアメリカ人のコンプレックスを直撃する——とういのもステレオタイプだろうか。
極めつけはグルメ。目(舌?)の肥えた人の映画評では物足りなさもあったようだが、フランス人の見つけた穴場レストランでの食事風景は食文化の深さを見せつけられる。ワインは銘柄がどうのとか豪華な料理というわけではないが、夢中になって薦めるフランス人、堪能するDiane Lane、二人の演技が見ているこちらも幸せな気分にさせてくれる。
他にも刺繍好きといえばすぐそばに刺繍博物館があったりと、文化の深さどっぷりつかった旅になった。
旅の途中に寄った教会で母子像を見て涙する。かつて病弱で生まれてすぐ死んだ最初の子供のことが思い出されて。
夢中で人生を走っていると知らぬ間に傷を負っている。ほんのちょっと立ち止まって周りにある豊かなものに気づけば、それを楽しめば少しは癒される。そんなやさしい旅だったのだと思う。
さして大きな展開もなく、フランス人とDiane Laneの関係も結論が出ないままだが、そんな微妙な距離感でも納得する調和をもたらすのはやはり成熟した監督の感性とDiane Laneの円熟した演技に負うものだろう。こんな映画に出会うとアメリカ映画もまだ捨てたもんじゃない、とうれしくなる。
どんな旅でも旅はphotogenicなものである。ましてこんなおしゃれな旅ならば。「家族を支える妻」という古風な時代と少し乖離しているのはDiane Laneがしきりに写真を撮る「インスタ女子」になっていることだろう。
かつて日本人が海外旅行で現地人、特に欧米人から「日本人は旅行に来ても写真ばかり撮っている」と揶揄されたものだが、今や全世界的潮流だ。
あの批判はなんだったのか、やっぱり最初のシーンを根に持っている。
王道のロードムービー
主人公は映画監督の夫とカンヌに来ているが、夫は仕事で行ってしまい、夫の友人と二人でパリを目指すが彼は寄り道ばかりでなかなか進まない。最初はイラついていたが、次第に彼のペースに乗せられていく。彼女が寄った教会で自分には、生後39日で亡くなった息子がいたと告白する。彼女のペンダントにして息子の写真。彼は独身だが、兄を自殺で亡くしていると告白する。パリに着いてから、二人はキスをするが、そこまで。彼のブレスレットをもらう。彼はアメリカに会いに行くと約束する。翌日、彼から届いたのはバラのチョコレートと手紙だった。彼女はブレスレットで髪をまとめてチョコレートをかじるシーンで幕。あちこちに小ネタが散りばめられたほのぼのロードムービーとなっている。
映画館のシートに座って2時間のフランス旅行
この映画を金持ちの道楽映画だとこき下ろすことは簡単だ。お金があって時間もある、経済的にも生活的にも余裕があるごく限られた恵まれた人にだけ許された休暇の物語だからだ。と同時に、この映画の製作という行為自体が、フランシス・フォード・コッポラ夫人であるエレノア・コッポラというセレブ妻の道楽に過ぎないからだ。映画が業界でトップになってやろうとか有名になってやろうなんて野心もなく、時間とお金のある人が道楽で作った映画がこれだ。ヒロインのアンは、(ダイアン・レインほどは美しくなく、ダイアン・レインほどは若くもないが、)紛れもなくエレノア自身だ。映画は世界をエレノアの目線で見ている。きっとエレノアは、世界はこういうものだ、と本気で考えているのではないだろうか。それは悪いことではないが、日々馬車馬のよう働いている私からすると、随分とお気楽なものだとケチも付けたくなる。
しかしそれでも、この映画を切り捨てられないのは、2時間の作品を見終えた時に、本当に旅をしたような気分になってしまうからだ。映画館のシートに座って2時間。なかなか行くことの出来ないフランスの下町を巡る、さりげなくも良質な旅。贅沢でお洒落でお腹の空く旅。それをまさしく疑似体験出来てしまうのだ。たった2時間、映画のチケット1枚でフランスを旅してしまったようなもの。
この映画を観ると、お腹が空いて、いつもよりちょっとお洒落な食事をしたくなるし、いつもよりちょっとだけ高いワインを飲みたくなる。料理がしたくなる。新しいテーブルクロスを買いたくなる。チョコレートをかじりたくなる。そんな、ちょっと浮足立った気分になって、その感覚はなかなかたまらなく心地いいものだった。
映画館には、私より年齢が大分上の、シニア(の夫婦)が多かったけれど、私以上に映画を楽しんでいる様子が伝わって、各所から楽し気な笑い声が漏れて聞こえてきた。その様子から更に、見知らぬ人々の見知らぬ話し声や笑い声が聞こえて来る中、旅の列車に乗ってフランスの田舎町を走っているかのような気分にさえなった。
内容なんてほとんど無いに等しい。それこそ、金持ちが道楽の旅をする話だ。それを金持ちが道楽で映画にした作品だ。でも、結局私は映画の魔法にかかってしまって、すっかり旅を楽しんでいた。
そしてこういう作品には、ダイアン・レインのように自然体が最も美しい女優がぴったりだ。顔に刻まれたシワさえも美しいダイアン・レインに惚れ惚れしながら、映画を観ている間だけは、ダイアン・レインになったつもりで旅を疑似体験するといい。
ツアー
カンヌ〜パリをドライブする。
その間、寄り道して美味しいモノや観光地を訪ねていく。
そんな映画。
それだけの映画。
パリが好きな方はうっとりと出来るのかもしれない。確かに情緒たっぷりな街並みは映しだされるし、素敵なディナー、洒落たワインがおもてなししてくれる。
「寄り道こそが人生を豊かにしてくれる」
なんて標語を今更、唱える訳でも無いだろうとは思うのだが、そんなメッセージでいっぱいだ。
なぜ、この仕事をダイアン・レインが受けたのか頭を傾げる。
仕事にかこつけてパリを堪能しようとでも思ったのかしら?
観光協会などがスポンサーとかなら頷ける要素が満載だ。
ラストカットは、カメラ目線でチョコをかじるダイアンさん。
とても、すっとぼけたラストだ。
なんつうか…
全編通して、フランス人男性の奔放さのようなものが語られもしてて、そのラストの表情に「やれやれ…」なんて呆れた感も漂ってはいるので、フランス人男性への戒めも含んでるととれなくはない。
が、ある意味ディスってると言えなくもない。
どちらにしても、まるでドラマ性のない創りなのは明白で、パリまで至るドライブをお気楽なフランス人男性と共に擬似体験するような主旨の映画であった。
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