「フィリピンの肝っ玉母さん」ローサは密告された ごいんきょさんの映画レビュー(感想・評価)
フィリピンの肝っ玉母さん
フィリピン映画が一般の劇場で公開され、結構人も入っているというのは、私たちアジア映画ファンにとってはうれしいことだ。近年の大阪アジアン映画祭ではフィリピン映画が毎年結構たくさん上映され、そのレベルの高さには目を見張る。
さて、この「ローサは密告された」だが、どこまでが事実を基にしているかは、私たちには推し量ることも難しいが、ある程度は現実のフィリピン社会を反映していると考えていいのだろう。この厳しいフィリピン社会を生きる人たちと、苦境を生き延びる力強さが感じられる作品だ。
スラム街で雑貨屋を営むローサ。夫は麻薬を扱い、自分もときどき手を出しているようだ。このスラム街の中では比較的裕福な方の部類に入るのであろうローサ一家だが、それでも生活はかつかつだ。(もちろん、社会全体、ましてや世界を基準とすれば超貧困家庭だが。)
そんなローサ一家の生活を映画は時系列に沿って淡々と描いていく。何のけれんもなく、トリックやどんでんもなく、本当にストレートな表現だけが使われている。ドキュメンタリータッチと言ってもいいかもしれないが、ちょっと違う。
ある日、ローサの店に警察の手入れが入った。彼らはローサ夫婦を連れ去るが留置所に入れるわけではなく、自分たちの部屋に閉じ込める。もちろん、賄賂が目的だ。20万ペソ(50万円くらい)出せば解放するという。そこからがこの一家のしたたかなところ。さまざまな交渉術と家族の金策でこの危機を乗り越えようとするのだ。
この作品で「正義」が声たかだかにうたわれることは一度もない。この映画にも、フィリピン社会にも正義など存在しないのだ。警察が「悪」を非難することもないし、正しい道を歩むよう説得することもない。捕まった夫婦は裁判や服役などということはいっさい考えていない。はじめから金で解決することしか頭にないのだ。映画もいわゆる「社会派」の態度をとらない。
警察は減額の代わりにたれこみを要求し、(そもそもローサ夫婦も密告されたのだが)それで捕まった売人はさらに別の警察幹部に連絡をとろうとする。誰も「法律」による解決など望んでいない。
ローサ夫婦は4人の子どもたちの必死の金策により何とか解放されるのだが、それで何かが解決されたわけではない。さらなる密告の連鎖は続いていくだろうし、彼ら夫婦には大きな借金が残る。
しかし、映画はとことん暗い印象を残すかというと、決してそうではない。金策に走り回る一家のしたたかさ。また、悪態をつきながらも彼らを助ける親戚やコミュニティ。それはそれで何とか回っていくフィリピン社会の不思議さみたいなものも描かれる。
我々の目から見ればとんでもなく絶望的な社会を描きながら、なぜか暗くはない。そこがフィリピン社会の面白さでもあり、この映画の良さでもある。