STOPのレビュー・感想・評価
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"違和感"
エンドロールに入る瞬間、緊急地震速報の音が数回流れる嫌な感じ、全体的に煽っているようなジワジワくる暴力性に吐き気がする。
どの作品を観ても粗かったり大雑把で最終的に映画を撮るのが下手クソなイメージの反面、予測出来ない展開とおかしな人物描写が癖になるキム・ギドクの気狂いたる変態性!?
劇団員の舞台劇を見せられているような大袈裟に思える演技と過剰なまでの胡散臭さ加減、東京-福島間の微妙な距離感を何度も往復する違和感、そりゃ辛ラーメンはたまに食うけれど、サンダーであんな太い鉄の塊は切れないし、丸太の上で捌く鶏肉を御丁寧に串まで刺したり、やはり女性に対する暴力性はテープでぐるぐる巻放置に表れている。
異国、韓国ではない、おかしいのはキム・ギドクである変な感じ??
よくできた映画だ!
もちろん、標題は皮肉である。
この作品が大学の映研あたりで作ったものなら、立派なもんだ。
いかに外国人が撮ったとはいえ、キム・ギドクの視点は問題は投げかけてはいるものの、ユーモアやもうひとつ突っ込んだ描写もなく、物足りない。
大学の映研の学生がここまで撮ったとしたら評価はしたいが、曲がりなりにも国際的な映画賞も取った監督の作品としては拙いできだろう。
東京から横浜まで往復で1300円、チケットも当日料金1800円で払ってまで見る作品ではないなあ。
ヒロイン=って感じではないけど=を演じる堀夏子という女優が高橋一生似なのがちと笑えるか。
あと、主人公の中江翼という役者も早稲田の理工学部卒っていうネット情報が正しければ、売れてないのに無駄に高学歴だって、本筋とは無関係のところで感心した次第。
それなりに出演者は熱演していたので、これを機に売れることを祈っておきたい。
キム・ギドク監督とは何者なのか。
他の映画にも増して、監督と切り離して見ることは難しいのではないでしょうか。
日本人は絶対にこう表現できないと思いました。
問題をそのまま生でえぐり出してしまう荒々しさが、強烈です。キム・ギドク監督は、この生えぐりが特徴なのではないかと思いましたが、どうなんでしょうか。もう、ガシッと掴んだら離さない!どーなんだよ、これは!みたいな押し出しですね。
問題を包んでぼんやりと見せるという、障子の向こう的な日本人の手法とは真反対ですね。シンゴジラと好対照。
制作の制限からか、実際に事故を体験していた私たちから見たら、え?と思うことも最初は多々あって、違和感を感じながら見ていましたが、そんなの関係ねー、俺が言いたいことはこれだ、というものをバーーンと突き出されて、それを見ていくうちに、その違和感もいつの間にか消えていって、それではキム・ギドクさんは、何が言いたいのかしらという感じになっていきました。
そういう意味では、原発の映画というよりも、キム・ギドクとは何者かということが、よくわかる映画なのかも知れません。
この人の想像力はこうなるんだ、というラストが用意されています。ここには微かな希望の光もありますね。ドキュメンタリーとは違う創作映画の面白さがありました。
こびりついて離れない
世界的に有名な映画監督が韓国からひとりで日本に乗り込んできて、ひとりで映画のプロデュースからリクルートから撮影から演出から編集までをマルチでこなした作品が上映されるとあっては、観ない訳にはいかない。
作品は粗っぽくというか、豪快に作られている。それはそうだろう、時間も予算も限られた状況での撮影だ。しかし役者の台詞の間違いや言い直しなどものともせず、ひたすらに本質に迫ろうとする姿勢がストレートに伝わってくる。東日本大震災による福島原発の被害は本当はどのようであったのか。だから我々も演技や撮影の粗探しをするよりも、作品のテーマの核心を観るようにした方がよい。
原発から5キロ以内に住んでいて、当日被曝してしまった若い夫婦。避難の指示を受けて東京に避難するが、ある男の電話と訪問を受ける。政府関係者の男だ。政府関係者はこの男以外登場せず、この男が政府の姿勢を象徴する存在となっている。男は言う。原発は必要だ、胎児は堕胎しろ、黙って俺の言うことを聞け。
妻はインターネットで見つけたチェルノブイリの奇形児の写真に怯え、堕胎しようとする。夫は自分たちは大丈夫、日本は大丈夫と、正常性バイアスだけを根拠に堕胎に反対する。そして妻を安心させるために福島の立入禁止区域に侵入して写真を撮る。
およそ8か月間と推定される期間に夫は何度も福島に通う。そして夫が最後に見たものが、おそらくこの映画で一番印象に残る映像だ。映画を見終わっても、その映像が頭にこびりついて離れない。
終映後に出演者のアイアレンさんが短い挨拶をし、そのあと質疑応答があった。ある年配の男性が、福島での出来事はこれほどまでひどいとは聞いておらず、作品には少なからず違和感があるというようなことを質問した。それに対しアイアレンさんは、キム・ギドク監督は賛否が分かれるであろう作品に葛藤もあったが、原発を扱った他の映画がソフトな表現に終始しているのに対して、自分は福島という実名を出し、ストレートに表現できることはストレートに表現する、それができるのは自分しかいないと思っていると言っていたと回答していた。
福島を「アンダーコントロール」と言ってのけた暗愚の首相にとっては、いまだに対応に苦しんでいる福島原発の現場など存在しないも同然なのかもしれない。しかし放射能を漏出しつづける福島原発の現場は厳然と存在する。メルトダウンした原子炉には誰も近づけないし、だから本当のところどんな状態なのかは誰も知らない。
もしどこかの病院で奇形児が生まれていたとしても、原子力ムラに取り込まれたマスコミはそれを報道できないだろう。被曝が遺伝子に与える影響は世代を下ると減るのか増えるのかもわからない。被爆した子供たちの次の世代が、奇形児とまでは言わないまでも、何らかの異常を持って生まれてくる可能性はゼロではない。夫が政府関係者の男に啖呵を切ったように、生れてくる自分たちの子供には自分たちが責任を持つと、果して言えるのか。
本当は、原子力は人間が制御できるエネルギーでないと、誰もが感じているのではないか。チェルノブイリ事故を受けて、ドイツはすべての原子力発電所を停止することを決めている。イタリアでは福島事故の3か月後に行なわれた原発再開の国民投票で9割が反対して原発建設ができなくなった。
日本は原発の稼働を再開した。アイアレンさんは最後にこう言っていた。福島からもう6年たったと言う人がいますが、まだ6年しかたっていません、決して過去の出来事ではないのです。
吉野家モットー
『早くて・安くて・ウマい』というのが、キム・キドク監督の信条?!とのネット情報なのだが、まぁ、所謂『即興』芸術みたいなものに相通ずるものなのかもしれない。日本でも有名な監督であり、以前ラジオでも誰かが『絶対の愛』を紹介していて、これが又どうかしていているらしい世界観であるとのこと。観てみたいとはおもっていたのだが、今回の機会で今作品を観ることが出来た。なにせ触込みが仰々しく、大変問題作であると・・・。確かに、日韓の相互不信、そして日本の3.11原発問題を韓国人がどう描くのか、かなりチャレンジをしたということは想像に難くない。という訳でその宣伝文句を信じて鑑賞したのだが。。。
ストーリー展開は確かに信条の如く、非常に早く進んでいく。そんなに間を空かさず漫画のコマ割の様に場面が進んでいく。逆に速すぎる位で、福島と東京の往復の地理的な感覚が伝えられていないように見受けられる。否、この作品は確かに沢山の矛盾というか無理が詰め込まれているのだが、しかしそのあり得ない事自体を含めて、あの未曾有の大惨事に対する監督の訴えたい気持ちが表現されているのだろうと良いように考えてみる。送電線をグラインダーで倒す、パチンコ店にその筋の用心棒らしき人間がいる、簡単に非難地域へ戻って生活してる、脇役、チョイ役の台詞の噛み倒しetc… まぁ、ツッコミどころ満載さを、監督の強いメッセージ性として、撮影機材をデジカメしたせいでのISOの高感度さによる全体が白く飛んでまるでそれが映像の効果を結果的にもたらしている、つまりこの作品の抽象性みたいな、まるで誰かの脳内妄想での寓話を紡いでいるようなそんな不可思議な錯覚を観客に落とし込んでいる。主人公の夫婦のパラノイアが後半になるにつれどんどんターボがかかり、取憑かれていく様は、確かに過剰を信条とする韓国映画の一つの矜持でもあるから、日本で撮った日本の俳優の演技でもそれは、まさしく怒れる韓国そのものなのかもしれない。モキュメンタリー的な手法で、最小クルー(照明がいない、俳優がプロデューサー等々)での八日間の強行スケジュール撮影がそれを物語っている。
さて、感想始めの部分の問題部分であるが、そんなゲリラ的撮影を敢行したお陰で、所謂無許可のロケを行っていたようで警察沙汰ギリギリのタイトロープをしていた、つまり、しっかりと刑法に触れるようなシーンが映っており、これが『問題作』だということであるとのこと。しかし、それは言わないことが華なのではないかなぁ・・・ 邦画でももうそういうイリーガルなことは、得意のコンプライアンスに抵触してしまうので映画会社もそこは避けたいとの思惑は慮ることが理解出来る。なにせ、投資が無駄になるからね。それはどんなミニマルバジェットであっても同様だから、やったとしてもしらばっくれれば、スキを与えないのだろうが、今回の上映後の出演者登壇において、主役の夫役の俳優が自慢げに新宿ロケのネタバレを吐露していたのを聴いていて、『しらを切る』事の大事さを併せて感じざるを得ない一寸残念な気持ちである。
ラストのオチは、しかし残念なことに障害を持って産まれてしまった夫婦の子供は、その障害である異常な聴覚が、もしかしたら将来、危険を察知する重要なファクターになり得るという可能性を秘めてのエンディングで、ある程度のカタルシスが得られることの安定さに救われた。
うーむ
なんかへんちくりんな映画たったね。(*´-`)
で、何がだい?
といわれると、なんだろう。
ワイドショーの再現フィルムみたいな・・・
でも、大好きなキム・ギドク監督なので
まぁいっか。
と、なんともいい加減。
根性の自主制作
震災当時の混乱をスクリーンに再現する事は一定の水準で達成されていました。
おそらく無許可のゲリラ撮影、それも外国で。キム ギドクのバイタリティーに恐れ入りました。
プロデューサー、キャストによる舞台挨拶。堀夏子さん綺麗でした。
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