ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦 : 映画評論・批評
2017年8月8日更新
2017年8月12日より新宿武蔵野館ほかにてロードショー
ただの英雄譚ではない、歴史の理不尽に翻弄された人々の慟哭の物語
欧州にとってナチスは、決して忘れてはならない歴史であり、映画産業にとっても重要なテーマのひとつでもある。これまで数多くのナチス関連の映画が、様々な視点、テーマで製作されてきた。非道を内省するもの、悲劇を悲しむもの、英雄を称えるもの等々。
「ハイドリヒを撃て!『ナチの野獣』暗殺作戦」が描くものは圧倒的な理不尽だ。大義と大義がぶつかり合い、無辜の市民が大勢犠牲になる。しかし、その犠牲をこそ歴史は必要としたのかもしれない。
1941年、ロンドンに亡命しているチェコスロバキア政府は、沈静化しつつある国内のナチスへの抵抗運動を活性化させるために、ナチス親衛隊大将ハイドリヒの暗殺計画を立てる。国内の抵抗運動が盛り上がらなければ、連合国側の協力を得るのは難しいからだ。しかし、国内ではハイドリヒの巧みかつ、残酷な恐怖政治により、レジスタンスの牙がほとんど折られている状態。ロンドンから送り込まれた2人のエージェントは、協力を仰ぐレジスタンスのメンバーに任務の重要性を訴えるが、ナチスのトップを暗殺すれば、国内の市民に対してどんな報復が待っているのか、想像に難くない。
映画はロンドンから送り込まれた2人のエージェントと国内レジスタンスが、考えや立場を違えながらも協力し、ハイドリヒの暗殺に向かう様子を、当時のプラハの雰囲気を見事に再現しながら描ききる。スーパー16mmフィルムで撮影された荒々しい映像はそのまま登場人物たちの心情を伝えるようだ。
歴史が示すとおり、当事者たちにとってはあまりにも不条理な結末となり、国内で多くの市民が報復によって殺されたが、それをきっかけとしてイギリス政府は重い腰を動かすこととなった。
本作は主人公たちを、単純な英雄として描かない。彼らは歴史を動かしたと同時に、虐殺の引き金を弾いてしまった。人の歴史はかくも理不尽だが、彼らの国を守りたい信念は本物だ。国をナチスから取り戻すための行為が、国の人間の多くを犠牲にした。その地獄の苦しみに打ちひしがれながらも、最後まであがき続ける彼らの生き様から目が離せない。
(杉本穂高)