アイスと雨音のレビュー・感想・評価
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芸術、音楽、演劇、テレビ、スポーツは全てク◯。勿論、この舞台も◯ソ♥
今の悪い事を何もかもパンデミックのせいにするが、本当にそうなのだろうか?
経済も政治も文化もそして社会全体もパンデミックなんか起きても起きなくとも既に駄目だったと感じている。
この中止になった設定の舞台劇。パンデミックがなければ、上映は成功したろうか?
まぁ、下北沢辺で芝居をやっていては、10年経ったら必ず忘れられてしまう。
それはパンデミックになる前から分かっている事だが。
日本の演劇の悪い所を1つだけあげる。 一言で済む。
素晴らしい脚本家がいない。
コロナ禍の舞台事情とかぶる
稽古に励んでいた舞台公演が中止になってしまった…ガラガラの客席…とコロナ禍の状況とかぶってしまい、切ない気持ちになった。
しかし、ドアを蹴破って劇場に侵入するシーンは「鍵弱すぎ。」という点も含めどうかと思うし、サービスカットのように若い女優の着替えシーンがあるのもどうかと思った。なんというか、全体的に年寄りの「若者ってこういう感じでしょ。」という妄想がちりばめられている感じが少し気持ち悪い。若さへの憧れか…皆でタップダンスみたいなダンスをするシーンは憧れ満載。わかるけど。わかるだけに…きつい。
それでも青木柚の存在感は素晴らしかった。撮影中に17歳の誕生日を迎えたらしいが、まさに濃い緑の「青き柚」みたいで美しく、本名らしいこの名前をつけた(かもしれない)親御さんに感謝しかない…とか気持ち悪い年寄り発言をする。
なんにしても早く気軽に舞台観賞したいな。
やっぱり人の前で演じたい
作品自体は見れる。役者さんたちも良い。音楽も良い。何から何まで悪くない。やはりこのクオリティでなければ世には出せないんだと自分自身痛感しながらの一作ではないのだろうか?過去との比較をすることで自分を見直す全ての照らし合わせにおもえたりもするが、まぁ決して様々な人におすすめ出来る作品ではないですが、この作品は10年後も20時年後何年たっても色褪せない作品だと思うので間違いなく撮ってて良かったと言える一作品。私の20年後は68歳果たして20年後にこの作品とふたたび出会いたいとも正直思わないが、もし出会ったら間違いなく見る。そして見たら間違いなく胸は熱くなる。この作品はそんな作品だとわたしは思う。ありがとう。ありがとうございます。ありがとう。ありがとうございます。ありがとう。ありがとうございます。何度も何度も言いたくなる。何度も何度も言いたくなる。それがどういうことかは、今の監督なら間違いなくわかってるしわかってるからこそ起こした作品。ありがとう。ありがとうございます。
松井大吾と言うか、SPOTTED作品
松井監督が実際に舞台で中止になった悔しさを、「それでそのままで良いのかよ!?」とモロハのアフロに言われて作った作品。
舞台挨拶でそう言ってたので、そうなのだろう。
じゃあなんで、実際の舞台メンバーを起用しなかったのか?の問には「まあ大人の事情が…」と言ってたけど、はあ!?て気持ちになった。なんなの?
本当に悔しかったの?
あんた。
親がテレビ局でお偉いさんだし、おぼっちゃまだし、そう言う底辺の悔しさとか知らんだろうけど、この映画は本当にうわべだけの悔しさしか感じなかったぞ。
なんなの?スポッテッドの直井卓俊は金持ちのクソ野郎か(自分の赤字に出ない)可愛い女の子にしかお金出さないのか?
最後のエンドロールは吐きそうになった。なんなの?ワンカットって?アホか?映画的ワンカットをつまんなかったイベントをワンカット風でオナニーしたかったのか?
ちゃんと言えよ、マジな話で。オマエらふざけて映画作ってるだろう
じゃあ舞台でイイじゃん。
全編ノーカットで撮られた映画。
内容がオーディションで集められた劇団が舞台のモノなので、演劇を観ているかのような感覚を狙ったのでしょうが・・・
演劇は舞台という広い画角の中で行なわれて、その中で何を見るかは観客に委ねられているのが醍醐味で有るのに対し、この映画は終始演者のアップが続く。
ノーカットで撮りながら場所やストーリーを転換するために必要だったコトは分かりますが、そのせいでこの映画を観る人は、観たいものが“カメラ”という最も演劇とはかけ離れた装置によって制限されてしまうという矛盾が生じています。
コレを“実験的”と言えばそうかもしれませんが、私は「なら素直に舞台で見せて欲しかった」と思ってしまうのです。
エンディングでようやく息苦しさから解放されたように感じたのは、最後になってようやくカメラが引いて広い画角になり、観たいものを選ぶ権利がこちら側に戻ってきたから。 むしろ全編この引いた画角でノーカットでやってもらったら良かった気がします。
(それじゃあ演劇を定点で撮影したのと変わりませんが)
実験的な点は評価できますが、それが成功しているかというと・・・ 私は疑問符が付いてしまいます。
『自意識を持った宇宙』
全編ワンカット映像で進む、多分『バードマン』を意識した、演劇と映画の世界を行き来する青春映画である。芝居の練習時はスクリーンの画角の縦が狭くなり、それ以外は元に戻るスイッチングが行なわれるので、観客に分かり易く示唆している。主演の女の子の心情と、芝居の演目がオーバーラップしてゆくのも挑戦的である。
たまたまなのだが、最近下北トリウッドで映画を観た後、松重豊がバイトしていたという街中華屋で食事をし、タバコを吸いに適当な所を探していた際、奥まった時間貸パーキングをみつけたのだが、まさにそこがロケ地である、本多劇場の稽古場であった。そういう意味で図らずも聖地巡礼ということになるのか、偶然である。
ただ、ストーリー自体は、青臭い若者のやりきれない想いを、それでも大人の都合に刃向かう実力行使を引き超すレジスタンス的流れであり、その流れ自体はそんなに重要ではないように思われる。一瞬一瞬の主人公の気持ち、その周りの俳優との絡み、その気持ちを代弁するかのような、霊的存在としての位置づけである、ポエトリーリーディングのようなラッパーとバッキングギター。それが独特の世界観をぶつけながら観客に暴力的に問いかけてゆく。その全てが非常に実験的であり、興味深いのだが、何故だろう感じられ、後半はホロッとくるものがあるものの、しかし歳を取ったせいか、前のめりに共感はできなかった。多分、公演中止を告げられてからの一連の劇場ジャック迄の部分は、主人公達の妄想なんだろうと思う。このやりきれなさをどうやってぶつけたらよいのか、それを具現化するとしたらこうだみたいなことなのだろう。ラッパーの、『時間が全て解決してくれる だが、それは俺のだ、返せ!』の子供じみた、理不尽への強烈なカウンターを直接表現として演出したのが今作品のテーマであるといって良いと思う。ただ、捻りがないから、おじさんはのめり込めなかった。言いたいことは分かるんだけどね…役柄の背景も描かれないのも、共感度合いが低い原因とも思うのだが、今作品はターゲットをキャストと同じ年代に絞ったという意図があるのだろうね。若い人には響く作品なのであろう。
制作意図なんかあるのかな
松井さんの映画あわないんだよね。でも観ちゃうんだけど。いつもは「女の人なら解るのかな?」って思ったりするんだけど、この映画はそこもなかったな。
「舞台の公演をやります」ってオーディションで集められた若者が稽古するんだけど、公演一週間前に「前売の状況が芳しくないので舞台中止します」って言われて「私達の気持ちはどうなるのよ!」っていう話なの。
「どうなるのよ!」って言われても、稽古風景みる限りではそこまで面白くなさそうだし、中止で良かったんじゃない?って気しかしないのね。
あと劇場は借りちゃったし、スタッフの予定も押さえただろうから、公演は普通はやるんじゃないの?一週間前まできたら。そこで中止にしても大して費用は浮かない気がするんだけどな。
まあ、それで、この映画ワンカットで取ってるのね。「74分ワンカット!」って宣伝文句にもなってるの。ワンカット映画観ると「いや、カット割ってもらって、編集してもらっていいですけど」っていつも思うのね。これ作り手の自己満足以外に何か意味あるのかな?
ラストまでワンカットでたどり着いてタイトルも出て「まさか『カット』の声と共にその後の様子を映したりしないよな」と思ったらやりやがったよ。本当に自己満足だよ。
松井監督が舞台中止になった悔しさをぶつけた作品らしいんだけど、なんか観てるとね「体験を作品にしたいけど、そのまま作ってもつまらないからワンカットで人目を引いてみようかな」ってやったようにしか思えないの。
フライヤーを見て、この映画が気になった。(恐らく)同じ世代の少年と...
フライヤーを見て、この映画が気になった。(恐らく)同じ世代の少年と少女の葛藤がその中から垣間見えた気がして、どうしたことかこの映画を観なくちゃという謎の使命感に駆られた。
わたしは一方的に感情をぶつけられることが苦手なので、劇中のそういうシーンではずっとドキドキしていた。主人公の危うくざらついた心に触れそうになると、わたしは声を出して泣きそうになった。
映画を見見終わったあと、少しだけ心がモヤモヤした。劇中の中に並べられた言葉が曖昧で抽象的だったのが原因だと思う。でもそれはそれでいい。
監督や演出家の自己満足なのでは…と疑問に思った箇所もあったが、金曜日のレイトショーにはぴったりの映画だと思う。
しかしもう二度目を観ることはないだろう。
同じ映画を何度も観るわたしには、一度で満足できる映画だ。
★5
公演中止を告げられるシーン、主人公たちの実力不足を仄めかされるシーンに自分までどきりとして、傷ついて、苛立った。それでも主人公たちはむちゃくちゃに抗おうとするから、自分の怒りまで許された気分になった。たしかに自分にも責められる要因はあったかもしれない、と尻ごんだところに、どう思われるかなんて気にせず怒ってもいいんだと言われた気分になった。
……と思ったら、監督自身の舞台が中止されてたんですね。そうしたら、怒ってもいいよ、というより、こんなことがあったんだ腹が立つんだよ、って映画でもあったのかな。
松居大悟監督の作品は登場人物から人間らしい温度がするからとてもすきです。その人間らしさが悪いと言われるでも讃えられるでもなく、ただこんな人だよね、こんな人もいるよね、って感じで。
★4.5にしたのは今後もっと好きな映画ができたら困るから。本当のところは★5です。
驚きの連続、観て損はなし。
74分間1カット。
まるで舞台演劇を観ているかのような、今までに味わったことのない映像体験でした。
実在する稽古場や劇場、下北沢の街並み。
公演中止の責任を負わず、俳優の責任にする狡い制作。
自分の未熟さを棚にあげ、俳優の責任にする狡い演出家。
夢を見せて夢を取り上げ、丸裸で放り出す。
きっと同じような思いをした俳優、もしくは俳優志望は沢山いるだろう。
エンドロールで拍手しそうになった。
それはまるで舞台のカーテンコールのようだった。
芝居の拙さすら魅力に変えて、ただひたすら走り続ける。
彼らが彼らで今だからできる作品。
メッセージ性の高い音楽も、耳に残る。
観て損はなし。
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