「『自意識を持った宇宙』」アイスと雨音 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
『自意識を持った宇宙』
全編ワンカット映像で進む、多分『バードマン』を意識した、演劇と映画の世界を行き来する青春映画である。芝居の練習時はスクリーンの画角の縦が狭くなり、それ以外は元に戻るスイッチングが行なわれるので、観客に分かり易く示唆している。主演の女の子の心情と、芝居の演目がオーバーラップしてゆくのも挑戦的である。
たまたまなのだが、最近下北トリウッドで映画を観た後、松重豊がバイトしていたという街中華屋で食事をし、タバコを吸いに適当な所を探していた際、奥まった時間貸パーキングをみつけたのだが、まさにそこがロケ地である、本多劇場の稽古場であった。そういう意味で図らずも聖地巡礼ということになるのか、偶然である。
ただ、ストーリー自体は、青臭い若者のやりきれない想いを、それでも大人の都合に刃向かう実力行使を引き超すレジスタンス的流れであり、その流れ自体はそんなに重要ではないように思われる。一瞬一瞬の主人公の気持ち、その周りの俳優との絡み、その気持ちを代弁するかのような、霊的存在としての位置づけである、ポエトリーリーディングのようなラッパーとバッキングギター。それが独特の世界観をぶつけながら観客に暴力的に問いかけてゆく。その全てが非常に実験的であり、興味深いのだが、何故だろう感じられ、後半はホロッとくるものがあるものの、しかし歳を取ったせいか、前のめりに共感はできなかった。多分、公演中止を告げられてからの一連の劇場ジャック迄の部分は、主人公達の妄想なんだろうと思う。このやりきれなさをどうやってぶつけたらよいのか、それを具現化するとしたらこうだみたいなことなのだろう。ラッパーの、『時間が全て解決してくれる だが、それは俺のだ、返せ!』の子供じみた、理不尽への強烈なカウンターを直接表現として演出したのが今作品のテーマであるといって良いと思う。ただ、捻りがないから、おじさんはのめり込めなかった。言いたいことは分かるんだけどね…役柄の背景も描かれないのも、共感度合いが低い原因とも思うのだが、今作品はターゲットをキャストと同じ年代に絞ったという意図があるのだろうね。若い人には響く作品なのであろう。