アイスと雨音のレビュー・感想・評価
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芸術、音楽、演劇、テレビ、スポーツは全てク◯。勿論、この舞台も◯ソ♥
今の悪い事を何もかもパンデミックのせいにするが、本当にそうなのだろうか?
経済も政治も文化もそして社会全体もパンデミックなんか起きても起きなくとも既に駄目だったと感じている。
この中止になった設定の舞台劇。パンデミックがなければ、上映は成功したろうか?
まぁ、下北沢辺で芝居をやっていては、10年経ったら必ず忘れられてしまう。
それはパンデミックになる前から分かっている事だが。
日本の演劇の悪い所を1つだけあげる。 一言で済む。
素晴らしい脚本家がいない。
【”葛藤と、鬱屈からの解放、そして情熱”】
■小さな町で演劇公演が予定されていた。 オーディションで選ばれた少年少女たちは初舞台に意気込むが、舞台は中止になってしまう…。
◆感想
・演劇公演がチケットが売れずに公演中止になり、それまで稽古に励んでいた若者達の夫々の反応。
ー 仕方が無いと諦める者や、どうしても演劇したいという想いと現実の狭間で葛藤する女性。-
<松居大悟監督は、「アズミ・ハルコは行方不明」以降の作品は全て鑑賞しているが、(特に好きなのは「くれなずめ」と「ちょっと思い出しただけ」)初期作品は初鑑賞である。
一部作りが粗いし、ショートフィルムの影響もある前半から、ラストに向けての若者達の演劇への情熱が炸裂するシーンは良かったかな。>
コロナ禍の舞台事情とかぶる
稽古に励んでいた舞台公演が中止になってしまった…ガラガラの客席…とコロナ禍の状況とかぶってしまい、切ない気持ちになった。
しかし、ドアを蹴破って劇場に侵入するシーンは「鍵弱すぎ。」という点も含めどうかと思うし、サービスカットのように若い女優の着替えシーンがあるのもどうかと思った。なんというか、全体的に年寄りの「若者ってこういう感じでしょ。」という妄想がちりばめられている感じが少し気持ち悪い。若さへの憧れか…皆でタップダンスみたいなダンスをするシーンは憧れ満載。わかるけど。わかるだけに…きつい。
それでも青木柚の存在感は素晴らしかった。撮影中に17歳の誕生日を迎えたらしいが、まさに濃い緑の「青き柚」みたいで美しく、本名らしいこの名前をつけた(かもしれない)親御さんに感謝しかない…とか気持ち悪い年寄り発言をする。
なんにしても早く気軽に舞台観賞したいな。
演劇を知る松居大悟監督だからこそなせる技
圧倒されるような熱量と、それに応えられなかったこちら側の感情の綻び。それすら悪くなかったと思える意欲作。
森田想のポテンシャルがとにかく高い。『タイトル、拒絶』でも思っていたけど、ここまで上手いとは。しかもワンカットで1ヶ月を描くわけで、スイッチの切り替え方に乱れぬ息遣い…全てが彼女のスイッチで回る。間違いなく本物の女優だし、もっと彼女を重宝しないと行けない気さえする。
その他にも『きれいのくに』などで話題に上がっている青木柚や『ジオラマボーイ・パノラマガール』の主要キャストの一人であった若杉実森(現・若杉凩)など、キャストも重層的。ただ、作中演劇同様に無名な人ばかりだったと思うと、改めてその選球眼と演技力に驚かされる。
舞台の中止に対しての悔しさは1番松居大悟監督が知っている。畑がそっちということもあって、温度やカラクリを生かした、ワンカットならではのトランスフォームも魅力的。そして、そこに漂う温度があまりにも詰まっていて辛かった。どれだけの準備をして、稽古をして、公演に立つのか…それを知っているからこその若者讃歌。しかもそれをMOROHAが代弁する。ちゃんと聴いたことはなかったが、優しい語りから転調しサビに入ると強い歌へと入る。スッと染み入る言葉に殴られて涙を流しながら、行き場のない若者たちのもがきを見ていた。ワンカットならではのラスト、大いに痺れてほしい。
ワンカット故に演劇パートを挟みながら1ヶ月を過ごすので、少々粗く物語として掴みにくいところはあるものの、魂がぶつかり合う刹那は見逃せない。泥臭くて真っ直ぐな、シモキタ舞台の若者讃歌。
舞台畑の監督が目指す映画のかたち
ワンカットチャレンジはもちろん、MOROHAの歌がその場に同居する演出など、終始とても演劇的。最後のカーテンコールまでこだわり抜いて、新しい演劇映画というジャンルを確立させた気がする。
監督が思い描くステージは分からないが、次もさらなるトライを繰り返してくれそうで楽しみだ。
並行してつくっていく舞台作品にも注目したいところ。
映画だった
WE ARE ONE: A Global Film Festivalと言う企画でYouTubeで鑑賞。
映画の中で演劇を作っていく過程や挫折の物語を1カットで撮影するという変則的な作品。
すべてに繋がりを持たせることで、映画と演劇二つの物語、現実と虚構が有機的に絡み合い、かつ、ある種ドキュメンタリー的な生々しさや緊張感までが映像から伝わってくる演出は、1カットという技法にちゃんと意味を持たせている。
普通の映画より手間が掛かるだろうし、演じる役者さんたちも大変だったと思うけど、それだけの価値がこの映画にはあったと思う。
独特の世界観が癖になる
劇中劇というか、劇団の進展がそのままストーリーです。
斬新な内容と確かな演技力。
途中、叫ぶような歌声が、何度も挿入されますが。
どれもが、初めて経験する、新鮮かつ、印象に残る。
まちがいなく、日本映画の名作の一つです。
キライではないけど
ワンカットで撮ったり、劇中劇を挟んだり、音楽を入れたり、アイデアは面白いと思った。
ただ、1ヶ月という時間の経過があるのに、ワンカットで撮る必要があるんだろうか。せめて、日が変わったら服変えるとかできなかったのかな。
ストーリーはありふれてるし、全体的に少し物足りない印象。
やっぱり人の前で演じたい
作品自体は見れる。役者さんたちも良い。音楽も良い。何から何まで悪くない。やはりこのクオリティでなければ世には出せないんだと自分自身痛感しながらの一作ではないのだろうか?過去との比較をすることで自分を見直す全ての照らし合わせにおもえたりもするが、まぁ決して様々な人におすすめ出来る作品ではないですが、この作品は10年後も20時年後何年たっても色褪せない作品だと思うので間違いなく撮ってて良かったと言える一作品。私の20年後は68歳果たして20年後にこの作品とふたたび出会いたいとも正直思わないが、もし出会ったら間違いなく見る。そして見たら間違いなく胸は熱くなる。この作品はそんな作品だとわたしは思う。ありがとう。ありがとうございます。ありがとう。ありがとうございます。ありがとう。ありがとうございます。何度も何度も言いたくなる。何度も何度も言いたくなる。それがどういうことかは、今の監督なら間違いなくわかってるしわかってるからこそ起こした作品。ありがとう。ありがとうございます。
ワンカットで描きたいこと
舞台としてこの映画を見る人と
映画としてこの映画を見る人とでは
意見が違うんだろうな。
私は後者です。
ワンカットで映画を撮れることは素晴らしいことであり
裏にある役者さんたちの演技の移り変わりを生々しく感じることができるところだと思うけれども
途中で曲が入ることでそれが遮断されてしまうように思えてしまって入り込めなかった。
この女優さんはなんとも今まで見たことの無い魅力を秘めている。好きにはなれないけれど、見入ってしまう。
たしかにこの映画もそんな映画だったけれど
曲のせいで映画を見入ることが出来なかったことが残念でならない。
自己確認にしかならない
これをわざわざ全編ワンカットで撮った意味はわからないがそれはさておいて、結局のところ、底辺でもやもやした毎日を送ってるような奴らに説教するような内容のパターンの映画でした。
映画をそれなりに観ている人達からすればそういったことをを映画に込めた映画をもうたくさん観ていると思います。ですので僕にとってはすごく普通の映画に感じました。もう映画でお前はクソクソばっかり言われるのは言われ飽きました・・・。もっと違ったアプローチで来てほしかったです
松井大吾と言うか、SPOTTED作品
松井監督が実際に舞台で中止になった悔しさを、「それでそのままで良いのかよ!?」とモロハのアフロに言われて作った作品。
舞台挨拶でそう言ってたので、そうなのだろう。
じゃあなんで、実際の舞台メンバーを起用しなかったのか?の問には「まあ大人の事情が…」と言ってたけど、はあ!?て気持ちになった。なんなの?
本当に悔しかったの?
あんた。
親がテレビ局でお偉いさんだし、おぼっちゃまだし、そう言う底辺の悔しさとか知らんだろうけど、この映画は本当にうわべだけの悔しさしか感じなかったぞ。
なんなの?スポッテッドの直井卓俊は金持ちのクソ野郎か(自分の赤字に出ない)可愛い女の子にしかお金出さないのか?
最後のエンドロールは吐きそうになった。なんなの?ワンカットって?アホか?映画的ワンカットをつまんなかったイベントをワンカット風でオナニーしたかったのか?
ちゃんと言えよ、マジな話で。オマエらふざけて映画作ってるだろう
圧倒的
過去5年間ぐらいでみたどの小劇場演劇よりもよかった、映画だけど。演劇楽屋もののワンカットということでバードマンと比べる向きもあろうが、中年役者の悲哀と妄想をコミカルかつ残酷に描いたバードマンとはそもそもテーマが違うし、この疾走感は推せる。若い役者さんたちもみな達者で良かった。
じゃあ舞台でイイじゃん。
全編ノーカットで撮られた映画。
内容がオーディションで集められた劇団が舞台のモノなので、演劇を観ているかのような感覚を狙ったのでしょうが・・・
演劇は舞台という広い画角の中で行なわれて、その中で何を見るかは観客に委ねられているのが醍醐味で有るのに対し、この映画は終始演者のアップが続く。
ノーカットで撮りながら場所やストーリーを転換するために必要だったコトは分かりますが、そのせいでこの映画を観る人は、観たいものが“カメラ”という最も演劇とはかけ離れた装置によって制限されてしまうという矛盾が生じています。
コレを“実験的”と言えばそうかもしれませんが、私は「なら素直に舞台で見せて欲しかった」と思ってしまうのです。
エンディングでようやく息苦しさから解放されたように感じたのは、最後になってようやくカメラが引いて広い画角になり、観たいものを選ぶ権利がこちら側に戻ってきたから。 むしろ全編この引いた画角でノーカットでやってもらったら良かった気がします。
(それじゃあ演劇を定点で撮影したのと変わりませんが)
実験的な点は評価できますが、それが成功しているかというと・・・ 私は疑問符が付いてしまいます。
『自意識を持った宇宙』
全編ワンカット映像で進む、多分『バードマン』を意識した、演劇と映画の世界を行き来する青春映画である。芝居の練習時はスクリーンの画角の縦が狭くなり、それ以外は元に戻るスイッチングが行なわれるので、観客に分かり易く示唆している。主演の女の子の心情と、芝居の演目がオーバーラップしてゆくのも挑戦的である。
たまたまなのだが、最近下北トリウッドで映画を観た後、松重豊がバイトしていたという街中華屋で食事をし、タバコを吸いに適当な所を探していた際、奥まった時間貸パーキングをみつけたのだが、まさにそこがロケ地である、本多劇場の稽古場であった。そういう意味で図らずも聖地巡礼ということになるのか、偶然である。
ただ、ストーリー自体は、青臭い若者のやりきれない想いを、それでも大人の都合に刃向かう実力行使を引き超すレジスタンス的流れであり、その流れ自体はそんなに重要ではないように思われる。一瞬一瞬の主人公の気持ち、その周りの俳優との絡み、その気持ちを代弁するかのような、霊的存在としての位置づけである、ポエトリーリーディングのようなラッパーとバッキングギター。それが独特の世界観をぶつけながら観客に暴力的に問いかけてゆく。その全てが非常に実験的であり、興味深いのだが、何故だろう感じられ、後半はホロッとくるものがあるものの、しかし歳を取ったせいか、前のめりに共感はできなかった。多分、公演中止を告げられてからの一連の劇場ジャック迄の部分は、主人公達の妄想なんだろうと思う。このやりきれなさをどうやってぶつけたらよいのか、それを具現化するとしたらこうだみたいなことなのだろう。ラッパーの、『時間が全て解決してくれる だが、それは俺のだ、返せ!』の子供じみた、理不尽への強烈なカウンターを直接表現として演出したのが今作品のテーマであるといって良いと思う。ただ、捻りがないから、おじさんはのめり込めなかった。言いたいことは分かるんだけどね…役柄の背景も描かれないのも、共感度合いが低い原因とも思うのだが、今作品はターゲットをキャストと同じ年代に絞ったという意図があるのだろうね。若い人には響く作品なのであろう。
制作意図なんかあるのかな
松井さんの映画あわないんだよね。でも観ちゃうんだけど。いつもは「女の人なら解るのかな?」って思ったりするんだけど、この映画はそこもなかったな。
「舞台の公演をやります」ってオーディションで集められた若者が稽古するんだけど、公演一週間前に「前売の状況が芳しくないので舞台中止します」って言われて「私達の気持ちはどうなるのよ!」っていう話なの。
「どうなるのよ!」って言われても、稽古風景みる限りではそこまで面白くなさそうだし、中止で良かったんじゃない?って気しかしないのね。
あと劇場は借りちゃったし、スタッフの予定も押さえただろうから、公演は普通はやるんじゃないの?一週間前まできたら。そこで中止にしても大して費用は浮かない気がするんだけどな。
まあ、それで、この映画ワンカットで取ってるのね。「74分ワンカット!」って宣伝文句にもなってるの。ワンカット映画観ると「いや、カット割ってもらって、編集してもらっていいですけど」っていつも思うのね。これ作り手の自己満足以外に何か意味あるのかな?
ラストまでワンカットでたどり着いてタイトルも出て「まさか『カット』の声と共にその後の様子を映したりしないよな」と思ったらやりやがったよ。本当に自己満足だよ。
松井監督が舞台中止になった悔しさをぶつけた作品らしいんだけど、なんか観てるとね「体験を作品にしたいけど、そのまま作ってもつまらないからワンカットで人目を引いてみようかな」ってやったようにしか思えないの。
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