甘き人生のレビュー・感想・評価
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マッシモが泣けるようになるまで
この作品で最も印象的なのは「落ちる」シーンの多さだろう。何かが引力に引かれて地面に落ちる。
それは主人公マッシモの母親を示唆するものであり、観ている私たちに向けた印象操作である。
しかし同時に、マッシモの心の内を表しているようにも見える。つまりマッシモは、母親の最期を知っていたことを意味する。
知っているが知らない。誰からもハッキリと言われなかったせいで、確定していない母親の死因。なんなら子どものうちは母親の死すらマッシモの中で確定していなかったかもしれない。
大人になり薄っすら分かっているものの、皆が言葉を濁すせいで確定しない辛さ。それがマッシモを苦しめるのだ。
一方で、それを確定させたくない気持ちもマッシモの中には存在する。
物語終盤で、マッシモは新聞のお悩み相談の返信を担当する。
マッシモは自身の境遇をさらけ出したことで揶揄され、同時に多くの共感も得るが、マッシモの中では少し違った感覚があったように思う。それは、自分の母親が亡くなっている事実を確認したことだ。
今まで知りたかったことは死の真相であるが、もうすでに母親が亡くなっているのだから、そんなことはある意味でどうでもいいことなのだと気付いたのだ。
母はもういない。母親が生きている人が幸福なことならば、マッシモは不幸の人ということになる。それは、本当の意味で母親の死を受け入れ、やっと悲しむことができた瞬間だった。
マッシモにとって必要だったのは死の真相などではなく、その死を受け入れ、しっかりと自分の中で悼むことだった。
にも関わらず
子供にとってママが死ぬというのは、想像を絶する苦しみですが、ママはママで苦しんで生きていたということが、大人になったら少しは理解ができるはず。でもマッシモは、まだまだ受け入れられそうにありません。本質的なところでいつまでも子供のまま、成長出来ずにいます。イタリアはマザコン文化(一番愛する女性=ママ)なので、余計に喪失感が大きいのかもしれません。
全体的に重いストーリーですが、私は好きです。ちょっと考え込んでしまったのが、ボスニアの母子のシーン。悲劇はドラマにもエンタメにもなる。だからこそ、演出もする。ジャーナリストのタフさと繊細なマッシモの描写が、とてもリアルでした。
『もしも、ママが生きていたら』ではなく、『ママが死んだにも関わらず』と思うのは、今生を生きていく為の知恵ですね。私も辛いことが起こったら、『にも関わらず』と思えるようにしようと思います。
甘き人生…?
邦題と日本版のジャケットから、イタリア的な熱いねちっこい恋愛劇にしか見えないのが残念すぎる、親子愛のドラマ。
流れとしては、子供の頃に母をなくしてからというもの、人を愛せずなかなか前に進めないおじさんの話なのだけど、プールの飛び込みと窓から落とされる置物、ラストのなかなかお母さんが出てこなくて不安になるかくれんぼだとか、状況、心境を暗に映し出すようなシーンが深く心に残る。
お母さんが元気だった頃に2人で楽しんだダンスだとか、美しい息子と彼を溺愛する母親の不思議な関係性とか、「母」に対する情感がときには活き活きと、ときには切なく描かれる。
これまでの自分と親との関係を、見つめ直してしまう一作。
感動
1969年、9歳の少年だったマッシモの前から、ある日突然、母親がいなくなってしまい、司祭から母親は天国にいると諭されるも、その事実を受け入れらないマッシモは、喪失感にさいなまれる。時を経て90年代。ジャーナリストとして成功を収めたものの、いまだ心の傷がいえずにいたマッシモは、彼の苦悩を理解し、愛を与えてくれる女医のエリーザと出会う。母親の死因は心筋梗塞だと教えられていたが、女医のエリーザの指摘で疑問を抱くが誰も教えてくれなかった。家を片付けることになってようやく叔母に母は病気を苦にして投身自殺を図ったことを明かされる。彼の喪失感は計り知れないものがあった。
母親を早くに亡くすということは子供の人生にかくも辛い思いをいだかせるものであるとは想像を超えていると思う。
ボスニアの少年
イタリアンホラーっぽい作りや映像は好みが別れるかもしれませんが、昔の風景を合成したりは苦労がしのばれます
個人的には母を失ったボスニアの少年がかわいそうでかわいそうで気が狂いそうでした
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