「マッシモが泣けるようになるまで」甘き人生 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
マッシモが泣けるようになるまで
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この作品で最も印象的なのは「落ちる」シーンの多さだろう。何かが引力に引かれて地面に落ちる。
それは主人公マッシモの母親を示唆するものであり、観ている私たちに向けた印象操作である。
しかし同時に、マッシモの心の内を表しているようにも見える。つまりマッシモは、母親の最期を知っていたことを意味する。
知っているが知らない。誰からもハッキリと言われなかったせいで、確定していない母親の死因。なんなら子どものうちは母親の死すらマッシモの中で確定していなかったかもしれない。
大人になり薄っすら分かっているものの、皆が言葉を濁すせいで確定しない辛さ。それがマッシモを苦しめるのだ。
一方で、それを確定させたくない気持ちもマッシモの中には存在する。
物語終盤で、マッシモは新聞のお悩み相談の返信を担当する。
マッシモは自身の境遇をさらけ出したことで揶揄され、同時に多くの共感も得るが、マッシモの中では少し違った感覚があったように思う。それは、自分の母親が亡くなっている事実を確認したことだ。
今まで知りたかったことは死の真相であるが、もうすでに母親が亡くなっているのだから、そんなことはある意味でどうでもいいことなのだと気付いたのだ。
母はもういない。母親が生きている人が幸福なことならば、マッシモは不幸の人ということになる。それは、本当の意味で母親の死を受け入れ、やっと悲しむことができた瞬間だった。
マッシモにとって必要だったのは死の真相などではなく、その死を受け入れ、しっかりと自分の中で悼むことだった。
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