はじまりの街のレビュー・感想・評価
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喜劇のはじまり
人は決断する時
最善だと思って人生の選択をする
でもそれが正解かその時には分からない
未来のことは誰も分からない
やっぱりこの選択間違ってた、、
なんて思うことは何度もある
でも視点を変えて
だから今自分はここにいる
正解だったと思うことはできるし
そうしないと悲劇の人生で終わる
人生は近くで見ると悲劇だが
遠くから見れば喜劇だ
まさにこれ
トラブル続いたり辛い思いをしても
助けてくれる人がいたり親切にしてもらったり
友達ができたり恋をしたり失恋したり
それだけでこの世に生まれた意味ってある
喜びも悲しみも生きてないと出来ないことが
生まれた瞬間からはじまっている
むしろ悲しみがないと喜びも感じることが
出来ないんじゃないって思うくらい
スーパーポジティブに考えてもいい
ちょっと気持ち悪いけど笑
休日が眩しいのは普段しんどい思いして
働いてるからなんだって
無職のメリハリのない休み期間中に
感じたことがあった
なんてことはどうでもいいとして笑
この親子がこの街に逃げてきた時から喜劇のスタート
泥沼に長靴ではまって抜け出せなくても
一歩抜け出せた時には
あ〜よかった、抜けた抜けた!
あんなに苦しかったのに
もがいていた数秒前の自分の残像を見て
バカだね〜と、一瞬で喜劇に変わる
人生ってしんどいけど素晴らしい
青春
DVのの夫から逃げて母の友人と暮らす主人公の少年の心の葛藤と彼の周りで見守る人たちとの交流を描いた作品。新しい街で娼婦との出会いや友達の居ない寂しさ、彼のことを気にかけてくれるピストロの店主などに助けられながら生きていく少年の姿が切ない。友達も出来ないことで母親につらく当たったりするがラストでは友達にサッカーに誘われて嬉しそうに出かける彼の姿が印象的。
負の連鎖から正の連鎖へ
改めて、子どもってたいへんだな、と思います。自分の力で生きていけないが故に親に依存せざるを得ず、親の都合で運命が二転三転していく。大人ならばそれなりにあがけるけど、子どもは単に翻弄されるだけですからね。
親のDV、そのため遠く離れたトリノにある母の友人宅で過ごさなくてはならなくなったヴァレリオ。突然、住み慣れた街から切り離され、友だちとも離ればなれ。これは不条理、マジでキツいですよ。そもそもDVは児童虐待ですし(暴力の目撃は心理的虐待ですよ)、心に負ったダメージは半端じゃない。淡々とした描写ですが、ヴァレリオの置かれかた状況は壮絶です。
この状況下で、学校に適応して友だち作るなんて無理無理。ただの引越しですら子どもにとってはたいへんなのにね。
公園にいる移民のストリートガールに惹かれていくのも、自分の寄る辺なさを相手に重ねて見ているからかもしれません。
そんなヴァレリオ少年が再生するには、伴走者が不可欠です。バルのマスター・マチューの存在はデカかったですね。ヴァレリオに欠けていた父親機能を果たし、ちゃんと思いを受け止めていく。自転車を直して2人が交流するシーンやヴァレリオが失恋の思いを吐露し、それを受け止めていくシーンは出色の出来だと感じました。
そんなマチューも孤独です。ヴァレリオの母を受け止めたカルラも孤独。
この映画は、少し余裕のある孤独な人が、切迫した孤独な人に手を差し伸べる作品です。カルラなんか犬を飼うようになったりして少し成長しちゃうなど、差し伸べた側にも暖かな変化がある。負の連鎖から正の連鎖へと向かっていく様子を繊細かつ丁寧に描いた、本当に良心的な映画でした。
あと、本作で気になったイタリアの生活について。
カルラがヴァレリオに対して、「13歳だからコーヒーはダメよね」みたいなことを言ったと思います。イタリアでは子どもはコーヒー飲んではいけないのだろうか?ググってもよくわからなかった。
それから、児童心理の専門家にアクセスするのに両親の許可が必要、という被虐待児に対して酷すぎる法律があることにビックリ。イタリアは閉鎖病棟をなくすなど、精神保健に関して進んでいる印象を持っていただけに驚きは大きかったです。
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