「怒りを含んだ笑いを抑えつつのレビューである。」交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1 皆友さんの映画レビュー(感想・評価)
怒りを含んだ笑いを抑えつつのレビューである。
映画から離れていた日々が続いていたのだが、まさかエウレカがまた新しく映画化していたことを知らなかった。
友達に、「そういえばエウレカの新作、次はアネモネだってよ」と言われ、なるほどそうかと思って早速レンタル店に赴いて見たところである。
ちなみに私は原作が大好きだ。特にアネモネが好きだったのだが、友達の話からアネモネは多分一作目には出ないだろうな、と思っていた。
それ以上に「一作目はだめだね」とも聞いていたのだ。私はあの黒歴史の再来を予感した。残念ながらその予想は的中してしまったのだ。
この際だからはっきり言わせてもらおう。エウレカセブンをおもちゃのように組み替えて再生産するのはやめてほしい。
画像が昔張り付いて楽しみにしていたテレビサイズになった瞬間、違和感を覚えた。いや、これは原作を見ていない人にも一から楽しんでもらうためだ。そう思ったが、途中で原作と違うところが出てくる。気になってぐぐってしまった。
その点に関しては長く文句は言わない。声優の起用に関する事情があったことも理解した。
この映画に関して大きく言いたいことはいくつかある。
一つ、過去造ったアニメで映画を作ってるのだから、振り返りで原作の映像を使うことは理解できる。しかしその量があまりにも膨大すぎやしないだろうか?
最初の二十分と最後の出がらし程度しか新規映像が使われていない。それ以外は使いまわし。
構成もよろしくない。それもそのはずだ、「●日前」「●日前」「●時間前」と、レントンの心情を追うために何度も時系列が飛ぶ。その際もさっき見た映像を使うのだ。
おかげで頭が混乱する。自分はいまどの時空に存在しているのだろうかと疑いを持ってしまうのだ。
原作の展開を、この映画との違いを、いやというほど思い出させてくれた点には感謝したほうがよいだろうか?
上に挙げた「●日前」を初めとするテロップ群が画面の半分を占め、情報が読み切れない。初見で全部読むことが出来た人間はいるのだろうか?
そのせいでいちいち停止する必要も出てくる。幸い映像に関しては使いまわしだから、後半はテロップの方に集中していたぐらいだ。
「ポケットが虹でいっぱい」で大コケし、原作ファンの怒りを買った事実があったから、設定は大きく変更することなくリブートでもしようと思ったのだろうか? ならば画を書くことだ。
「ポケットが~」ではエウレカとアネモネとニルヴァーシュがたまらなくかわいいという褒める箇所も存在した。今作はそれもない。
小手先の技術を用いて何度も煎じた「エウレカセブン」という世界を、またもや適当に煎じた程度の評価しかすることが出来ないのだ。
私は「映画」が見たいのだ。アニメの総集編なら録画した原作を見返す。
設定を変えたなら、あんな姑息な手段を用いずに表現する方法はいくらでもあるだろう! なぜエウレカセブンはそんなことさえできないのか!
少々熱くなってしまった。
この作品にも褒めるところは存在する。最初の二十分だ。数々のテロップを除いて、ここだけは素直に称賛したい。新規の板野サーカスを見ることが出来る。
この一点だけで0.5点を勝ち取っているが、それ以外は見る必要がない。パンフレット一枚で済む情報を薄めつつ使いまわして終わりだ。
「つづく!」何て最後に言われたものの、私は自身を失くしている。
別作ではあるが、最近公開予定がようやく発表されたシンエヴァと同様である。あれも見返したのであちらのレビューも書かなくてはならない。既に書いたかは忘れている。
しかし、ヱヴァQに抱いた、「あぁ、ここから続くのか……」という不安、「これどう擁護すればいいんだよ」という諦観、それでも原作ファンとして「最後まで見なくては」という決意。
その三つを改めて抱かせてくれた本作には、謝辞を送りたい。
これで、何があっても先に進む勇気が湧いてくる。
アドロック・サーストンも言っていたのだ。
「ねだるな、勝ち取れ。さすれば与えられん」
この酷評は、私がエウレカセブンがよりよくなるために取った些細な行動だ。しかし、これは偉大な一歩でもある。
理想のエウレカセブンをねだってるだけではいけないのだ。勝ち取らなくてはならない。そうしなければ、我々はまた絶望を与えられることになるのだろうから。
むしろここからどう持ってくるのかが楽しみでもある。これ以上落ちぶれた展開にはならないだろう?
なので、胸の昂り(動悸かもしれない)を抑えながらその日を待とうと思う。
願わくば彼女が汚されませんように……