「自由からの迷走」勝手にふるえてろ Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
自由からの迷走
『勝手にふるえてろ』(2017)
主人公、江藤良香(役、松岡茉優)の当惑やいらだちの原因は、現代日本社会の性の自由奔放さ、または規範の一致していない男女の交際から結婚の間。恋愛事情にある。簡単に言えば社会のせい。賢い時代には、女性のほうに貞操感覚を与えていたのだった。ところが1960年代頃から、結婚に無関係の男女であっても肉体関係を持つのを何の不思議とも思わないどころか、結婚もしていないのに肉体関係を持つことを、それが複数であっても、むしろ1980年代などはそれを行っていない人たちのほうが身分の狭いような社会風潮の最盛期であった。だからヨシカは会社の人たちが自分を処女呼ばわりしている妄想で嫌な気持ちになったり、キレてしまったのだ。作家の綿矢りさの原作は読んでないから、私と同世代らしい女性脚本家の脚色が入っているのかどうかわからないが、そんな社会風潮の汚れた中でも、鏡のごとく純情な男がストーカーなどという言葉で消されてしまうような近似値で現れて来るのだが、恋人未満から恋人から夫婦に至るまでの間で、精神的に同意に至るのだろうが、原作は知らないが、この映画では、同意した時点で、その前に心底の双方の告白があるのだが、抱き合いキスシーンで終わるのだが。その前に婚外妊娠の嘘をついて会社を休んだヨシカに、大雨の中、結ばれると形容されてきた男、霧島(役、渡辺大知)が
心配になってずぶぬれになってやってくる。霧島はヨシカの妊娠の嘘から、誰の子なのかと怒っていたのだったが、ヨシカが嘘だと言い、言い合いの最後で「結ばれ」て映画は終える。ところで、この結ばれるという段階がどこまでを言うのかが、現代日本社会の錯誤の問題になる。日本人には、フリーセックスをなんとも思わない男女と、結婚のごとく肉体関係と精神的関係に永遠を憧れる男女が混在してしまっている。それで複雑な小説が出来上がり、漫画が出来上がり、映画が出来上がる。自由ゆえに苦労して、その前に大勢の人たちは、勢いに失敗したり、幾つもの迷路に阻まれるうちにやる気を無くす。少子化になるのは当然である。金持ちが有利なのも同じ理屈だ。