「ヨシカへ。過去の自分へ。」勝手にふるえてろ hhelibeさんの映画レビュー(感想・評価)
ヨシカへ。過去の自分へ。
平日の日中なのに、かなりの客入り。
なるほど評判になるのも納得の面白さだった。
そして、「松岡茉優という女優を最大限に活かすにはどんなキャラクターでどんなストーリーにしたらいいんだろう」という着想から作られた映画なんじゃないの?と思うほど、松岡茉優の魅力が溢れ出していた。
隣人に「後光が差してる」と言われたあとの彼女のリアクションの可愛いこと!
映画と彼女、互いにとってとても幸せなキャスティングだと思う。
…が、映画を観終えて数時間、私に残った感情は「怒り」だった。
私はヨシカが嫌いだ。
中高時代、丸一日学校にいて、誰とも一言も話さずに帰る日なんてザラだった。
まさに私は「透明」だった。
どうして私だけがこんな目に、と思ったし、クラスメイトを憎んでもいた。
それから20年。
その間にどれだけ恥と手汗をかいたことか。
初対面の人とのコミュニケーション。知り合いのいない飲み会。寄る辺ない立食パーティー。
みじめな目に遭っても、傷ついても、なんとか人並みの会話ができるようにトライした。
今でも私の内面にはコミュ障気質が残ってるけど、それでも傍から見れば人並みに見えるんじゃないかと思う。
そして、この年月の中で気がついた。
中高時代に壁を作っていたのは、クラスメイトじゃなくて私だった。
「どうせ私なんて」
「どうせ分かってもらえない」
「あの人たちはどうせ」
そうやって伝えることを諦めたら、周りの人に私がどんな人間か、何を考えているかなんて分かるわけがない。
「透明」になるのは当たり前だ。
そのくせ、本当はさびしくて、「誰も分かってくれない」とコミュニケーション不全を周囲のせいにして、被害者モードになる。
と同時に「どうせ私はコミュ障だから」と、より自分の中に閉じこもる。
…ああイライラする。
ヨシカは強引に、暴力的に、私に20年前の私を思い出させる。
(悲壮感たっぷりの「絶滅すべきですか?」も、私には「『そんなことないよ』待ち」に思えた)
明らかに「嫌な女」として描写されていた、イチに「連れてってよ〜」とか言う同級生の女、彼女だってもしかしたらイチのことがずっと好きだったかもしれない。
同窓会を知って、久しぶりにイチに会えると思って眠れないほどドキドキしてたかもしれない。
どんなメイクにしよう、どんな服にしようと悩みまくったかもしれない。
みんな同じなんだよ。
みんな傷ついて、それでも土俵に上がって戦ってるんだよ。
「あの人たち」と「自分」を隔ててるのは、ただ自分の心なんだよ。
彼女は自分の不幸には敏感だけど、幸福には鈍感だ。
まず、化粧っ気がなくて可愛い(←これ最強のやつ)。
そしてオシャレ。
だから10年前の恋に逃げ込んだままで何のアクションも起こさずに、社内の男に惚れられたりする。
さらに職場には気の置けない友人・くるみがいる。
人間関係に悩みを持つ人にとって、くるみの存在は本当に羨ましいだろう。
冗談の趣味が合って、何でも笑って話せる友人。
でもヨシカは「私には友達なんていない」と不幸がる。
これが友人にとってどれだけ悲しいことか、彼女は気づかない。
でも。
ラストシーンで二とキスする直前にヨシカが言った「勝手にふるえてろ」は、今までの自分に対しての言葉だったのかな。
自分の思いを伝えずに心の中で自己完結して、そのくせ外からのアクションを待ってばかりいた、今までの自分を突き放す言葉だったのかな。
もしそうだったら、「これから大変だけど、まあがんばれよ」と伝えたい。
ところで、二も後半はやたらかっこいい事言うようになるけど、出会ってから付き合うまでは途方もなく身勝手にしか見えなかった(前半はむしろこっちにイライラした)。
彼女の気持ちやパーソナリティを完全に無視し、「地味で可愛くていいお嫁さんになりそう」という自分の思い込みだけで突っ走り、女を振り回す男。
この先付き合って結婚したとして、二は「こんな女だと思わなかった」と何度も何度も思うだろう。
それは彼が「彼女はどんな人間なのか」を本気で知る努力をしなかったからだ。
……だからまあ、お似合いじゃないですかね!どっちもがんばれー(なげやり)
しっかし、他人との軋轢が生まれた時にきちんと話をせず、一方的にシャッターを下ろして関係を断ち切ったり、ありもしない嘘をついて周りを混乱させるようなメンヘラちゃん、私は恋愛相手としては一番の“地雷”だと思うんだけど、男性はヨシカを「可愛い」と思うのかなー。
…と、こんなに色々言いたくなってしまうのも、この映画にそれだけ惹き込まれたからで。
くるくると変わる松岡茉優の表情に笑ったり泣いたりしているうちに、自分の内面にあるいろんな感情を揺さぶられる、映し鏡のような映画なのかもしれない。