あさがくるまえにのレビュー・感想・評価
全7件を表示
映像表現は数少ないほど解り易くて良い
「朝が来る前」から幾日か後の「夜明け」までを、欧州的な「華奢」なシナリオで写実美追求的に描いた、美作。
シモンが夜明け前の海で「波乗り」に興じ、水中に没しながら眺める景色が美し過ぎる。銀河に湧き立つガス雲の様でもあり、母の胎内の記憶が眼前に広がって居る様でもあり。
事故の前の映像表現も素晴らしい。目の前の道路が泡立ちはじめます。それは少しづつ容を明確にして行き、最後は海面に変化して行く。
耽美的なダイナミズムって、あり得るんだ。凄い!
シモンは片思いの彼女を驚かせるアイデアを思い付きました。バイクで、あの丘を駆け上がる!ケーブルカー乗り場で、じゃあね、と別れたシモンの姿を頂上の降り場で見つけた時の彼女の可愛さが好き。
ドナー側コーディネーターの青年は、執刀医を制止し、シモンの耳にイヤホンをつけてあげます。流れて来たのは、彼女が選んだ「海の音」。シモンは、還っていきました。
移植を受けたクレアは目を覚まし、その横顔に朝日が差し込み、物語は、そこまでで終わり。
見れて良かった!
心臓移植の、その起点から終点まで淡々と描いただけの映画ですが、ガッツリココロに残りました。
命に重さはないものの
割り切れないのが、臓器移植の問題。
演出が変わっていて、色彩がよりハッキリとした撮影の仕方をしている。
冒頭のサーフィンから交通事故に至るシーンなどは、映画らしい演出となっており、関心する。
確かに、他の方が触れているように、移植を受ける側のストーリーはあまり描かれていないようだ。
医療関係者が見ると、また違った感想を持たれるのだろうと思った。
うーむ
むずいお題だ...
予告見て
母親か彼女の為に
飛び降りて臓器を提供するみたいな?
話しかと思ってました。
全然違ってたぁ〜
家族の心中察します...
希望に満ちたような
笑顔で
ラストだったので
少しは救われました。
シートベルトは
ちゃんとしましょうね‼︎
やや安易な場面も
命のやりとりに直面した人々の葛藤を静謐なタッチで描き出す。夜明け前、青年シモンは恋人が眠るベッドをそっと抜け出し、友人たちと一緒にサーフィンに出かける。しかしその帰り道に自動車事故に巻き込まれ、病院で脳死と判定されてしまう。報せを受けて病院に駆けつけたシモンの両親は現実を受け入れられないまま、医者から臓器移植コーディネーターのトマを紹介される。一方、パリで暮らす音楽家の女性クレアは重い心臓疾患で臓器提供を待っていたが、若くない自分が他人の命と引き換えに延命することに疑問を感じていた。
シモンの両親の意思表示までの過程に深みがない、ラストシーンはクレアの笑顔で終わるところは共感できた。
生と死
アンヌ・ドルバルが出ているので観に行ったら、看護師の役でモニア・ショクリ(「胸騒ぎの恋人」の)も出ていました。二人ともグザビエ・ドランの映画でおなじみです。
主に前半が臓器提供者の側の、後半が受ける側の話でした。原作があるようですが、クレアのほうをもう少し掘り下げてほしいかなとも思いました。
画面構成にはセンスが感じられました。
オペのシーンは私には生々しくて、目をつぶってしまいました。それにしても医療従事者のかたはやはり大変ですね。夜でも急に手術をすることになったり。日本語のタイトルの意味がよく解りました。
自分や家族がこのような立場になったらどうしよう?と深く考えさせられる映画でした。
日本の臓器移植の現状を思う
本作の原題は『生者をつくろう』になり、原作はフランスでベストセラーとなった小説らしい。
ファルハディ監督作の『ある過去の行方』や『サンバ』『消えた声が、その名を呼ぶ』、黒沢清監督作品『ダゲレオタイプの女』などに出演してこのところよく目にするタハール・ラヒムやグザヴィエ・ドラン監督作品『マミー』で強烈な母親役を演じたアンヌ・ドルヴィルが本作へ出演している。
脳死と判断された少年とその家族や恋人と、心臓を提供される女性と2人の息子と恋人、心臓提供に関わる医師やスタッフを描く群像劇であり、誰に焦点が当たっているとも言いがたい作品になっている。
監督のカテル・キレヴェレは「メイン・キャラクターのいないリレーのような映画を作りたかった」と語っているが、ある意味誰に対しても感情移入しづらい面があり、それだけで苦手な人がいる作品だと思う。
感動するとかそういう類いの作品でもなく脳死から心臓移植までの過程、そこにまつわる人々それぞれの悲喜こもごもを淡々と描く知的な映画である。
脳死は植物人間とは違うので生き返る可能性はゼロらしいが、臓器移植法が制定されて20年が経過した日本での臓器移植は2014年の時点で37件、100万人に対して0.32人と欧米の5〜6人、台湾の3.7人、韓国の1.3人に比べて相当低いらしい。
そのせいか以前は日本で臓器移植を受けられない家族が痺れを切らして募金によって渡米して手術を受けるというケースが相当あった。
しかし近年は外国人に優先させるのはおかしいという世論に押されてそれもままならなくなっている。
お隣の大国では法輪功という宗教団体を弾圧した際に行方不明の信者が多数発生していて、彼らの臓器を闇で売買していたと言われている。
日本でも開催された『人体の不思議展』で利用された臓器はほとんどが彼ら法輪功の信者たちのものだったと言われ、フランスでは同展の中止を命じる判決まで出されている。
筆者も北京留学中に自然博物館で相当数さまざまなホルマリン漬けの人体や臓器を目にしたが、正直どこから調達しているのか不思議なものがたくさんあった。
現在も死刑囚はもちろん囚人からも臓器が取り出されて売買され政府や軍の資金源になっていると聞く。
また特に子どもの臓器は高く売れるため東南アジアでもその目的で子どもが誘拐されている。
そしてアメリカで拒否され始めた日本の患者たちが知らず知らずのうちにそれら闇臓器を利用する事例が多発している。
本作ではティーンエイジャーの少年の臓器移植に両親が賛成して物語は進んでいくのだが、日本の場合上記の数字が示すように国内での臓器提供は少数であり、幼児や10代の子どもではいくら脳死でいずれは心停止を起こすと分かっていてもさらに臓器提供は難しいだろう。
これは日本人の宗教観に影響しているのかもしれないが、たとえ死体であっても体に傷を付けることをよしとしないのだろう。
本作からはそれぞれの人々が命を大切にしていることは十分伝わってくるのだが、筆者は日本ではフランスのような決断は難しいだろうなと観ている最中からつらつらと考えてしまった。
ただ1点残念なのは心臓を提供される女性がレズビアンという設定である。
原作よりも女性のキャラクターを深く掘り下げているらしいが、もし映画で追加された設定であるなら、ただでさえ重い話がテーマなのにさらっと滑り込ませるにはふさわしくないように感じられた。
心臓移植の手術シーンは実際の手術にスタッフや俳優たちが立ち会うなど相当綿密に準備して映像化されているようだ。
しかし、同時に高精彩なCGを見慣れてしまった現在、どうしても切開する際の肌や心臓が作り物であることもわかってしまうのも避けられない。
いくら実写だとわかっていても『ダンケルク』の空戦がお粗末に見えてしまったのと同様に、映画業界全体がCGを使うか使わないか新たな難しい選択に直面していることを感じた。
なお心臓提供をする少年とその恋人はオーディションで選んだらしいが、本当に若い生命を感じさせる演技で素晴らしかった。
本当に日本にも見習って欲しい。
オーディションをすれば男女ともに絶対に日本にも素晴らしい逸材がいるはずである。
大自然の営みを人間の身体を使って描く、見事な死生観ストーリー
これは傑作だ。言葉を尽くしても伝わりにくい。ぜひ観てほしい。
一言でいうと、"心臓移植の映画"なのだが、ドナー(臓器提供者)となる青年シモンと、レシピエント(臓器受容者)の音楽家クレアの物語になっている。医学モノとしても、死生観を物語ったヒューマンドラマとしても新しい。
青年シモンのエピソードでは、恋人や友人との関係を映し出し、突如やってきた"脳死"という事実に向き合わなければならない家族の混乱と決断を描く。また、音楽家クレアは臓器提供を待つ心臓疾患を抱えているが、子供も大きくなり、若くない自分が他人の生命を受け取ることに疑問を感じている。
そんな2人のストーリーを交えながら、"心臓移植"という生命のリレーを静かに淡々と捉えている。立場によって変わる印象~死別による"悲しみ"と、移植成功による延命を勝ち得た"喜び"の対比。そこに関わる医療関係者の立場もそれぞれだ。
地球や大自然を営みを、生命の死滅と再生という視点から描いた作品は多くあるが、"人間の身体"を具体として表現した作品は、なかなかない。
本作ではさらに、"臓器移植コーディネーター"にフォーカスしている。本作は24時間という実時間の中で完結するストーリーだ。
コーディネーターのトマは、脳死患者の家族に事実を伝え、その命が別の命を救う可能性があることを説明する。家族を説得するわけでもなく、かといって臓器移植を待つ医療機関のために、限られた時間内ですみやかに仕事をまっとうしなければならない。トマは、シモンの両親に寄り添いながら、その"デリケートな仕事"をこなす。
印象的なのは、臓器を取り出す瞬間の現場シーン。トマは脳j死状態のシモンに話しかけ、恋人が託した曲をイヤホンで聞かせる。また処置後のシモンの遺体を丁寧に洗浄する姿は、「おくりびと」(2008)の納棺師を彷彿とさせる。
カメラワークも特筆すべき点がある。長回しを効果的に使って時間経過をコントロールしている。また早朝の空気感、海(波)、手術着と処置室の色彩など、全編にわたってブルーを基調として理性的な受容を促している。
原作はメイリス・ド・ケランガルのノンフィクション小説で、2003年に出版されてベストセラーになった。英語版の「The Heart」は、あのビル・ゲイツが毎年発表する、"この夏の必読書5冊"に選ばれたことでも有名である。また秦基博の2009年のバラード楽曲「朝が来る前に」が、本作タイトルと同じということでイメージソングとなっている。
(2017/9/16 /ヒューマントラストシネマ渋谷/シネスコ/字幕:寺尾次郎)
全7件を表示