はじまりのボーイミーツガールのレビュー・感想・評価
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何を騒いでいる!!
協奏曲ニ短調 BWV 974バッハ
だけが良い。
愛とはそう言うものじゃ無いと思うよ。目が見えなくなるんだから、たかがチェロの受験が出来なくなるのが怖くて、治療に専念しないのはおかしい。
『スラムダンク』の『俺は今なんだよ!』とは違う。つまり、『スラムダンク』の『俺の今』は『今しかない』のだ。でも、『この少女の今』は『次でも良い』のだ。従って、計算された嘘になる。チェロが好きなのではなく、受験に成功したいだけ。
つまり、出来る出来ないの緊張感で話が進むのではなく、一級市民か二級市民かの問題。この演出家の出世と同じ。彼はチェニジア出身で、チェニジアとフランスの二重国籍になる。二重国籍の場合はフランス国籍が取り消されるか、二級市民に位が落ちるらしい。まだ、決まっていないが、極右政党が政権を取ればそうなる。
それが、良いことでは無いが、そう言った政治の話を少年少女の恋愛と重ね合わせるのは計算高く感じてしまう。
この場合、父親が心配するように早く医者に治療をさせるべきだ。
何考えているんだ。
病気の障害は観念論では済まない。この少年は愛を履き違えている。
少年の抵抗で手遅れになった可能性もある。
まあまあだった
お涙頂戴のストーリーで女の子が失明しかけているというのはかわいそうで、エンターテイメントの出汁にするのもどうかと思う。お父さんが横暴で、女の子に音楽院の試験を受けさせないのもどうなのだ? 1日入院が遅れるくらいで何か変わるのか、それ以上にストレスが病気に悪いのではないか。そんなこんなも作劇の下手さによるものでもうちょっと有能な人にシナリオを書いてもらうべきである。
主人公が双子と自動車整備工場で音楽をやっていて、彼らと女の子のチェロのセッションがもっと見たかった。
可愛らしい二人の初々しさと健気さに思わずきゅんとなる
フランスでベストセラーになった小説の映画化という風には聞いていたけれど、作品を見て、あぁつまりヤングアダルト小説(日本ではライトノベルと言うのかな?)みたいなジャンルなのだろうと気づいた。かといって、ヤングアダルト小説だからと侮るべきではないのは「きっと、星のせいじゃない」や「ボクとアールと彼女のさよなら」などと言った素晴らしい青春映画もヤングアダルト小説が原作だったりするからだ。この「はじまりのボーイミーツガール」もそんなヤングアダルト小説の映画か作品らしい瑞々しさと爽やかさと、ちょっぴりほろ苦い痛みを描いた作品で、言語がフランス語ではなく英語だったらハリウッド映画と見間違えてもおかしくないほど軽やかでキュートで個人的にはとても好み。はじめての恋をした少年と少女の初々しさにきゅんきゅんしつつ、その奥に隠された厳しい現実に胸を痛めつつ、健気に直向きに立ち向かおうとする二人の姿に心が洗われていくよう。初恋なんて遠い昔に過ぎ去ってしまったこの心に、淡いトキメキが蘇ってくるみたいで、ずっとドキドキしながら楽しませてもらえた。
正直なところ、主人公の年齢がまだ幼いためか、ストーリーとしてはヤングアダルト小説よりも更に年齢層を下げた「少女コミック」的な側面を感じたのも事実。設定やストーリー展開には粗が多く目立ち、現実的に見ればツッコミ所の多い少女コミックのような内容であるのは否めないだろう。ある意味、淡いロマンスに憧れを抱く夢見がちな少女たちの空想のようなファンタジー感は、大人が鑑賞するにはかなり気になる部分。それでも私がこの映画を好きだと思う理由は、何しろ主役のジャン=スタン・デュ・パック少年が抜群に可愛いってこと!映画の上映時間中ずっと、ジャン=スタン・デュ・パックにひたすら萌えまくっていたと言っても過言ではない。だってもうただの天使なんだもん。あの柔らかそうな頬も、ふわりと巻いた毛先も、まっすぐな瞳も、あぁなんて可愛らしい。彼の可愛さに免じて、つい評価が甘くなってしまいます。
数々の粗はあるけれど、それでも個人的にはこの映画をずっと手元に置いておきたいと思うほど気に入っている。それもこれも、ジャン=スタン・デュ・パックの可愛さと、初々しい初恋の気分を思い出させてくれたからに他ならない。
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