月と雷のレビュー・感想・評価
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映画にすると、、こんな感じ…
それぞれ育った家庭環境次第により誰も悪くないし全て有り得る話。結末も不思議は無いし、そのうち戻ってくる事も想像できる。人生っていろいろあってもいいと思う。
ただ、無理に自転車を車に乗せるのは卑怯なやり方、見過ごせることのできない愚行。
時間をかけて見るほどのものではない。
高良さん、草刈さん、市川さんと有名どころが出演しているが、長々と極少数いるかどうかの人を描いているだけ。
物凄く嫌な気持ちになったりはしない、結果的にほとんど皆悪い人ではないというだけで、こんな人も世の中にいるのか。子供の心は傷ついただろうな。といった感想をもつが、だらだらと長く見る必要があるかと聞かれればない。
唯一、草刈さんがノーメイクに近いだらしない役で出演しているのが意外で、役の幅が広がった感はあった。
フラフラしてる役といえば男はつらいよのとらさんだと思うが、あれはエンタメとして楽しく、明るく、温かさもあると思うが、その対極のようなイメージ。
表現にモヤつくところはあるが、暗い終わり方ではない。
良く分からん
原作未読。
難しいワケでは無く、演出でワザと切っているんだろうか?原作もなんだろうか?智が普段何をしているのか、仕事をしてるのか、男にパラサイトしてる母親にパラサイトしてるのか?泰子が何故、あの男と結婚する気になっていたのか?直子は何故、あぁ言う生活を繰り返すのか。それらが一切不明なまま始まり終わった。
時間経過も良く分からん。智が不意に現れ、合体し、テレビ使っての母親探し、その後妊娠発覚。最初の合体で受精したとしても、三ヶ月前後は経っているだろうに、その間何してたんだろう?智と同居?婚約者にバレず?
最後、かなり腹が大きくなった泰子が出たけど、流石に仕事は休んでるだろうけど、生活どうしてんだろう?そして、智は最期には逃げた?
自分は、最期の泰子のフッと笑った顔は「あぁ、似たもの母子だなぁ」という表情に見えた。
外的制度に守られた関係に安住していいのか
本作の原作者は角田光代氏である。現実を決まりきった様式では描かない角田氏の作品に登場する人々は、みなユニークな言動をするが、ふと考えるとそれがいちばん身近な現実だったりする。
同氏の「八日目の蝉」で心に残るのは、血や法律で結ばれていない誘拐女と幼女の絆が、いつかその人を支える糧になっていたという、普遍の愛への信頼とでも呼ぶべきものだった。それは「家族とは何か」をテーマとする疑似家族の物語といえる。
本作も同様、家族をテーマにした疑似家族の物語である。といっても「八日目」のようなドラマティックな展開はなく、家族を喪失して空虚な女性の下に、偶然訪れる疑似家族の人々のユーモラスな言動や、その人々との関係が作品の中心を占めている。
はじめは「おいおい、こんな何も起こらない疑似家族関係を真正面から取り上げて面白くできるのか」と心配してしまうのだが、それは杞憂に終わる。なぜなら、面白いから。その面白さは、登場人物たちの魅力的な設定から来ており、疑似家族は主人公の女性を確実に癒していく。
彼女は何故癒されるのだろう?
言うまでもなく失った家族の代替をしてくれるからだ。
寂しい時には肌を温めてくれ、実の母を探してくれと言えば探し出してくれる。
米のとぎ方も知らないので教えてあげれば喜び、今度は自分にご飯を炊いてくれたりする。中にはトラブルを抱えた人もいるので、その悩みの解決に付き合ってやったりできる。空疎な生活は温かいもので満たされる。
では、本当の家族はどうだったか。
実の母親は亭主の浮気をこれ幸いと娘を置き去りにしていくような人、実の父親は娘に新しい母親を探してあげるより家政婦をあてがうような人。
これから家族になろうという男性は、婚姻届で彼女を縛り付けることばかり考えている。
家族とは、やって当然という役割、居て当然という義務のようなもので形成されているものだが、愛情までは保障してくれない。
ところが主人公の周りに現れた疑似家族は、何時居なくなるかわからないが、愛情だけはしっかり伝わってくる。役割や義務からではなく、あなたと居たい、あなたが必要だと求めてくれ、癒してくれる。
主人公の幼児記憶に実母の姿がまったくないのに、疑似家族との体験がいつまでも残っているのは、義務や役割から離れた愛情の記憶こそ重要だからだ。では、愛情がないのであれば、家族とはいったい何の意味があるのだろう。
この逆転した家族関係の中、主人公は疑似夫が疑似妹(血はつながっているが、即席の家族)に好意を寄せているという嫉妬から、突然、何時居なくなるかわからない疑似母に、かつて失踪したことを責め、果たしてあるかどうかわからない実母の愛を奪ったと疑似妹を責め、みな出ていけと怒鳴ってしまう。
これは疑似家族に対して法律上の家族のような役割や義務を求めたのと同義で、およそ無理なことを要求しているから、疑似家族は解体せざるを得ない。
疑似母は主人公が宿した胎児について、「一度始まったものは止まらない。何とかなるもんだよ」と愛情に満ちた助言を残して去っていき、間もなく死んでしまう。疑似妹は海外留学に旅立っていく。
疑似夫だけは「普通にいられる相手だから」と同居を選ぶが、最後にはふらりといなくなってしまう。
しかしその時でも、彼女は子供の頃のように泣いたりせず、微笑むことができるようになっている。そこに疑似家族との癒しの生活の中で生まれた、愛情の絆に対する信頼を読み取るのは難しくない。
そして、やや教訓的に捉え返すならば、「家族のような外的制度により下駄履きした人間関係に安住していていいの?」という作者の声が聞こえてくるのである。制度の中に愛情を注がないと、枯れてしまうよと。
( ^ω^ )心が癒えました。ありがとう。
原作 角田光代の作品なので視聴しました。
前作『紙の月』はここ数年の邦画の中でナンバーワンだと思ってます。宮沢りえがどこまでも逃げてくれれば、アジアの片隅で生き残ってくれればいいなと思いました。今回の『月と雷』ですが今ストレスや不安を抱えている人はぜひ見ていただきたい映画です。私自身すごく癒され楽になりました。『何とかなるもんだよ』と草刈民代のセリフがありますが私は救われました、この言葉に。
主人公の泰子にこれから来る運命は過酷なものだろうと思いますが彼女は必ず救われると思います。人生なんとかなるんですから。
これでいいのか
感想としては直子、泰子、智の3人とも幸せになっていないような。直子が何故あのような生き様になったのかも分からなかったし、泰子の無言の暴力性を感じる。それは普通への飢えからくるのか。智は終始謎であった。泰子、智は環境のせいにして生きてきたのだろうが、私には中々理解できなかった。ただ泰子は母になってから変わろうとする形跡が見えた。智は変わらなかった印象。結局は親と同じ道を辿るのか、泰子がシンプルに可哀想に思えた。何とも言えない倦怠感。でもこうなんか引っ張られる、1人の空気を味わいたくなる。原作の雰囲気も知りたい。
女優草刈の新境地?
う~ん、いきなり智と直子の親子が、泰子の家にやってきて居ついちゃう。
直子は石屋と
恋仲になったり。ただのやさぐれ女。たまにパチンコで生活費稼ぎ?
じゃー、智は?
泰子とねんごろになり、いつも何をしているのだろう。泰子はバイト。その時智は?
台所で大根を切っている場面はあったが、普段は何を生業にしている男?
智の「ただの自慢」ともとれる台詞「僕は、女には途切れたことないけど、いつも相手から生活って考えたことないでしょ。」言われるんだよ。と言う所があるが、彼は何のために生きているのか全く分からない。かっこよく言えばアウトローな男。
結局、直子も智もどこかへ去ってしまう。泰子の子はどうなるのか。何だか判らないままのエンディング。
私の頭の中には、常に出演者の相関図がゆらゆら揺れていた。とにかく智の存在が何だか意味不明であった。
私にはこの作品の根っこにある『漂う』という言葉の意味がはっきりしなかった。
魅力無し
普通じゃないって何が?
直子は確かに普通じゃないけど何の魅力も感じない。
智は生活感がない…というか、ただ働いている姿がみえなくてどうやって生きているのかわからないだけで普通の人だし、泰子は育った家庭が変わっているだけでやっぱり普通の人だし。
これと言って惹かれるところがないちょっとだらしない普通の人達が、特に追い詰められるでも苦悩するでもなく成り行きでくっつく話にしか感じられない。
その割にはみられたけど、特に面白味もなく、ふ~ん…という感じ。
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