「監督と脚本家、実はそれほど本好きではないのでは?」ビブリア古書堂の事件手帖 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
監督と脚本家、実はそれほど本好きではないのでは?
原作の魅力、というより栞子さんの醸し出す雰囲気については黒木華さんの流石の演技でとても素敵に再現されていました。
原作のいくつかのエピソードが上手くまとめられていたのもそれほど無理には感じられず、まぁ映画ですからそれくらいはあってもいいかなという感じで、どちらかというと頑張ってくれた方だと思います。
ただ、原作好き、本好きにとっては次の二点がとても気になります。
①太宰の『晩年』は本当に海に捨てたのか?
映画の中でも3冊目だったから、もうニセモノではないと思われるが、本当に本物だとしたらそれと引き換えにするほどの切迫した状況や苦渋が全く伝わってこない。
原作では、そもそも栞子さんがシャープに機転を利かすことで本の無事と今後の安全(もう狙われなくて済む)が確保されることに醍醐味があったのになぜそこを切り捨てたのか?
古書への偏愛を置き去りにしてまで、訴えたいものなど描かれていなかったのに。
もしかしたら、続編が予定されていて、本物は無事だった、という展開があるのだろうか。
②劇中、大輔が2度も口走った『たかが本のために』という言葉が栞子さんにとってどれほどショックで信頼関係を築くことの阻害要因になっていたのか、そのことを大輔自身が気付いたことで、どう二人の距離が縮まったのか。
自分の大事な友達の人格を、本当のところは何も知らない親や先生から、あの子と付き合うのはやめなさい、と頭ごなしに言われた時に感じるような憤りとかオトナへのあきらめ、のような古書に対する栞子さんの偏執的な愛情を大輔が理解しようとすることがどれほど大切なことか。
この映画だと単に、本が読めないからという理由だけでこの人には分からない、信頼できない、みたいになっており、大いに誤解を招く。
2度も言わせておいて、なぜそこを描かない?
素朴な疑問ですが、この映画の製作陣は映画作りについてはそれなりの職人揃いだと思うのですが、監督と脚本家は実はそれほど本が好き、というわけではないのかもしれません。
コメントありがとうございます。
確かにあれじゃ、スーパーなどで商品棚をひっくり返すアクション映画と変わらないですね。
太宰の希少本だって考えてみれば、大輔よりも成田凌こそが先に海に飛び込むはずだし。
『たかが本』ではない古書への愛着・執着を持つ人々と、まだそれが分からない大輔の絡みと成長が読者を楽しませるのに。