「製作陣の覚悟を見た!」世界にひとつの金メダル 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
製作陣の覚悟を見た!
原題は主役馬の名前『ジャップルー』である。
なぜこんないかにも2020年の東京五輪に結びつけて感動を誘うような見え透いた邦題をつけるのだろうか?
もはや横行し過ぎて一々指摘するのも馬鹿馬鹿しいが、やはり納得がいかない。
別にこの映画は金メダルを取ることが主題ではない。
金メダルはあくまでも主人公と「ジャップルー」の強い結びつきで勝ち取った単なる成果にすぎない。極論するとたとえ金メダルに至らなかったとしても物語は成立する。
むしろこのわざとらしい邦題のせいで敬遠する人もいるだろうから、原題の『ジャップルー』というシンプルなタイトルを用いた方が客足は良かったりするのじゃないか?
もういい加減観客を馬鹿にした改悪邦題は終わりにして欲しい。
この作品の何よりも素晴らしいのは、制作からキャストまで競技馬術(正しくは障害飛越競技)の本質を知る人間がいるので、それが如実に映像に表れていることである。
本作を観ていると気付くがフランス映画でありながらあまりその雰囲気がしない。
監督がハリウッドでも実績のあるカナダ人監督クリスチャン・デュゲイだからである。
デュゲイはこの競技馬術を幼少時から始めてカナダ国内の試合を転戦し、ついにはジュニア大会で優勝までした経歴を持つ。
脚本と主演の2つの大役を果たしたギョーム・カネも競技馬術の経験があり、妻役のマリナ・ハンズも経験者である。
カネとハンズは10代の時に同じクラブで練習して同じ競技会にも出場するほどお互いを知っていたようだ。
プロデューサーのパスカル・ユデレウィッツも娘が競技馬術の大会に出場するようになって付き添っている最中にその魅力を発見していたりと、主要な制作者やキャストに素人がいない。
またカネとデュゲイは競技馬術に打ち込んでいたのを諦めた経験までいっしょで主人公ピエール・デュランの気持ちまで理解できる。
本当に奇跡のような組み合わせである。
一度登りつめて挫折してその間に肉親が死んで反省して最後に栄光をつかみ取る。
もう典型中の典型の展開なのだが、それを補ってあまりある説得力がこの映画には確実に存在する。
まず順撮りしたこと、これによって出演者たちの意識の積み重ねがスムーズになっている。
そして何より、馬術にこだわったことだ。
カネには一切のスタントがなく160cmの障害まで見事に飛んでいる。
またカネが馬を操る姿を躍動感をもって伝えるために監督のデュゲイ自らがステディカムを駆ってなるべく近付いて撮影しているのも特筆したい。
これによってCG全盛期のこの時代においてCGとの差別化にも成功している。まだまだCGではアップの映像はぎこちないからである。
カネの馬術が見事でスローモーションに頼る必要もないので、実際にほとんどない。
ロス五輪とソウル五輪のセットも完全再現していて唯一使用しているCGはその際の観客だけだという。
まさに技術と洞察力を持った人々が覚悟を持って制作した映画がいかに素晴らしいものになるかのお手本のような映画である。
本作はヨーロッパの映画祭では3つのノミネートにとどまったがフランス本国では200万人の観客動員があったらしい。
ただ宣伝もあまりされず上映館も多くないので、日本での知名度は低く観客動員数も少ない映画になってしまうだろう。もったいない。
最近邦画の『あさひなぐ』を観た。
本作と同じく素晴らしい作品にする要素はいくらでもあったのに、ただでえ演技の下手なアイドルを起用しているのに順撮りしない、薙刀を振るだけの十分な体造りができていないからスローモーションでごまかす、など比べるのもおこがましいほど酷い出来であった。
たしかに本作は35億円の制作費がかかっている。
『あさひなぐ』にそれだけのお金をかけることができないのはわかる。ただ上記2つを改善するだけでも映画の質は劇的に向上するはずである。
GDPで日本より下にいるフランスがこれだけの素晴らしい映画を創れるのだから日本が創れないはずはない。
やはり今の日本の映画人たちに覚悟が足りないだけだと思う。本当に残念だ。
過去に馬を扱った映画としてトビー・マグワイア主演の『シービスケット』やスピルバーグ監督作品の『戦火の馬』があるが、筆者個人は本作の足下にも及ばないと思う。
この文章の冒頭と矛盾するようで今更になるが、次回東京五輪で俄然この競技馬術への興味が湧いてしまった。(まあ依然この邦題はないけど)