見栄を張るのレビュー・感想・評価
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死と向かい合い、生を生き直す物語
鑑賞前から良い映画だと想像していましたが、想像以上の秀作でした。はっきり言って、たいへん好みの映画です。
主人公・エリコはオーディションでも中途半端な演技しかできない女優崩れ。でも周囲には、それなりのポジションですよ、と見栄を張っている。同棲している男も芸人崩れで優しいだけのクズ野郎でヒモ同然。
このように人生をガチで生きていない女・エリコが姉の死をきっかけに故郷に帰省し、姉の職業だった『泣き屋』に挑戦し、人生を見つめ直す…というストーリーでした。
本作はよくあるダメ女の再生物語です。しかし、死と向かい合うことで再生に向かう流れが本作をとてもリアルで特別なものにしていると感じました。
姉の死と出会うまでは人生としっかり向かい合うことができず、いたずらに月日を消費していたエリコ。しかし、姉の死によって、自分の核とつながり直すタイミングが訪れました。死は人生の有限性を突き付けてきます。自分にとって何が大事であり、何が本質的であるか。自分には何ができ、何を求めているのか。
親戚に煙たがられているエリコは、葬儀を終えてすぐに東京に戻ることもできました。本人もそのつもりだったのでしょう。実際、その方が楽なはず。しかし、彼女はしばらく故郷に残る選択をします。残された姉の子・カズマを残していけないことが理由であろうと思われますが、それだけではないのでしょう。
エリコの心の奥底にあるアンテナが、姉の眠るこの地に残ることこそが有意味な生につながるのではないか、と感じたからだと思います。それは合理的に説明できる薄っぺらなものではない。彼女の中の意味ある人生を生きたいという渇望が彼女をとどまらせたように感じました。東京に戻ったら、またこれまでと同じ意味のない生が待っているだけですから。
エリコの姉は葬式で涙を流す『泣き屋』という仕事についていました。エリコは女優なので、自分にもできると思い、姉の師匠の下で泣き屋に挑戦します。
しかし、師匠はエリコを一喝。偽の涙を流すことが仕事ではない、かつて存在していた人がいた、それが失われたことを周囲に伝える事が泣き屋の仕事なのだ、と。
エリコは女優の仕事でも、偽の涙を流していたのでしょう(だから行き詰っていた)。『偽』は本作のキーワードです。英語タイトルも『Eriko, Pretended』。
死と向かい合わなければ、人は偽りの人生を生きてしまうのかもしれません。日々は続いていき、それが変わらず続くような錯覚を覚えます。日々をやり過ごすためにごまかすことも多々あるでしょう。エリコだって、上京した当初はほんとうの人生を生きたいと思っていたはず。しかし、徐々に本質を見失い、ズレていってしまった。修正できずに核を失ったのだ。つまり、偽の人生を生きることとなったのです。
エリコがハデに泣きすぎる・仕事をナメているバイトっぽい泣き屋に対して激しく苛立つシーンがありました。それは自分の姿を見たからです。自分はあんな風に生きていたのか、と突き付けられた気持ちになったのでしょう。
物語は淡々と進み、エリコのドラマチックな変容はわかりやすくは描かれていません。
しかし、エリコは存在していた人が失われたことを周囲に伝える泣き屋の仕事に真摯に向かい合い、クライマックスではそれが見事に描かれていたと感じました。とても静かに自分の核とつながり直していくエリコ。その生まれ変わっていく姿には、感動を覚えざるを得ませんでした。
正直、詰めが甘いところもあり、粗っぽい造りの映画だと思います。カズマの行く末はややご都合主義だし、泣き屋についても死と生をつなぐ僧侶的な側面は説明台詞だけて終わっていたと感じました。
しかし、死と向かい合い生を生き直すという本作のテーマは実に丁寧に描かれており、結果的にとても繊細な名作であった、と実感した次第です。たいへん素晴らしい作品でした。
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