見栄を張るのレビュー・感想・評価
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ド直球なタイトルと女優業の根幹
この作品は、女優業の根幹部分にド直球なタイトルで焦点を当てている。
綺麗とかかわいいではなく、なぜ泣くのか?
何故エリ子は現場で必要とされなくなってきたのか?
主役のエリ子のみならず、人は何かに対して見栄を張っているのは間違いない事実だろう。
何かの関係で会う人ごとに自分自身を作っているのが人かもしれない。
売れなくなってしまった女優業
これほどわかりやすい例もないのだろう。
少し売れた実績がプライドを作る。周囲に「私は女優よ」感をばらまく。
喪主のあいさつ 誰もが知る単語がわからない恥 ありもしなかったことを言う。
それに加え出てきた相続
カズマの養育問題
誰一人エリ子を頼ろうとはせず、弁護士相談をしながらカズマの今後を思案する。
さて、
泣き屋という聞きなれない職業
製作者はこれを知ったことで物語が生まれたのだろう。
小さなな田舎町に残る風習
姉の突然の交通事故死と彼女の職業だった泣き屋
いくつかの問題とあきらめと義務
すでに生活費も底をつき始めた。
泣き屋など女優として簡単な仕事だと思っていた。
しかし、その泣き屋に奮闘するエリ子の姿はあまり描かれず、ライバル会社や紐のように転がり込んできた芸人との関係で物語が描かれてしまっている。
この物語はエリ子の再生の物語
また、
カズマの養育問題はエリ子にとって大きな問題
本人が父と暮すことを決めたのでそこに問題はないが、そもそもカズマに父の連絡先を渡した近親者のおばさんがカズマの今後について心配していたと思われるが、弁護士相談したりかなり積極的に働きかけていた。
それがもととなってカズマは父を訪ねる。
さて、
物語の根幹の問題は主人公エリ子のうまく行かくなった女優業だ。
同棲する芸人の男はすべてにちゃらんぽらんで、相方の真摯さとは比較にならない。
もしかしたら相方は、彼とのコンビを最後にしたのかもしれない。
夕食が毎日ペヤングのカップ焼きそばというのは少しばかりデフォルメしすぎているが、そこにチューブしょうがを足すという味付けを批判した相方は、エリ子も彼も「何か間違っている」というということを表現したのだろう。
カズマは食べたことのなかったカップ焼きそばとチューブしょうがにおいしいふりをしたが、それはおそらく単なるフリでしかなかったのだろう。
同時にその食生活はエリ子が変わっていく象徴でもあるはずだが、そのシーンは登場しない。
昔の恋人だったユウタロウと彼の結婚
彼の結婚は姉の電話で知らされる。
夢を抱いて上京してもうそんな時間が経ってしまった。
彼との再会でエリ子が得たものは何だったのだろう?
「女優をあきらめたから泣き屋というのはちょっと違うと思う」
この言葉だけのために彼は存在する。
面白いのは彼が葬儀専門の花屋で働いていることだ。
彼はいくつかの職業の中でそれを選んでいる。
それは「ある中」からの選択で、夢を追いかけた結果ではない。
夢を追いかけ続けるのはしんどい。
オーディションでのダメ出しと台本のシチュエーションを理解できなくなったことは、女優としての終焉を意味する。
そうすべきかどうかをエリ子はわからないままでいる。
泣き屋 姉の仕事
死者の道を作り参列者を浄化する役目を持つ。
それは、ハナイが言ったようにスーパーのレジ打ちの方がいいのだろうか?
ハナイはあの時、エリ子を試したのだろうか?
「自分自身の気持ちがわからない」
これがエリ子の陥っていた最大の問題だったのかもしれない。
どこからも必要とされなくなった女優業にケリをつけることはできる。
ただ、
姉がエリ子の記事をスクラップにしていたことや、初めてTV出演したCMとその商品のビール
口では母の小言のようなことを並べていた姉がこんなにも自分のことを思っていたことを知ったエリ子には、半分諦めていた女優を本当にやめてしまっていいのかわからなくなったに違いない。
姉から様々なことを聞かされていたハナイは、姉の代わりにエリ子の再生を手伝ったのだろう。
人間的に成長しなければならないエリ子という人物の現状を、ハナイはすぐに見抜き、姉の言葉を思い出し、エリ子を見守ったのだろう。
この作品の面白さは、先がわかるようでわからない点にある。
取って付けたかのように起きる肉親の死
そこで出会った人々の影響
女優を辞めた女性が新しい生活を始めるまでを描いたものかと思っていた。
彼女には、
カズマを引き取る選択もある。
夢をあきらめ、身の丈に合った職を選び実家で暮らす選択もある。
しかし、
身寄りが誰もいなくなった実家に残った最大の問題のカズマが、実の父との生活を選択したことで、エリ子は再び自由となった。
エリ子は、姉と勘違いして泣き屋に自分の葬儀に来るように依頼された老女の葬儀に参列し、初めてハナイから合格をもらう。
その演技は涙が流れるまで少し時間がかかっている。
それがよかったのかどうかわかりかねる部分はあるが、ハナイにはエリ子の演技に女優としての成長を見たのだろう。
人の死に対する悲しみ 涙 表現
これがおそらくエリ子に足りていなかったことなのだろう。
姉との電話で、エリ子と母との間に確執があったのを感じる。
家族の死に対する悲しみを表現できない女優は、誰の死の演技もできない。
彼女は帰りの電車の中で泣く。
その涙には様々な意味がある。
彼女は泣きながら泣くということとその感情的な意味を考え、ようやく涙と表現の意味を理解したのだろう。
この作品は、
まずこの根幹の存在を視聴者に理解させなければならない。
しかし、
躍動感に欠けるシーンの連続が、次第にその根幹を忘れさせてしまう。
最後の電車のシーンですべてが回収されることになるが、だいぶ考えなければならないのが惜しい点だ。
一人の女性の再生という非常に普遍的なテーマ
そこにたどり着く過程も悪くはない。
ただ問題の根幹が何かをもっと明確にして、家族が亡くなるということを多角的に表現しながら、エリ子自信が家族の死に向き合えなかった理由、残されたカズマとの関係、それぞれに関するエピソードを描きながらこのテーマに向かって欲しかった。
まぁそこそこ楽しめました
ファミレスで2時間以内で時間潰しの必要がありamazon primeで何気なく鑑賞。ガストやスタバなど電源とWiFiが自由に使える場所が増えて便利な世の中になりました。
『お元気ですか』の時と同様、ひとりとして知った俳優さんの名前が見当たらず、大きな不安とちょっとだけ期待の混じった感覚で何の前情報もなくアプローチしましたが、まぁそこそこよかったかな!っていうのが率直な感想でした。
個人的にはいい歳して世間知らず、自分の足りなさを他人に転嫁する主人公に共感できず、でもそれより最悪な恋人の存在から「まだこの主人公の方がマシかな?」くらいで観始めましたが、子役の子のけなげさと今では存在しないらしい『泣き屋』の代表(なんだか韓国ドラマに出ていそうな女優さん)になんとなくひかれて観続けました。
主人公が自分の置かれている状況をしっかり注視してやり直そうとするエンディングは希望が少し見えてなんだか安堵して観終わることができました。
この手の作品は大劇場での上映は難しいでしょうが、昔あったATG(アートシアターギルド、懐かしいなぁ、サード長嶋じゃなくて永島敏行さん、森下愛子さんも出てました)映画のごとく小劇場から浸透していくといいかもしれませんね。冒頭に書いた通りVODで気軽に観られる今日この頃。もっと多くの人に観てもらえるようにできたらな?!なんてつくづく感じました。
久保陽香さんが好きで
映画館で見れなかったので、レンタル開始まで楽しみにしていました。
が、ドラマ の総集編を見ているような内容が飛び飛びに感じました。
心が動いていく経過を自然に表現されておらず、疑問が浮かんでは消えることもなく終わってしまった・・設定と女優さんから期待値が上がりすぎたかもしれないですが、物足りなかったです。残念だったのは、東京の人が作ったんじゃないかと感じてしまったことで、文化が違うと違和感を感じてしまうのは仕方のないことですね。
私は「私以外の人」が好きです。
死と向かい合い、生を生き直す物語
鑑賞前から良い映画だと想像していましたが、想像以上の秀作でした。はっきり言って、たいへん好みの映画です。
主人公・エリコはオーディションでも中途半端な演技しかできない女優崩れ。でも周囲には、それなりのポジションですよ、と見栄を張っている。同棲している男も芸人崩れで優しいだけのクズ野郎でヒモ同然。
このように人生をガチで生きていない女・エリコが姉の死をきっかけに故郷に帰省し、姉の職業だった『泣き屋』に挑戦し、人生を見つめ直す…というストーリーでした。
本作はよくあるダメ女の再生物語です。しかし、死と向かい合うことで再生に向かう流れが本作をとてもリアルで特別なものにしていると感じました。
姉の死と出会うまでは人生としっかり向かい合うことができず、いたずらに月日を消費していたエリコ。しかし、姉の死によって、自分の核とつながり直すタイミングが訪れました。死は人生の有限性を突き付けてきます。自分にとって何が大事であり、何が本質的であるか。自分には何ができ、何を求めているのか。
親戚に煙たがられているエリコは、葬儀を終えてすぐに東京に戻ることもできました。本人もそのつもりだったのでしょう。実際、その方が楽なはず。しかし、彼女はしばらく故郷に残る選択をします。残された姉の子・カズマを残していけないことが理由であろうと思われますが、それだけではないのでしょう。
エリコの心の奥底にあるアンテナが、姉の眠るこの地に残ることこそが有意味な生につながるのではないか、と感じたからだと思います。それは合理的に説明できる薄っぺらなものではない。彼女の中の意味ある人生を生きたいという渇望が彼女をとどまらせたように感じました。東京に戻ったら、またこれまでと同じ意味のない生が待っているだけですから。
エリコの姉は葬式で涙を流す『泣き屋』という仕事についていました。エリコは女優なので、自分にもできると思い、姉の師匠の下で泣き屋に挑戦します。
しかし、師匠はエリコを一喝。偽の涙を流すことが仕事ではない、かつて存在していた人がいた、それが失われたことを周囲に伝える事が泣き屋の仕事なのだ、と。
エリコは女優の仕事でも、偽の涙を流していたのでしょう(だから行き詰っていた)。『偽』は本作のキーワードです。英語タイトルも『Eriko, Pretended』。
死と向かい合わなければ、人は偽りの人生を生きてしまうのかもしれません。日々は続いていき、それが変わらず続くような錯覚を覚えます。日々をやり過ごすためにごまかすことも多々あるでしょう。エリコだって、上京した当初はほんとうの人生を生きたいと思っていたはず。しかし、徐々に本質を見失い、ズレていってしまった。修正できずに核を失ったのだ。つまり、偽の人生を生きることとなったのです。
エリコがハデに泣きすぎる・仕事をナメているバイトっぽい泣き屋に対して激しく苛立つシーンがありました。それは自分の姿を見たからです。自分はあんな風に生きていたのか、と突き付けられた気持ちになったのでしょう。
物語は淡々と進み、エリコのドラマチックな変容はわかりやすくは描かれていません。
しかし、エリコは存在していた人が失われたことを周囲に伝える泣き屋の仕事に真摯に向かい合い、クライマックスではそれが見事に描かれていたと感じました。とても静かに自分の核とつながり直していくエリコ。その生まれ変わっていく姿には、感動を覚えざるを得ませんでした。
正直、詰めが甘いところもあり、粗っぽい造りの映画だと思います。カズマの行く末はややご都合主義だし、泣き屋についても死と生をつなぐ僧侶的な側面は説明台詞だけて終わっていたと感じました。
しかし、死と向かい合い生を生き直すという本作のテーマは実に丁寧に描かれており、結果的にとても繊細な名作であった、と実感した次第です。たいへん素晴らしい作品でした。
「自らを知る」ということ
何者でもないがプライドを捨てきれず売れない女優。姉の急死を機に故郷に戻り、葬儀での「泣き屋」を始めるが…
彼女のイタさはじれったくもあり、懐かしくもあり。自らを知り新たに始動するラストが清々しい。
派手さはないけど、起こりうる日常
思うようにならない日常 誰かのせいに転嫁しつつも、自分の限界を意識している日々 映画はアラサーの女性が、封建的な血縁の濃い田舎に姉の事故死で戻ってから直面する数日を描く こんな時代をとっくに超えた定年前の私にとっても、赤面する思いでした ロケ地の和歌山での公開はさすがにたくさんの高齢者が劇場に来ていました アラサーのこの監督もかつて女優のオーディションで苦渋をなめた経験があるそうで、若手に追い越されていく冒頭のオーディションの場面は見ていて少々辛かったです 主演の久保陽香さん、オーディションでは苦戦するという演技でしたが、なかなかです(ジストシネマ和歌山にて)
割り引いて観たら面白い
まあ、ありがちな話なんだよ。アラサー女子が夢破れて故郷行って、自分を取り戻して東京で頑張るっていう。
故郷で待ち受ける試練が尋常じゃないのと、そこで泣き屋に出会うのが面白いんだよね。
監督27歳なんだよね。「27歳でこれ撮るってすげえなあ」と思いながら観たんだけど、「27歳で」って限定つけて割り引かないとって作品だった。
泣き屋
その職業の本質というより
主演の久保陽香さん演じるアラサー女子・吉岡絵梨子のヒューマンドラマ。
同年代の女性にはかっちりとあてはまるのはもちろん、世代性別を超えても作品の世界観・そして独特な『間』のおかげで登場人物を俯瞰で観ることができ自分に置き換える時間を与えてくれる。
藤村明世監督の長編映画デビュー作とのことだが今後の期待大。
久保陽香さんの透明感も見逃せない。
ちょっぴりせつなくでも温かい気持ちになれる映画
ペヤングとチューブのしょうがを用意してもう一度観たい
バカップル
両親はおらず姉との二人姉妹の売れない女優が姉の弔報で実家に帰り、姉が泣き屋という仕事をやっていたことを知りその仕事をする話。
昔ちょっとビールのCMでバックダンサーをやったことがある程度でまるで売れていないが周囲に見栄を張り大きなことを言う主人公で、女優業云々もさることながら28歳にもなって最低限の一般常識すら持ち合わせていないのに、根拠のない自信が凄まじい。
ほぼ会ったこともない甥っ子に対しての唐突な保護者意識も良くわからないが、彼女なりに考え、受け止め、行動し変化して行く姿をみせるドラマで、それ自体は悪くはなかったけど、それ程苦労したり打ちのめされたりした訳でもなく、大きなことを成し遂げた訳でもなくて、本質の部分ではそれ程変わっていない様な印象を受けずもの足りなかった。
それにしても、酷い箸の持ち方とか、滑舌の悪さがある意味ハマり役なのかも知れないけれど、女優志望という役どころとしてはちょっと頂けない…演出、演技だったら大したものだけど判り難いし。
ちなみに、渋谷の某映画館で鑑賞したけど客席には泣き屋ならぬ笑い屋が数名いた。
しっとりとした単館系映画
ふと渋谷に繰り出して観た単館系映画だったが、思わぬ掘り出し物だった。なんと言っても、主演の久保陽香さんが素敵。舞台挨拶に来ていたのもあるけど、好きになってしまった。なんなんですかあの透明感は!そして、年齢が31歳とは驚異的!!20台前半に見える美貌と初々しさがありながらも、映画中ではしっとりとして落ち着いたアラサーを演じられていて魅力的な女優さんだ。今後要チェック!です。
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