否定と肯定のレビュー・感想・評価
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桶は桶屋な法廷劇。
否定と肯定を観てきました。
デボラがイライラする気持ちもよくわかるけど、英国弁護士チームが正義の勝利を目指して淡々と法廷戦術を進めてゆくプロセスに震えました。
桶は桶屋って思いました。お仕事映画としても楽しめます。
弁論担当弁護士と策略担当弁護士がいるんだとか、イギリスの司法制度にも興味が惹かれました。
法廷で示されるガス室での殺戮が起きたであろう証拠、ヒトラーが指示していた証拠など、なるほどと思いました。鉄格子の意味、防空壕ならば4キロも離れてるって?それに空襲の時期とずれてるやんetc…下調べの大変さを想像して気が遠くなりました。
2時間弱にまとめられているけれど、6年7年に渡る戦いでしょ?大変やったよね…
ティモシースポールはどんな気持ちでこの共感を完全拒否する役をやったんでしょうね。そして現実のこの原告はどんな理由、感情で、これらの言動をしたんだろうと思いました。
ホロコーストにまつわる知識は多少必要です。
わたしももっと勉強しないとって思いました。ホロコーストだけでなく、世界各地で起きたジェノサイドについて。人は愚かで、その愚かさを見つめ、考えることが前進だと思うから。
ホロコースト否定派が…
主張と証拠が弱過ぎる。
肯定派の弁護士は確かにしっかりと練られたもので感心する部分もあったが、なにせ相手が弱すぎ。
実際の裁判記録を読んでみないとわからないけど、ここまで一方的に根拠のない主張で裁判まで持ち込んだこと自体が信じられない。
裁判モノとして見ても、題材的に期待していただけに、本当に残念。
もう少し、脚本だけでも緊迫感が欲しかった。
既視感…
ユダヤ人歴史学者のアメリカの大学教授が、ホロコースト否定論者のイギリス人に提訴され、彼女にとっては馴染めないイギリスの弁護士と裁判制度の中で、疑うまでもないホロコーストの存在を、立証しなければならなくなる。ナチスの問題と同時に、アメリカとイギリスの裁判制度や文化の違いのようなものも描かれる。
反ユダヤ主義者を演じるティモシー・スポールの小憎らしい顔がピッタリ。
私達にしたら、ホロコーストはなかったなんて人がいるなんて!という感じだけど、この国にも南京大虐殺はなかったと言う人がいるからねー。イギリス人に言ったら呆れてたけど、同じことだと思う。
これは1994年から2000年に実際に起きたことだけど、情報を自説に都合のいいように解釈し、時にねつ造し、反対派の人の攻撃のネタにするというのは、まさに今の社会で起きていることで、とても意味のある作品だと思う。
イギリスの裁判制度...
ユダヤ人迫害がなかったと言い続ける歴史家の嫌な役をティモシー・スポールが上手かったと思います。
本当に嫌なヤツでした(笑)
大抵の人は歴史で習った事=事実で、それがなかったと言うこんな人が実際にいて、それをまた裁判を起こすという事がが実際にあったことにまず驚きました。
イギリスではあった事を証明しないといけないんですね。
主人公とそのチームの裁判での戦い方がホントいい!!
判決後の主人公のコメントにスカッとしました。
証拠だけが本当の歴史を語ることができる
これは素晴らしい作品だった
ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺「ホロコースト」はなかった
と言われたらどう思うだろうか
それがユダヤ人によるねつ造だと言われたら?
え?本当にそうなのかな?
と、一瞬自分の中の常識を疑わないだろうか
この映画では
ホロコーストはなかったと主張する歴史学者が、ホロコースト研究家の主人公デボラ(レイチェル・ワイズ)に自分の主張を侮辱されたと訴える
しかし
イギリスの法廷では、訴えられた側に立証責任がある
つまり、デボラはホロコーストがあったことを主張しなければならない *
これは否定することの安易さに比べて、それを証明することの難しさを描いている
否定したり、非難することは誰にもできること
またその安易な否定が世の中から注目されやすく、多くの人が信じてしまいがちな側面も描かれる
しかし、そこにこの映画の面白さがあった
50年前に起きたことを証明することは非常に難しいけれど、真実は何よりも強いのだ
真実がインチキ歴史学者を打ちのめす様には胸がスッとして、爽快な気分になる
ホロコーストがなかったなんて、どんな神経してるんだろうと思ったけれど、そういう感情論よりも、証拠が示す真相の力強さを感じた作品だった
醜悪な人間の姿が克明に
一般観客に、歴史修正主義者の醜悪さを伝える、よい作品だったと思います。
実際の裁判関係資料を読むと、映画的な演出が強く、重要な要素がカット気味だが。
歴史修正主義者でIFもの小説家・自称歴史家であるアーヴィングの愚かさ(と、当時のイギリス法廷の理不尽さ)を伝えるにはよいアレンジだったと思います。
感情を正当化するのに、事実を曲げてはならない。
フェイクニュースや、どこぞの元大臣のような歴史修正主義者の意見が、講演会で公然と話され、それらがSNSやまとめサイトで垂れ流される時代に、観ておいて良かったと感じました。
難しい…
論評が難しい…
実話ベースとはいえ、劇映画らしく劇的な結末は用意されているが、なによりもこれを勝利と呼べるのか、まるでホロコースト無かった論が議論の対象となる一つの説であるかのようになってしまうのは、それだけで敗北ではないのかと思わせられる…
しかしイギリスの法制度も大概酷いですね…
米国のユダヤ系歴史学者デボラ・リップシュタットは自著の中でホロコー...
米国のユダヤ系歴史学者デボラ・リップシュタットは自著の中でホロコースト否定を公言するイギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィングの主張を真正面から否定した為に名誉毀損で訴えられる。被告側に立証責任があるイギリスの法廷で戦わなければならないデボラは支援者達の資金援助のもと弁護団を組織するが、弁護団はデボラに決して証言台に立たないこと、ホロコーストの生存者もまた証言台に立たせないことを提案する。自身がユダヤ人でありホロコーストと真正面から向き合い研究に人生を捧げてきた自らが矢面に立ち正々堂々と戦うべきと考えるデボラは彼らと激しく言い争うが・・・からの法廷ドラマ。
イギリスの司法制度の特異性を解りやすく紐解きながら、歴史修正主義者がホロコーストの実在を示す資料を自身の主張に合致するように恣意的に曲解していることを立証するために奔走するデボラの弁護団と、あることないこと法廷でぶち撒けて言葉巧みに挑発してくるアーヴィングの心理戦に思わず手に汗握ってしまうサスペンスフルなドラマが圧巻です。
「ポスト真実」の時代のコンテンポラリーなテーマ
ホロコーストに関する研究者と否定論者との名誉毀損の法廷論争を映画化した『否定と肯定』。主演は、ウォン・カーウァイ『マイ・ブルーベリー・ナイツ』でアルコール中毒の警察官の元妻役を演じ、実生活ではダニエル・クレイグの奥さんでもあるレイチェル・ワイズ。
昨晩の『女神の見えざる手』に引き続きディベートをベースにした脚本なので、ずっと右脳を働かせながら見る感じが心地よい。
「ホロコーストはなかった」ということを訴えたいがために、反対論者を名誉毀損と言うかたちで法定に呼び出す老歴史家と、それに対してときに感情的にも反応していまいそうになる被告人のユダヤ人女性研究者と、彼女をサポートする熟練の弁護団。
レイチェル・ワイズ演じる研究者には「ホロコーストは存在した」ことをあらためて証明したいという焦りがあるが、そうではなく訴えられた点について緻密に論証をしていく戦略を貫く法律家たち。しかし法律家たちも、その論証を通じて結果的にホロコースト反対論に対する疑わしさをアピールしていくことになるのがとてもクール。
「最善の策だが、最大の効果をもたらさない策はとても厄介だ」
ポスト真実の世界に至った現代にとてもマッチしたテーマ。
演技には見ごたえがあるが、内容はやや消化不良
ホロコーストなど無かったと唱える否定論者によって訴えを起こされたユダヤ教徒のホロコースト研究家女性の実録映画。こういう作品はハリウッドが得意そうだがこちらはイギリス映画。なるほど裁判の過程も法律もイギリスの規律に基づいていてアメリカ映画の法廷劇と趣が違う部分もあり新鮮で興味深いところもある。
ただ、もうあまりにも周知の事実にたいして唾を吐きかけた男が浅ましすぎてレイチェル・ワイズ演じる主人公が裁判で負ける気がしないのは法廷劇としては不足なところだろう。最初こそ、アメリカとイギリスの裁判の違いから戸惑ったりティモシー・スポールの口車(小憎たらしい演技が実に巧い!)に惑わされたりと言った様子も見受けられるが、トム・ウィルキンソンが存在感を増すと同時にワイズに有利に傾いていくのが明らかにわかり、法廷劇としての面白味についてはいくらかもの足らなく感じた。
裁判の行方は、史実が前提として存在する以上は変えることは当然できない。だからこそ今この映画が何を描くのか?というところが本来もっとも重要なところで、それがこの映画には足りないんだと思う。ホロコーストなど無かったと唱える男を通じて、しかしそこから史実を再認識したり再考したりすることはできる。人には人の数だけ信念や理想がありそれが衝突するドラマを見いだすこともできる。ところがこの映画は「ムカつく否定論者をこうしてとっちめました」というだけのものしか存在せず、テーマの深刻さに対して内容はいたって普通の法廷劇に留まったのは、ワイズ、スポール、ウィルキンソンというイギリスの名優たちの演技合戦を前に実にもったいなかったと思った。
プロの戦略
原題は「Denial(否定)」です。
法廷物語なので、ホロコーストを否定する人と肯定する人という
対立関係を明確にした「否定と肯定」という邦題は良いです。
事前知識として「ホロコースト」と「アウシュヴィッツ」を知らない
人は調べておくと良いでしょう。
「アウシュヴィッツ」は有名ですが、見たことはないので、
「アウシュヴィッツ」で撮影された部分もあり、忠実に再現
されているので、印象的でした。
「ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命」を観た人に
この映画をお勧めできます。
この映画を観た人にも「ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命」
をお勧めできます。
法廷で勝利するためには、戦略とチームワークと資金が重要だと
思い知らされます。
感情や証言や証人では、裁判に勝てなないという事実を突き付けられます。
本当のプロの戦略を観ることができます。
思想や信条は自由ですが、事実を歪曲して歴史にすることは許されません。
政治家が票や資金を集めるために、専門家がお金儲けのために、
マスメディアが受信料や広告収入を得るために、事実を歪曲して
いるのが現状です。
この映画は、この現状に立ち向かうことの困難さを良く示してくれます。
日本人にとって、ホロコーストは遠い昔、遥か彼方のヨーロッパでのこと
なので理解しにくいと思います。
日本人にとって、南京事件のことなら理解しやすいでしょう。
政治家が、専門家が、マスメディアが南京事件のことを
どう言っているのかということです。
私は、南京市内に入った兵士から事実を聞いています。
政治家が、専門家が、マスメディアが嘘を言っているのを知っています。
政治家が、専門家が、マスメディアが南京市内に入った数万という兵士
から事実を伝えたことがあるのでしょうか?
南京市内に入った数万という兵士は、ほぼ亡くなっていて、事実を
もう伝えることはできません。
だから、政治家が、専門家が、マスメディアが嘘を言っているという
ことです。
NHKは法律を盾に受信料を徴収していますが、政治的に公平であること、
報道は事実を曲げないですること、意見が対立している問題については
できるだけ多くの角度から論点を明らかにするという努力をしていない
ことは南京市内に入った数万という兵士から事実を伝えていないことだけ
でも明らかです。
法廷物語なので、眠くならないように、万全の体調で鑑賞することを
お勧めします。
映画の余韻に浸りたいという人にはパンフレットの購入をお勧めします。
ホロコーストを考える
今までこんなにきちんとホロコーストを見たことはなかった。
倫理的な事件としてわかっていたけど、自分が生きている時にこんな裁判は起きていたなんて知らなかった。
自分の良心を信じて今まで生きて来た主人公が弁護団に自分の良心を引き渡して信じて裁判に挑む。
最後まで結待ちを知らなかったせいか最後の最後の裁判官の一言も主人公と同様に何を言ってるのかよくわからなかった。
いやぁ泣けました。
真実が当たり前の真実がこんなにも心を打つなんて。
確かに相手の目を見ずに反論を言い続けるのは相手にとっても辛いかも。
相手にされてない感があるもんね。
映画館で観てよかった!
否定と肯定は裁判に内容だけを言っているのではなく、自分の意見を裁判で沈黙させた(否定したわけではないけど)、引き換えに自分と弁護団を、信じた、行方を託した自分の事でもあるのかも。
否定と肯定
ウソと歴史修正主義は許せない。
彼らは自己の弱さを隠すため差別発言を言い続ける。
学生に歴史を教える女性学者がユダヤ人大量虐殺は無かったとするとホロコースト否定論者に名誉毀損で訴えられる。
歴史修正者の挑発に、感情で反論しては彼らを興奮させるだけ。都合の悪いところを削除して、さも捏造だとわめく欠陥をつくことだ。
監督: ミック・ジャクソン
出演:レイチェル・ワイズ(「ナイロビの蜂」でアカデミー助演女優賞)
裁判所が、常に真実に味方するとは限らない。正しい者は、自らの潔白や真実を証明する努力を強いられるもの。
どっちにしろホロコーストはあったのだから、最後にはレイチェル・ワイズ側が勝つのだろうことはわかり切っているのだが、そのことよりも、アービングみたいな人間が存在する価値はなんなのか、と考えていた。こいつは本気でなかったと思っているのか?、どこかの団体から援助をもらうために嘘を承知ではったりをかましているのか?、、、。だんだん、この対決よりも、例えば、慰安婦像をめぐる論争、南京大虐殺の真相、竹島や尖閣や北方四島の帰属問題、シーシェパードと日本の捕鯨船の衝突、、。ああ、結局、なにがなんでも自説を曲げない奴に何言っても無駄なんだなって思えた。
ただ、裁判長がアービング勝訴の結論に行きそうな場面には焦った。あんただってホロコーストがあったことはわかってるよね?、理論さえ筋道立っていれば、「否定」は受け入れるの?
ここで、「三度目の殺人」を思い出した。やばい、真実が抹殺される。ああ、裁判って怖いわ。
愚か
50年前のホロコーストがあったということを証明しなくてはいけないイギリスの司法制度も何とかならないのかと思いますが、ホロコーストがなかったと主張する歴史家がいた事に対しても驚きました。そういう日本でも南京大虐殺はなかったと言う人がいますので、人間とは本当に愚かなんですね。
何百年前の事ではなくたった50年前の歴史ですら、いくらでも捻じ曲げられてしまう。あったことがないことに、なかったことをあることにしてしまう。安倍総理やトランプ大統領の様な人がトップの座についてしまう。
憂さ晴らしで差別をしたり自分より下の人を虐める人間の習性が権力によって利用されていますが、彼らの良いカモにならぬよう、利用されぬように賢くならなくてはいけないと思いました。
圧巻の法定シーン
題材の重さと、舞台が法定となると、それだけで言葉の応酬が想像され、見ていて疲れそうかなと、先入観ありで観ましたが………
単なる法定劇に終わらず、人物描写も丁寧で映像と言葉と小道具が絶妙に絡みあい、あっという間の2時間でした。
法定での論点の捉え方のシャープさと、映画のなかでの焦点のあて方が、とにかく素晴らしい!
良心と史実に従う
大量虐殺はなかったと、否定し続ける人はどこでもいるのです。ナチス・ドイツよりユダヤ人への暴力然り、南京事件やオスマン帝国がアルメニア人への虐殺のこともまた然りです。否定論者は歴史を否定するのが容易いことです。なにぶん歴史は過去のことなので、証明して人に信じてもらうのはとてもむずかしいことです。
ときには詭弁と改ざんされた説は真実より納得しやすい場合もあります。が、良心と史実に従って、否定論の荒唐無稽世に暴く歴史学者に尊敬を払います。そして、この歴史にある辛さと重さを観客に伝えた映画に拍手します。
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