きみの鳥はうたえるのレビュー・感想・評価
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若手実力派3人は佐藤泰志の世界観から何を感じたか
夭折の作家・佐藤泰志の著書を映画化し続けてきた菅原和博氏いわく、函館・新3部作と銘打った1作目。最初の3部作は熊切和嘉、呉美保、山下敦弘という映画界で認知された実力派を監督に起用してきたが、今回は若手の三宅唱を起用することで、どのような相乗効果をもたらすか……。
果たして、出来上がった作品は良い方へと転んだ。それも、柄本佑、染谷将太、石橋静河という若手実力派が実に瑞々しい存在感を函館の街に違和感のない速度で馴染ませ、佐藤泰志の思いに寄り添っている。この3人が上手いのは誰もが承知しているだろうが、それにしても石橋静河という俳優の一挙手一投足から目が離せなくなるような強烈な個性に震える。
何者でもないから自由になれる
この映画の3人は何者でもない。それが心地良い。主人公に至っては名前もわからずクレジットも「僕」表記である。何者でもないからこそ、何にでもなれる自由がある。
男2人、女1人の人間関係なのに、彼らの関係は恋人なのか友人なのかもわからないほどに曖昧だ。でもだからこそ恋人にもなれるし、友人にもなれる自由がある。セックスがあっても主人公と佐知子の関係はひどく曖昧なまま進む。恋人になれば関係は強固になるかもしれないが、同時に友人の距離感の自由を失う。
それはただのモラトリアムかもしれない。いろんな所属や肩書きや関係性の役割を引き受けて人は大人になるが、そうしたものを受け入れれば入れるほどに人は不自由になるのかもしれない。モラトリアムな瞬間は不安定だけれど一番自由な瞬間でもある。
それにしてもシネマアイリスは偉い。地方のミニシアター文化を守るだけでなく、佐藤泰志原作の素晴らしい映画を4本も世に送り出した。それだけで大拍手だ。
クラブ音楽のBGMに馴染めるかどうか
故・佐藤泰志が80年代初頭に発表した小説の映画化で、当時の東京の話を、現代の函館に舞台を移して脚色している。原作にはビートルズのレコードが登場し、"And Your Bird Can Sing"を歌うシーンもあって、曲名の訳が小説の題になっているのだが、映画ではカットされているので、映画の題としては意味がよくわからなくなっている。そして音楽も今風にということなのか、Hi'Specを起用し(劇中のクラブのシーンで本人も登場)、クラブ音楽などデジタル寄りのサウンドトラックが流れるのだが、個人的には佐藤の小説世界と相性が悪いように感じた。80年代を知る世代ゆえのノスタルジーかもしれないが。
柄本佑の鬱屈した感じはキャラクターによく合っている。明るく笑顔の多い染谷将太とのコントラストもいい。石橋静河のダンスにはもっと見たいと思わせる力があった。
難解すぎる
この作品は難解で考察しにくいものの、若者たちの心を丁寧に描き出している。
まずタイトルの意味 それが象徴だというのはわかるが作品からはうまくつかめなかったのでWikiを利用した。
ビートルズの曲 それを知り益々難解度が上がった。そもそも割愛されているのでわからない。
村上春樹のノルウェイの森と同じ。そこに明確な意味などないのだろうか? 割愛した理由はどこにあったのだろうか?
しかしこの作品は起承転結というものが主人公の心境の変化としてだけ描かれていて、純文学を映画にした作品だ。難解さのなかに「わからないでもない雰囲気」がある。それが「若さ」の特徴のひとつなのだろう。あの3人の中に「私」を存在させて、考えてみるのだ。
さて、
この作品の特徴の一つが、主人公に名前がないことだ。小説をそのまま付け加えずに映画化したのか。
誰もがそうであるように、主人公もまた、自分自身の正義というのかポリシーをはっきりと持っていて、それが店員のモリグチに「なんかお前、わかってないな~」と言って殴りつけたことに現れている。
主人公は自分を縛ることはしたくない。だから他人も縛らない。
そんな主人公を誘い出したサチコの意図は明かされていないが、彼女は店長との関係に辟易していたと思われる。店長の雰囲気から神経質で粘着質なのが想像できる。彼女は主人公の不真面目な自由さに惹かれたのだろう。
男女関係を仕事場でしか見つけられないという閉塞感がこの作品に出ている。小説の舞台が東京で、それを函館に変えている理由がこの閉塞感の演出だったのかもしれない。
主人公は最初「よくわかんない女」からの誘いを受けるべきかどうか悩むが、そもそもその日仕事をさぼっていることで、仕事場の傍まで出かけるのが億劫だったはずだ。
そして1.2.3…と140まで数えて彼女が来なかったら帰ることにした。
彼女は来たが、あえて一度自宅に戻って出直す約束をしたのは、おそらく自分の予想が外れ、本当に彼女が来てしまったからなのではないかと思った。
主人公は日常的に嘘をつく。それはおそらく他人との衝突を避けているからだろう。その場限りの体裁としての嘘は、人を傷つけたくないという意味もあるのかもしれない。逆に言えば、それだけ頭が回り、人の気持ちをよく気づいているということだ。
彼は誘ってきたサチコの心がわからず、行くという約束を破ったが、実はお金がなかっただけかもしれない。
そんなことも忘れたように平気な顔で彼女に話しかけるが、そんな不誠実ながらも自由な生き方をしている主人公を好きになる。店長と真逆。
同じ店員の女性とサチコが話すシーンがあるが、彼女はSexに興味があり、簡単にそんな話をしている。その裏にあるのが20代後半の「焦り」であり、恋愛という最も興味あるものは「ウソつき」つまりお互い嘘の中で駆け引きしていることが伺える。
そして「若さって、なくなるものなのかな?」というこの作品の核となる言葉。
主人公はシズオと一緒に暮らしているが、そこにサチコが加わり、夜な夜な3人で遊び始める。
彼らの遊びには嘘がなく、今しかない青春を取りこぼさないようにして遊ぶ。
「オレはカラオケって好きじゃないんだよ」という主人公のセリフには、本心を言えない自分自身を暗示しているようにも感じた。
サチコが歌った「オリビアを聴きながら」も、女が男をフる歌詞で、二人の今後を暗示している。
「人の楽しみを邪魔しない」主人公は、サチコの店長との関係を終わらせる相談にも向き合わない。「どうにでもなる」 だから、したいようにすればいい。万引きだって見逃す。主人公にとって「どうでもいい」ことなのだ。
仲のいい三人だが、それぞれ少しずつ性格や考え方に差があることがわかる。
「めんどくさいのは嫌」 最初そう言ったサチコだが、何にも介入しない主人公とに間隙ができる。シズオと一緒に映画に行くことやキャンプに行くことも自由にさせる。
シズオには家庭内の問題がある。病気の母と兄、それに無関心なシズオ。誰もそれ以上のことはわからないが、冒頭にシズオと母が一緒に飲んでいるシーンがある。「お前は優しい子だ」 母はお金がない。会えばお金を渡すことになる。シズオはおそらくそれが嫌なのかもしれない。
サチコとシズオのデートで、シズオが主人公を「何を考えているのかわからないけど、何も考えていないのかも。でも裏表がない」と話している。
サチコに「さっき嘘ついたでしょ。帰って来た時起きてたでしょ」と聞かれ、投げ捨てるように「ああ、嫉妬した」 サチコにはそれが本音なのか当てつけなのかわからない。だからシズオとキャンプに出掛ける話を持ち出して本心を確認したが(私の妄想)、彼は「二人で行けば」のように言ったのだろう。
その間、冒頭に主人公が帰宅したのと同じようなシーンになる。本屋に新人が入り、女子店員のウキウキした様子、モリグチの無断欠勤、主人公は行く当てもなく一人散歩。
モリグチに棒で襲われ、シズオの母の訪問。おそらく彼女はお金を借りに来た。
当てが外れた代わりにリンゴを持たされ帰る母。人々の心のすれ違う様子が象徴的に描かれている。
母が倒れても何も動揺しないシズオ。シズオにとっては家族などあまり気にしなくてもいい存在なのかもしれない。そんな時に3人はまた飲みに出掛ける。プールバーで遊ぶ。
朝になってもまだ遊び足りない女子店員と新人。モリグチを説得した店長。
寝ていなかった主人公はひとり何を考えていたのか? 結局シズオは一人で病院へと出かけた。
そしてサチコの告白 「あのね、私、シズオと恋人として付き合うことにしたよ」
主人公「オレは二人がうまくいけばいいと思ってた」
彼女をいつもの駅まで見送ると、主人公は冒頭の時のように数を数え始めた。しかし、140まで数えることなくサチコを追いかけた。
「全部嘘、嘘ついた」
「やめて」
「オレはサチコが好きだ」
困惑するサチコの表情で作品が終わる。
難解なのは、主人公の心がわからないからだ。自分自身にもおそらくはわかっていないのだろう。これが「若さ」なのだ。独特のポリシーを掲げてプライド高く生きているつもりでも、自分が他人と関わる時、そのポリシーやプライドを捨てなければならない場合がある。
主人公はようやくそれができたということだろう。その自分勝手さは、それまでの彼の生き方と真逆になっている。
タイトルの意味を考え、ビートルズの曲を調べてみると下記のような言葉があった。
「この歌詞は、愛の失敗や人間関係の複雑さを描いており、鳥が歌うことができるが、人々はその歌を理解できないという意味を持っている。これは、愛や感情が他人には理解できないことを表しているとも言える」
この作品は、そもそも理解できないように作られている。
揺蕩う
適当にフラフラ遊んで、このままじゃ行けないような気がして、真面目になった気分になって。
やっぱりすぐには変われなくって、適当にフラフラ遊んで。
思春期ってそう言う構造で出来てるんだと思う。(そんな歳でもないか…この三人笑)
その「揺蕩いかた」を、都会でも田舎でもない、情緒がやたらと視界を支配する函館という街を舞台に描いた映画。
柄本佑演じる「僕」はまるで揺蕩うことを美学としているかのような人間。何事にも斜に構え、適当に仕事をサボり、ルームメイトの好漢・静雄に寄りかかりながら毎日を過ごす。
そして、適当に知り合ったバイト先の店長の不倫相手を適当にセ⚪︎レにし、静雄と3人でひたすら遊ぶ。とにかく遊ぶ。部屋で、外で、クラブで。
遊んでるところが、とにかく静かなんですよね。まぁまぁ派手に遊んでるのに。それがこの映画の描写上の特徴。劇中音楽も、そんなコンセプトのもとに作られているのかなという感じ。
怠惰な若さの、ふわふわと浮かんでいるかのような心地よさの表現を目指したんだと思います。なので、これがダメな人にはダメかな笑 と思いました。私は好きでした。クラブミュージックの無記名性も良かった。(途中カラオケのオリビアはその面では逆に意味がありすぎたかも。そこだけ「花束」みたいだったな)
クラブのシーン、長いという声もありましたが、この3人が特段セリフもなくフリーフォームのような「遊ぶ」というシーンを、ホントに楽しそうに演じてましたね。遊んでたんでしょうね3人とも笑 学生の頃たまーに全然毛色の違う友人にクラブに連れてかれて、踊る友達をよそに隅っこで飲んでたことありましたけど、あんな感じあんな感じ、と思いました。
そんな「僕」も時には熱くなる。なんかムカつく時がある。それは、「分かってない」書店同僚の森口が、知ったふうな口を聞いた時。
「率直で気持ちのいい、空気のような男」になりたいと思っている「僕」。斜に構えてる裏には、どこか自分に自信がなく、何かを叶えることが申し訳なく思えるような自己否定感がある。だから、何一つ芯を食っていない癖に断言調で言い放つ男には言い知れぬ不快感を感じたのかも知れません。
揺蕩う中でも「そうじゃねーよな」って感じる時、あると思うんです。そうなって初めて、自分が真面目な感覚を持ってることや、熱い気持ちがあることに気づく。この気持ちってなんだろう?そこと向き合って、だんだん人間は「揺蕩い」をやめ、卒業していくと思うんです。
佐知子への気持ちもそうで、最初と最後の「10カウント」には、「僕」の心の真摯な部分が出てくる、この映画の数少ない場所ですよね。
でも、若いが故にそのタイミングにはズレがあり。「僕」と佐知子のギクシャクはまさにそこだと思うんですよね。二人とも同じようにユラユラしてた癖に、真面目のタイミングがちょっと違うとこうなる。
ラストは濁しエンドでしたが、佐知子はじゃあ静雄と付き合って上手くいくのかなぁ…。そんな性根じゃないと思うんですよね笑 どっちかというと「僕」側でしょう、と。結局は三人、離れ離れになって何もなく過ごしていくのかも知れないなぁと思いました。短い間に誰かと強烈に親密になり、嘘だったかのように離れていく。これも若さの特権。
好きなタイプの青春映画でしたよ。大人になれない三人が、大人になれそうでやっぱりなれない函館の話。
軽い静かな絶望
「夜明けのすべて」→「ケイコ目を澄まして」→本作の順番で鑑賞。
驚いたのは手癖のようなものがあまり感じられず(ワンカットが長いところは共通してるか)、どの作品も人物描写は際立って素晴らしすぎる演出だということでした。
本作では地方の若者たちのいい人とも無誠実とも無感動とも享楽的とも取れる登場人物たちのそこにいる感が凄く、結果もうずっと居心地悪い!となりますが、もうこの映画の意図だから仕方がないですよね。
染谷将太の中学生のようなでも大人になってしまった、常になぜか微笑んでいるような表情、あれこそこの映画の居心地の悪さの根っこでした。
次の瞬間に誰か殺してしまっていないかとヒヤヒヤさせられるくらい。
夏の恋、軽やかさと終わりの予感
2018年。三宅唱監督。函館で本屋のバイトで暮らす主人公は同じように定職についていない友人と二人暮らし。気ままに暮らしているが、バイト仲間だった女性に声をかけられて付き合うことに。意気投合した3人の奇妙な関係は夏の間続いて、という話。
最初から終わりを漂わせている夏の恋、三角関係を予感させる視線の交わり。解放感のある空の下(大きな建物がほとんどない)、大きな道路をふらふらと歩く。夜明けまで飲み、踊り、ビリヤードをして卓球をする。そして時々仕事をする。世の中の決まり事を軽やかに無視して若さの特権を行使しながら、お互いに分かり合えなかったり、不安を抱えていたりする。なんて切ない青春映画。
「オリビアを聴きながら」の大胆なアレンジのカラオケ。 石橋静河はなかなかの歌唱力を見せた。 石橋静河は書店の店長(萩原聖人)とも男女の関係にある。
動画配信で映画「きみの鳥はうたえる」を見た。
劇場公開日:2018年9月1日
柄本佑
染谷将太
石橋静河
渡辺真起子
萩原聖人
書店でバイトをしている柄本佑と石橋静河。
柄本佑と同居している染谷将太。
3人はいつか三角関係になる。
夜通し飲んだり、
クラブに行ったり、
カラオケに行ったり、
ビリヤードをやったり、
若い3人は遊びに忙しい。
「オリビアを聴きながら」の大胆なアレンジのカラオケ。
石橋静河はなかなかの歌唱力を見せた。
石橋静河は書店の店長(萩原聖人)とも男女の関係にある。
3人の日常生活が淡々と描かれるが、
とくに大きな事件は起こらない。
自分の若いころのことを思い出したり、
懐かしく思った映画だった。
満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
オリビアを聴きながら
話は、大人3人が飲んだり遊んだりしてダラダラと過ごしてるだけ。
でもみんな演技が上手なので、
こういう人いそう、(身近にいる、)
と思わせてくれる。
特に、だるっとして生気もない、
酒飲んでタバコ吸って女と遊んで
本能のまま生きてるような男役の、柄本佑がよかった。
色気がありそうな役どころなのに、
無精ひげだし体は引き締まってない。(笑)
オダギリジョーがこの役やったらかっこよすぎちゃうけど
柄本佑だからこそ、この映画の雰囲気を作ってる感じ。
あとカラオケで石橋静河が歌う「オリビアを聴きながら」が
すごいよかった・・
ハナレグミのカバーverらしいです。
【瞬間の夏と答え】
※ クラブの場面で石橋静河さんのダンスが見られるのと、カラオケでのシーンで「オリビアを聴きながら」が聴ける。お姉さんの優河さんの歌声にも似て、ちょっと歌手もやらせてみたくなる。
ずっと夏が続く。
そんな思いに駆られる瞬間は、僕にもあった。
だが、それは幻想......というより、自分がそこに止まって変わらないというだけのことだと、いつか気付くのだ。
原作の舞台は、東京の国立だが、映画は函館に置き換えられている。
函館三部作後の作品。
もし、肌感を言うなら、吸い付くような感触だ。若く吸い付くような肌感。
「若さって無くなっちゃうもんなのかな」
多くの若者が、いつか取り込まれる社会に抗うように、自由であることを謳歌できないのかと考える。
社会に取り込まれるように思えて、何であれ真剣に考えようとしない。
どうにでもなると思っているのか。
何にでも逆らってみたい。
そのうち、自分の本当の気持ちに向き合うことも出来なくなる。
カッコつけてても、好きかどうかも言えない。
それは自由なのか。
「楽しんで遊んで何がダメなの?」
「佐知子は何も分かっていない」
静雄の言葉は重い。
様々なことに抗って見出せる何かがあるのかもしれない。
しかし、抗うことが自由とイコールではないはずだ。
男2人と女1人のバランス。
崩れるバランス。
自由とは自分の気持ちに正直であることではないのか。
やはり、何にでも抗うことは自由とは異なるだろう。
北海道の夏は短い。
永遠に続く夏なんてないのだ。
だから、瞬間瞬間を自分の気持ちに正直に生きてみることが重要なのだ。
「好き」
※※
The Beatles ー And Your Bird Can Sing(訳)
君は欲しいものはすべて手に入れてきたという
そして君の鳥は歌うことができる
でも君は僕を手に入れていないよ 手に入れていないんだ
君は世界の七不思議を見てきたという
そして君の鳥はまだ若い
でも君は僕が見えていないよ 見えていないんだ
君の自慢の所有物が重荷になりはじめたら
僕のほうを見るんだ
君のそばに僕がいるだろうから そばにいるはずなんだ
君の鳥が傷ついたら君は落ち込むことになるだろう
君は気付かされるかもしれない
君のそばに僕がいるだろうから そばにいるはずなんだ
君はありとあらゆる音楽を聴いてきたという
そして君の鳥は奏でることができる
でも君は僕の演奏を聴くことができないよ 僕の音を聴けていないんだ
「愛」は形に
男と女の関係性について、本来どうあるべきなのか、難しいことはよくわからない。ただ、思うに「愛」を形あるものにすることが大切なのではないか。現に、佐知子は静雄に惹かれた。なぜならば「愛」を形作るべく、静雄は佐知子を意図的・意識的に連れ出す。佐知子は店長との関係を断つこととしたが、「僕」の「愛」は曖昧で、おぼつかない。佐知子の心は少しずつ静雄に傾いていく。まさに「僕」は佐知子を失いかけてようやく、形のある「愛」を求めていた佐知子の心に気付かされた。
空気のようなチルムービー
自由でまったりの時間が流れる映画。
でもそれでいて退屈にならず、ぼーっと惹き込まれて観てしまう不思議な魅力がある。
一見冗長で無駄な時間に見えるシーンも艶かしくさせている。
クラブのダンスシーンもずっと観ていられる。
それは他でもない石橋静河の脱力系色気のせいだ。ダンスが得意なのもあって、ゆったりとリズムに合わせて体を揺らすだけで画になる。そして歌も上手いときた。カラオケでの歌唱シーンも見どころだ。
そして柄本佑のクズ男加減が絶妙。どうしようもないのに、どこか愛らしいキャラを見事に演じきっている。
それら全体に漂うセンスのある空気感は三宅唱監督の演出の力か。
エンディングテーマもイカしてる。
染谷、柄本、石河の豪華メンバー。今はないような、70年代みたいな空...
染谷、柄本、石河の豪華メンバー。今はないような、70年代みたいな空気をこの若い世代が出していることに驚く。でも、それは、昔のように皆がのほほんとしてた時代ではなく、非正規や無職は周辺化されている社会の中でのシーン。
渡辺真起子とかがいい。
石河は決して美人ではないのだけど、表情がいい。特にラスト。すごく複雑な表情だった。
冒頭とラストが呼応していて、包容力のある柄本が全部ウソだと言い切るところは見事だった。
それでも、ちょっと分かりづらいというか、いまいち独りよがりな構成なので、高い評価は出しづらい。
三人が遊んでるシーンは幸福そうだけど。本当にただ遊んでるのか、含みがあるのかは微妙。
店長も謎。
店長の腰巾着の最低ぶりの描き方は良かった。
最初は、淡々と何も起こらない映画で面白味を感じなかったけど しっか...
最初は、淡々と何も起こらない映画で面白味を感じなかったけど
しっかり見ればすごい好きな映画になった
さちこのいつもの髪型とスタイルがすごく似合っていてよかった
「僕」の不思議な明るさと「静雄」の何を考えてるかわかんない感じが、観る人に何を考えてるか2、3回鑑賞していくたびに考えながら見るようになった
自分もいま18という一番楽しい時期で、思ってる言葉をちゃんと口にしたくなった
知らない間になにかを失いたくない
すごく好きな映画です
あ、あとサントラがすごく良かったです!
意気地無し
「いるいる、こういう男」
な~んで、こんなダメ男がモテるんだろ?って。
理屈じゃないんだよねぇ~
柄本佑さんって色気あるよねぇ~
なんだろうねぇ?
イケメンじゃないんだけど。
奥様の安藤サクラさんも美人じゃないけど色気あるよねぇ~
夫婦で似てる♪
素敵♡
演じるだけじゃ出せない雰囲気を持ってる役者って凄い。
中途半端な俳優じゃ、こーいう色気は絶対に出せないもん。
などと内容はそっちのけで柄本佑さんばかり見ちゃってました(笑)
うふっ
書店の店長を演じた萩原聖人さんも気怠いオジサマの色気がムンムン♪
シズオを演じた染谷将太君の捨てられた仔犬みたいな悲しげな雰囲気も良いし、恋愛体質のサチコを演じた石橋静河ちゃんもイイ味出してて(歌上手いし)見てて心地よい三角関係でした。
幸せになりたいのに、なれない。
サチコの雰囲気ハマってました。
私は、こんな関係は絶対にムリ(笑)
映画だから楽しめる。
それから、本屋で働く同僚でクズ野郎が居ましたねぇ(笑)
根性腐った人間が近くに居ると嫌だなぁ。
この映画、ダメ人間が嫌いな人は見ててイライラすると思うのでオススメしません。
私はダラダラと時間潰しに楽しめました。
石橋静河の風格が欠点。
遊んだ末の気だるい朝のリアリティ。
若き日は延々続くかに思えて無為に過ごすも、気付けばとっくに青春の終わりが始まっている。
上手い。
石橋静河の肉体、踊り、歌にゴージャスな二世女優の風格が溢れて、この役の求める貧相には成れないのが唯一の欠点か。
良い。
嫌いじゃないのは役者がいいから
メインの3人が芸達者な役者を使ってくれたおかげで、最後まで眠らずに鑑賞できました。
正直、ストーリーは眠たーくなるような、のんびりというか、だらだらしてるというか、覇気がないというか、、、でしたが、まぁ、自分じゃとてもこんな風には生きていけないだろうから、映画で見る分には楽しめるな的な作品でした。
リアルにありそうな箇所と、
おいおい、ドラマチックやな!
と言いたくなる箇所があって、それが楽しかった。
なんせ主役の柄本佑も、染谷将太も、石橋静もみんな美しいな。オーラが。うん。存在感と空気感。
それに対する萩原聖人の枯葉感がまた素晴らしいね。
若者と少し年取ったおっさんの差がより、この世界をリアリスティックに描けていて、好感が持てた。
柄本佑演じる、「僕」がひょうひょうと、流れるままに、束縛されることなく何かに必死になるわけでもなく、なるようになれーと生きてる様や、佐知子(石橋静)のように、尻軽に、でも、好きなように異性と絡みながらもそれなりに不安になって思い悩んでたりする様は、羨ましかったりもしたなー。
ラスト。はっきりしてくれない作品は苦手だけど、今回はなぜだか、これで良い!と素直に思えた。
佐知子、どうしたかな、、、
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