「不治の病に侵されて、治療は果たして義務なのか?」しあわせな人生の選択 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
不治の病に侵されて、治療は果たして義務なのか?
恐らくは、命は長くないだろう重病を患った時、もし自分が当事者の家族だったら、治療をして少しでも長く生きてほしいと思うだろう。そしてまた自分自身が重病患者だったとしても、おそらくは出来る限り長く生きられる可能性を探るだろうと思う。しかしながら、その行為は、決して当然のことではないし、ましてや義務などではない。病気になったからと言って、治さなければならない義務も、辛い治療を受けて苦しい思いを命堪えるまで長引かせなければならないという、責任まで背負うことにはならないはず。けれども、病気になったら治らないと分かっていても治そうとしなければならない、あるいは辛くても治療を受けなければならないというような、先入観のようなものが存在するのも確かだと思う。重病患者である家族がもし、治療は受けないと言い出したら、私だったらきっと「どうして!?」と声を荒げてしまうだろうと思う。この映画は、そんな病を患った中年の男が治療を受けることを拒絶し、もしかしたら最後になるかもしれない旧友との休日を過ごす、そんな物語だ。原題の「TRUMAN」は飼い犬の名前で、自分の死後、この飼い犬をどうするのか?ということを一つのメタファーにして、死の選択をした男の終幕と、その男に対して何も言葉を発せずに見守るしかできない旧友の二人を見つめている。
今の日本では、ある意味でとても「タイムリー」なテーマでもあるし、今後いつ自分の身に降りかかってもおかしくない出来事を描いているので、興味を惹かれる部分もある。病に侵された時、決して治らないのに必ず治療を受けなければならないのか?という自問自答を呼び起こした点で、その意義も価値も見出せるのではあったが、この作品、自分でも意外なほど、印象でいうと至って「普通」と言った感じで、それほど心に響いては来なかった。
というのも、男二人が4日間の短い休日を通じて、例えば犬の引き取り手を探して面接をしたり、久しぶりに息子に再会してでも病気のことが癒えなかったり(でも息子はそのことをちゃんと知っていたり・・・)、という展開のすべてが、どこか想像の域を超えないというか、それらのシーンに特別な目新しさはなく、思わずはっと気づかされ目が覚まされるような展開が訪れないというのがその理由ではないかと思う。治療を受けないと決めた男と、それを見守るしかできない男のそれぞれの葛藤と深層心理の考察に(結末の落としどころも含めて)新しい切り口が見当たらず、よって特には琴線を刺激されるようなことがなかった、というのが(あくまで私個人としては)正直なところだった。
それにしても、そろそろいい加減に「○○な人生の△△し方」みたいな邦題を(特にヨーロッパ映画に)つける風潮、やめてもらえないかなぁ・・・。観たいと思った映画にそういう邦題がつくと、見に行くのが恥ずかしくなるよ・・・。