しあわせな人生の選択 : 映画評論・批評
2017年6月20日更新
2017年7月1日よりヒューマントラストシネマ有楽町 YEBISU GARDEN CINEMAほかにてロードショー
「余命もの」のお約束を全て裏切る、二人の中年男が過ごす切ない最後の四日間
大切な人が余命わずかだと知ったら、あなたはどうしますか? この一文で「またお涙頂戴のアレか」と思わないで欲しい。スペインのゴア賞を独占した「しあわせな人生の選択」は、「余命もの」のお約束であるあんなパターンこんなパターンを片っ端から裏切ってくれるのだ。
本作には患者が自暴自棄になるシーンも闘病に苦しむシーンもない。涙ながらにもっと生きたいと叫んだり、親しい人に囲まれて息を引き取ることもない。描かれるのは、余命わずかな友人を見舞う四日間のできごとだけ。闘病の始まりも命の幕引きもなく、真ん中にある過程のほんの一瞬をユーモアすら交えて切り取っているのだ。
主人公はかつて親友だった二人の中年男、トマスとフリアン。トマスはカナダに移住して家族と暮らしているのだが、フリアンが余命宣告されたと知って久々にスペインに帰国する。死にゆく友達にどう話しかければいい? 優しく元気づければいいのか、明るい顔でざっくばらんに話すべきか、涙を浮かべて抱きしめるのか、どこまで深い話が許されるのか。トマスの立場に自分を置いてみればひとつひとつの選択にどれだけ気を遣うかわかってもらえるだろう。
フリアンはフリアンで、自分のスタンスやテンションをどこに置いていいのか戸惑っている。終末医療を拒否し、死の覚悟はそれなりにできている。心残りはいくつもあるが、とにかく愛犬トルーマンの里親だけは見つけたい(原題は「トルーマン」だ)。いや、留学中の息子にも会いたいし、気まずくなった知人とも和解したい。再会したトマスにも気を遣いつつ、この四日間はワガママを通そうと決める。
二人の関係は“友情”なのだろうか。スペインの感覚がよくわからないけれど、まるで元夫婦のように思える瞬間が何度もある。どちらも結婚経験もあれば子供もいて、フリアンに至っては相当なプレイボーイだが、一度は人生を共にして、最期に互いを看取るのは自分であるべきだと感じているのが当事者ではない観客にも伝わってくる。
しかしトマスには別の生活があって、四日経てば二人の時間は終わる。どれだけ相手を想っても、四日間に詰め込めるドラマの総量は限られていて、あっけなく最後の日はやってくる。最後の最後にフリアンは最大のわがままを押し付けるのだが、ああ、こんなわがままを言い合える二人は幸せなのかも知れないと、チクリと刺すような胸の痛みとともに、この二人のことをこれからも時折思い出すだろう。
(村山章)