「ナウシカ」ジュラシック・ワールド 炎の王国 sさんの映画レビュー(感想・評価)
ナウシカ
島の噴火で、恐竜も人間もなく一緒に逃げているシーン、
ああ、巨大隕石が落ちた時もこうやって皆で逃げたのだろう
私達のご先祖さまも、恐竜たちと一緒に...と思うと
すっかり馴染みの恐竜達に、さらに親近感というか「地球の仲間」的な一体感を感じた。
最後の一頭が溶岩に飲まれて消えてゆく場面は、偉大な種そのものの滅亡を象徴しており、純粋な悲しみから泣けて仕方なかった。
前作では銭ゲバにも思えた、クレアの気持ちを理解する。
先日観たディズニーの「モアナと伝説の海」を思い出す。
火山とは、自然とは畏怖すべきものだった。
船に恐竜を積み込むのは、ノアの方舟のモチーフと思う。
他にもいろんなジャンルや作品の影響を見い出せるけど、
少女の選択については、宮崎駿著風の谷のナウシカ漫画版の
クライマックスシーンが真っ先に思い浮かぶ。
あの少女はナウシカだった。インドミナスは巨神兵である。
恐竜たちは、私達旧人類なのだ。
命は既にあるのだから、どんな命であれ、人類がその是非を裁くことはできない。
そうなると恐竜は最早ただ面白がったり怖がるものではなく、私達自身となり
利用しようと企む者たちは共通の敵になる。
人類も恐竜も、命という点で平等な存在である、という道徳的なメッセージがある。
でも、さらに付け加えるなら、火山で消える恐竜をみて泣くように
自分たちの存亡さえ脅かしかねない、恐竜という種そのもののことを
自分たちそっちのけで心から思い、愛することができる。
命をかけて守ろうとし、失うことを知り悲しむことができる。
それが人間とその他の生物とを分ける、人間が他の種より神に近いことを示す唯一の証なのだという裏のメッセージも暗示されている。
ブルーは心を持ち、他者のために自分の命を忘れることができるから優れているのである。
なので、あの選択が元で人類が追い込まれて絶滅の危機に瀕することになったとしても
それでもいいのかもなと思う。人として一番マシな選択である。
「見殺しにできない」という選択自体が自然の、そして人間に宿った神の意思なのである。
科学と人間の奢りの話、壮大な命の話は、最近他にもたくさん作られているけれど
人の心に訴えるのはやっぱりスピルバーグが一番うまい。
彼の作品では子供は絶対死なず、片親がデフォだけど
親すっとばしてきた。
最初に母親の写真を見た時どう思ったか。
「これおかしくないか」と、うすうす気付いたのだろうか。
前日に、インコやふくろうなど鳥と遊べる場所へ行った。
鳥は好奇心が強い。さかんにコミュニケーションを取っている。
鳥の知能は非常に高い。
「鳥は頭が足りない」というイメージは、どこからもたらされたのだろうか。
恐竜オークション。陰謀論ではなく、ああいう武器商人は本当にいるんだろうなと思う。