「史実を描く演出が見事」ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ maruさんの映画レビュー(感想・評価)
史実を描く演出が見事
「英雄か、怪物か」と予告編にもあるように、観る人の価値観次第で、鑑賞後、レイ・クロックが、どういう人間なのか決まると思う。
お金を稼ぐ「方法」を考えたのが、マクドナルド兄弟。
お金を稼ぐ「手段」を考えていたのが、レイ・クロック。
マクドナルド兄弟とレイが、フランチャイズ契約を交わしたとき、レイが手に入れたのはお金を稼ぐ「方法」です。その後、レイもフランチャイズで、マクドナルド兄弟から得たお金を稼ぐ「方法」を、気に入った人材に提供していった。
…ところが、はたと気づく。
(あれ?お金が貯まらない…)と。本来レイは、お金を稼ぐ「手段」として考えていて、事業を進めるうえでも「方法」という概念ではなく→「方法と書いて手段と読む」というふうに、ずっと「手段」としてマクドナルドにほれ込んでいた。兄弟の人生の物語、紆余曲折の末できたアイデアの結晶の輝きに、目をキラキラさせて「これは素晴らしいビジネスだ」と思っていたのではない。
単に「これは(お金が儲けられる)素晴らしいビジネスだ」と思っていた。
とすれば不満が出る。欲が出る。そんなときにある男のアドバイスで不動産に手を出しはじめてから、お金を儲ける「手段」として「マクドナルド」が機能する。
最初から、レイは、お金を稼ぐ「手段」としてほれ込んだだけ。マクドナルドの「素晴らしい形態」を広げたいのではない。「素晴らしい形態を広げれば、お金になる」と見込んでいただけ。
結果的にマクドナルド兄弟は、その人生で生まれたアイデアを数万ドルで売ったことになる。
英雄か、怪物か。
例えば、劇中でマクドナルド兄弟の人生の物語を知らなければ、描かれていなければ、レイは優秀なビジネスマンとして、鑑賞者には映るはず。マクドナルド兄弟の人生にフォーカスして描かれていれば、レイは悪として映るはず。
双方バランスよくどちらも描かれていて、観る者にレイという人物の存在価値をゆだねる。マクドナルド誕生の物語というより、資本主義に圧殺される民主主義のアメリカの競争社会に一石を投じるような作品。
民主主義者にとっては、怪物だし、資本主義者にとっては、英雄なのかもしれない。