「中年になった3人が中途半端な青春の名残りにケリをつけChoose Life=自己肯定する姿を描く」T2 トレインスポッティング 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
中年になった3人が中途半端な青春の名残りにケリをつけChoose Life=自己肯定する姿を描く
『トレインスポッティング』は青春の危険極まるポップな暴走を描いた作品だったから、青春という一時期が終わった後の彼らにはさして興味を抱かなかった。
あの生の蕩尽は若さの特権だし、それがなくなったらケチな犯罪者の貧相で退屈な生活しか残らないだろう…と思っていたら、続編が出てきたので驚いた。
聞けば原作者ウェルシュは前作から9年後に、30代になったレントンたちの物語を書いていたのだが、小生は続編までは読んでいなかった。映画の設定は20年後で、内容も別物だという。
本作は表面をなぞれば、中年を迎えたかつての悪ガキ連中が再会し、青春期のわだかまりにケリをつける姿を描いたものだ。
レントンはアムステルダムで就職、結婚していたが、仕事も夫婦生活も破綻寸前。相変わらず薬物依存のスパッドは仕事もなく妻子と別居状態で自殺を思う毎日、同じく薬物依存のシック・ボーイはちっぽけなパブを経営しながら、ケチな美人局をやっている。ベグビーは20年間ずっと刑務所に収監されたまま。
行き詰まったレントンがエディンバラに帰ったところから物語は再開する。スパッドの自殺を思いとどまらせた彼は、シック・ボーイに昔の分け前を返した上、一緒になって盗みや詐欺を働き始める。予想通りケチな犯罪に手を染めるケチな中年たちに成り下がったわけである。
ところがそこに脱獄したベグビーがやってきて、やがて彼と3人との闘いになる。最後に勝った3人はベグビーを刑務所に送り返し、それぞれ自分の居場所を発見していく。
大まかに言えばそのようなストーリーだが、ここでポイントになるのはやはり"Choose Life(生きろ)"だろう。かつて「Choose Life? バカじゃねえか」と鼻で笑い飛ばし、生を蕩尽していた彼らも、もはやそんな元気はない。
レントンは美人局の共犯者であるブルガリア女性にその言葉の意味を尋ねられて、初めは生を小馬鹿にしたセリフを並べていくのだが、最後には「Choose Lifeとは愛する人々を失って心が空っぽになっていくことだ」と、Lifeに逆に見離された不遇を嘆いてしまう。
スパッドは青春時代の記憶を書き残すことに自分の居場所を発見するし、シック・ボーイもベグビーを倒す戦いの中でレントンとの友情を確認し、最後にパブ経営に戻っていく表情はどこか納得した落着きを感じさせる。
少々強引にこじつければ、青春をひきずったまま中年になった3人が再会とベグビーとの闘いを通じて、いまだに中途半端だった生き方にケリをつけ、それぞれChoose Lifeし自己肯定していく姿を描いたのが本作ということになろう。
最後にレントンが実家で父とハグした後、自分の部屋で昔のレコードに合わせて踊り始める姿には、「ああ、自分の青春と折り合いをつけられたんだな」と、ホロリとさせられる。
「そう、泣けるよな」――エンドロールの末尾、SONYのクレジットの後、唐突に出てきた"Be Moved"の文字はそう言っているような気がした。