グレイテスト・ショーマンのレビュー・感想・評価
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特に好きな映画のひとつです!
アクションや推理やこった設定などがあるような映画ではないですが、音楽が好きな人は必ず見た方がいい映画です!
ヒュージャックマンの圧倒的歌唱力と素晴らしい楽曲が最高です!!
このごろ、こういったテーマの映画は批判されがちですが、内容はとても素晴らしく、差別的なものではないので、ぜひ見てほしい映画です。
感動のエンターテイメント
「レ・ミゼラブル」があまり趣味に合わなかったので、ミュージカルはずっと敬遠していましたが、今日観終わって4時間ほど経ちましたが、まだ感動の余韻が残っています。
主人公のサクセスストーリーを軸に「仲間達との友情や絆」、「家族への愛」がテーマとなり最高の歌とダンスでテンポよく進んで行くストーリーに最後まで釘付けでした。
そして本筋に流れているのはやはり、形の違う「偏見、差別」この存在が物語に切なさを出しています。あまねく公平にある「人生の喜び」の訴え。
公演をともにしていたオペラ歌手のジェニーのセリフ「人の事を大切にしないから自分が破滅する」
紆余曲折を経て本当に大切なものは「何か」に気がつく主人公のバーナム。
歌が流れる度、ウルウルしてしまいました。
大画面、大音量での視聴がお勧めです。
明日また、2回目を観ようと思います。
音楽の可能性とはなにかを教えてくれます
人生最高の映画過ぎて
人生最高の映画過ぎて、今まであえてレビューを書くこともなかった。ただひたすら観客を楽しませる、客の使った金と時間に娯楽という形で報いる、タイトルと中身と観客へのサービス提供が全部一致している類い希なる人類至上最高のエンターテイメント作品なので、今さらレビューにしたためようとも思わなかった。
しかし人生で一番嫌いな作品について、ふと思い立ちレビューを残したので、同じように人生で一番好きな作品についても書くことにする。
僕は舞台であるNYでこの作品と出逢った。この作品と出逢えたから、その時NYにいて良かったというくらいの運命だ。吹替は帰国中に初鑑賞。帰国後、日本の劇場で7回ほど、応援上映を含めるともっとか。ブルーレイ、dvdも観賞用コレクション用に分けて所持。至上最高のエンターテイメントだが、キャラクターに萌えるような作品ではない。だが関連グッズのtシャツやパーカーまで持っている。
グレイテストショーマンには金を払いたいのだ。ブロードウェイ版をいつまでも待っている。本国でも日本でも観たい。
ストーリーは不足から得られるカタルシスが最高にしても、決して重厚ではないし、詰めが甘い部分も多い。しかしそれでいい。笑って泣けて、勢いのあるエンターテイメントで観客を殴るスタイルがこの作品のテーマで、初志貫徹ぶれていない、PTバーナムの清濁併せ呑む人生そのものであり、壮大なタイトル回収だからだ。
だって、単純に曲がいいじゃないか?捨て曲が全然ない。million dreamを初めて聴いた時の感想「は?しょっぱなから良い曲過ぎん?w」
何故こんなにも歌いやすく、ノリがよく、嫌でも泣ける楽曲が惜しげもなく使われているのか。
僕はララランドはヒロインが屑過ぎて大嫌いだが、それ以上にララランドの良くなかったところは、ミュージカル映画なのに単純に楽曲が良くなかったこと。本当に同じスタッフなの?差がありすぎないか?w
まあ、グレイテストショーマン好きはララランド嫌い、逆もまた然りは映画あるあるだそうなので、そういうことなんだろう。
僕はグレイテストショーマンが一生で最も好きな映画だ。大事なことなので何度でも言おう。しかし、グレイテストショーマンに対する他者の批判的レビューを見るのも好きだ。(一言つまらないとかでなければ)
他者のレビューで最も印象に残ったのが
バーナムが博物館の行く末に悩んでいた中、机にあるリンゴを見て、サーカスを思い付くというシーン。それを見て「バーナムは極貧時代助けてくれた女性を思い出して、そうだあの人みたいな人を見世物にしたろwと思ったようだが、それってサイコパスにも程がある」
という内容。すごく納得したからだ。なるほど確かにバーナムはサイコパスだ。恩を仇で返すとはまさにこのこと。僕ほどのグレイテストショーマンファンはそうそう居ないという自負があるが、この意見には納得しかない。だってそれも含めて、グレイテストショーマンは人類至上最高のエンターテイメントだから。
上質のピースを揃えても、驚くほどに中身がない
「レ・ミゼラブル」の感動を再びと、期待して映画館へ運びました。楽曲の良さや、振り付け、歌姫の圧巻のパフォーマンスなど、細切れにすれば相当いい映画に見えます。
でも直近のアニメーション映画に「SING」というミュージカル作品があり、小心者の象とか、ギャングから足を洗いたいゴリラ、ちょっとボケている義眼のカメレオンばあちゃんなど、異形の者が活躍するストーリーと、親しみやすいヒット曲の数々、吹き替え版の頑張った作り込みによる歌の完成度、ショービジネスの世界での成功を夢見る展開など、かなり似ているのに、映画の出来として、ぜんぜん負けていると思います。
それから、ヒュー・ジャックマンについては、本領発揮と言いたいところですが役本来のバックボーンが足りなさ過ぎて彼がショービジネスを志す動機や、巧みに歌や踊りを披露する説得力がありません。彼のパフォーマンスは劇中における感情の爆発なのか、劇中劇の域を出ない物なのかあやふやで、サーカス団のメンバーと共に歌い踊りながら、劇中の観客たちの喝采を浴びます。だとしたら彼は一体どこでそのスキルを身につけたのでしょうか?「レ・ミゼラブル」には観客が存在しないので直接見る人の心に届くのですが、この映画はそうなりません。
確かに歌やパフォーマンスは素晴らしい出来映えですが、なんとなく入り込めない構造になってしまっていてとても残念です。ウルヴァリン役を卒業して、本気度が高いところをアピールしたいでしょうが、この映画の中では、あまりエモーショナルな振れ幅が無く、共感できませんでした。
ストーリーも淡白で、登場人物すべてが表面的な描写ばかりで、怒りとか、哀しみとか、それ一色に染まってしまいます。
「ラ・ラ・ランド」は深い悩みと愛情のすれ違いを、多彩なジャンルの音楽やあらゆるロマンティックなシチュエーションで見せる楽曲を揃えて、ラストまで目が離せないストーリー展開も含めてとても完成度の高いミュージカル映画でしたが、この映画、本当に同じメンバーで作ったの?と疑問に感じるほどガッカリさせられました。
2018.2.19
何も考えなければ楽しい映画
起承転結がはっきりしていて、ミュージカルシーンは魅せる魅せる。何も考えなければエンターテイメント作品としては良質。
但し、マイノリティ擁護や反差別といった自己満ポリコレに媚びたメッセージを中途半端に差し込むせいで何も考えずに楽しむにを邪魔される。
例えば、フィリップとアンの恋愛についてだ。
アンは黒人と言えども非常に美しい女性で、その身体も非常に美しい。一面を見れば黒人差別に対するアンチテーゼだが、見た目が良ければ良いというのはポリコレ側の言葉を借りるならルッキズムってやつじゃないのか?
結局見た目か。醜い者は愛されるべきではないのか?
実際、健常者であっても先天的な容姿によって人生の難易度は大きく左右されるのが現実だ。
だが黒人だったり医学的に証明される障害だったりした場合は反差別という名の腫れ物扱いによって寧ろ厚遇され、それ以外の生まれ持った美醜の差によって生まれる格差、逆ハロー効果は透明化されるばかりか今も尚格差は広がる一方である。
ちゃんちゃらおかしくて臍が茶を蒸発させる勢いである。
ポリコレに媚びたいなら、髭女レティの歌声だけを聴いたフィリップが一耳惚れし、その容姿を知っても尚愛を誓うとか、ドラァグクィーンに惚れて…とか他にいくらでもやりようがあったのでは?
また、ミュージカルシーンに尺を割く都合上、物語上唐突な展開がちらほら。
例えば、終盤挫折したバーナムの元にフリークスが集うシーン。
それまで人目を避けて生きてきたフリークスだがバーナムに勧誘されサーカスに出演することで自己肯定感を得た。それを恩義に感じたフリークスはバーナムに手を差し伸べる。
このフリークスが自己肯定感を得る、という描写が不足しているので、納得しがたいものがある。
そして挫折から再起を遂げるラストシーン。
これも挫折→再起という展開に理路が存在しない。それもそのはずでバーナムの挫折の直接の原因は妻子持ちのバーナムに迫って振られた女の逆恨み、フリークス排斥派の市民による放火と、バーナム自信に否が無いのだ。
だから挫折と再起の間に「反省と改善」という重要な工程が抜け落ちている。どうせなら挫折はバーナムの自業自得にするとか、フリークス排斥派と和解して劇場再建を手伝って貰うとかして、再起に至る理路をはっきり描いた方がより大きなカタルシスを得られたのではないだろうか。
畸形、見世物、ポリコレ
変わった人たちをあつめてショーをやった──とは、現代のポリティカルコレクトネスをふまえた言い方であり、これをバーナムの時代に即して、ダイレクトに言えば、畸形をあつめて見世物をやった、のであって、トッドブラウニングのフリークス(1932)とグレイテストショーマンは表裏である。と思う。
いつからか、その境目にはっきりした記憶はないが、世の中のさまざまなものの呼称が、変わった。
スチュワーデスがキャビンアテンダントになった。
看護婦が看護しになった。
孤児院という言い方があったが、養護施設になった。
いま、おもいつくものが、あまりなくて適切な羅列ができないが、いつの間にか、昔の呼び名ができなくなったモノは、たくさんある──と思う。
老齢の父を病院につれて行くと、父は大声で「おおい、かんごふさん、ちょっと」などと、呼びかけたりすることがある。
わたしは、一応「かんごしだよ、か・ん・ご・し」と訂正を入れるが、高齢者のことばづかいを、ほんきで是正したい、と思っているわけではない。
イーストウッドの運び屋にこんなシーンがあった。
Earlがあるとき路上でパンクして立ち往生している車輌をみつける。
黒人の若いカップルだった。旦那はスマホを高くかかげて、タイヤ交換の方法をネットで調べよう──としていた。Earlは「negroのタイヤを交換するなんてね」と言うのだが、女性がちょっとだけ怪訝になって「いまニグロは使わないよ」とやんわり忠言する。
Earlには蔑称の意図はなかった。女性も差別されたと思わなかったから「おじいさん、その言葉はいまは使わないんだよ」と訂正したわけである。
わたしたちがポリティカルコレクトネスに与するのは、その古い呼称によって、個人もしくは団体が、怒ったり、悲しんだりする──と予測されるからだ。
たとえば、昭和初期の求人には、ふつうに容姿端麗・委細面談と書かれていた。
いまは、たとえ容姿端麗なひとしか採用しなくても、容姿端麗という言葉で、それを条件化することはできない。
ポリティカルコレクトネスはひとを平等に呼ぶようになったが、むかしと比べて、ひとは博愛になったわけではない。すこしズルくなったのである。
バーナムが「畸形をあつめて見世物をやった」と言ってしまえば、現代の放送コードを超えてしまう。
映画は、社会からつまはじきにされていた人たちを、現代的なダイバーシティの俎上へ乗せている。
よって、かなり脚色されているはずである。黒人が奴隷売買されている時代であり、バーナムは、もっと山っ気な興行師だったであろうし、差別を打開しようと企図していたわけでもないだろう。
とはいえエンターテインメントにするための単純化/モダン化であり、バーナムの来歴/人物にせまろうとしている話ではない。
これを美化と見てしまうのは醒めすぎであろうと思う。
興行のあいだに、演者との間に絆が生まれたのは、真実だったにちがいない。
映画は、たんに人と身体的な違いを持っていること──だけでなく、人が抱えているなんらかの負い目にたいして、広汎に作用する。
人がなんらかの抑圧/差別をこうむっているとき、それに拮抗したい気持ちと、わたしなんか死んでしまえばいいという気持ちが、葛藤しているもの──ではなかろうか。
その琴線へ触れる良心がグレイテストショーマンには、あった。
だけど、それはアメリカなリベラルだと思う。
日本の学校では、人と違うことをおそれるな──とは教えない。
その意味で、閉塞した日本での大ヒットは頷けた。
さいしょに感じたのは、いささかとうが立っていること。
ジャックマンもウィリアムズも壮年である。
中堅というより、かんぜんにベテランで、冒頭の少年少女が、青年期を飛ばして、いきなり壮年になる。
この装丁のミュージカルなら、20代がやっていい。
むしろふたりでよかったが、ちょっとした違和はあった。
人生の山と谷が、ジェットコースター的に展開する。
ものすごい省略をする映画だと思う。
そのことが退屈させない躍動を与えているが、スピードを落とさず、ドラマ部が空虚化しない人材を配置する必要があった。──ゆえのベテラン起用だと思った。
ところで、世のなかには、This is meこれが私です、とか、私はそれを気にしない、と言って出るだけでは、解決しない差別がある。
たとえば、ふとっているひとが、私は肥満を気にしないわ──と主張して、放胆にふるまってみたりする──なんてことが、業界ではよくある。
個人的には「なんだかなあ」と思ったりする。
わたしは肥満を中傷も差別もしないが、肥満にたいする中傷や差別にあらがってみることが、みずからの存在証明だと矜持するのは、些末すぎる。
芸能人でなければ、そんなことには、なんの価値もない。
おそらく、ほんとの差別とは、芸能人のSNSのコメントにならぶようなものではない。と思う。
15歳のDorothy CountsがHarry Harding High Schoolに登校する写真をご覧になったことがあるだろうか。「私はあなたのニグロではない」(2016)で、それを見た。一連の写真はこの世でもっともおそろしいイメージだ。
憎悪と罵倒の群衆のなかで、かのじょは文字通りの孤立無援、文字通りの四面楚歌だった。
Dorothy Countsは、これが私、私は気にしない──と言って、それを打開することはできなかった。
人と違うことはいい。
だけど芸能人がやるような自己肯定を、一般人がやると、たんに無秩序なだけになる、ことがある。
グレイテストショーマンを見て勇気づけられるのは素晴らしい。が、健常な現代人が、抑圧を感じるとき、なんらかの差別をこうむっているのか、自分が勝手だからなのか、慎重に振り返ってみても手遅れにはならない。
おとなになるとたいくつな冷静さがそなわってしまうが、これを受け取れないほどひねくれていはいない。大衆に寄り添う、高揚する、いい映画だった。
わくわくする
まさしくグレイテスト
私はミュージカルは元々見ない人なのだが周りの人に勧められて内容も分からぬまま見に行った。
きっと歌って踊って終わりなんだろうな、、そんな気持ちだった。
ストーリーが始まり急に歌が始まった!
私の鼓動は高鳴った!
なんだこの良い曲は、、引き込まれる!
そしてどんどんストーリーは面白いくらい早く進んでいった。
あっという間に2時間がたちEND
もう頭から曲が離れない。
速攻全曲ダウンロード。
ミュージカル映画でもしかしたら1番好きな映画になったかもしれない!
なんと言ってもダンスと歌がほんと飽きない!全部良すぎた!ストーリーも前向きで最高だった!
見たあと幸せな気分になれた!
これは是非テレビではなく映画館で見て欲しい!
ありがとう!素敵なペテン師!
リアルな夫婦、家族の姿が参考になる。締まりもしっかりしていて満足でした!観て損はなさそう!
旦那を信じ、図にのり不倫。愛想をつかす、、夫改心。リアルな部分もあり、未婚女性としては妻の女の強さ、健気さに憧れた。お金がなくても明るく元気な家庭、お金を持つと人は変わる。紆余曲折がリアルでよかった。最後はハッピーエンド。リアルでは、難しいかもしれないが、映画としては美談でhappyな気持ちで終われた🌼
ミュージカル映画が好きな人にはたまらん
映画が公開された当時は
ミュージカル映画はラ・ラ・ランドしか許せない自分がいて
どうしてもつまらなさそうだと思い見ませんでしたがWOWOWで放送が決まったとき、思い切ってみました。
1回目鑑賞後全ての曲をすきになりました。
何かと話題になった「this is me」がこのようにして歌われたのかと思うと、何度見ても歌唱シーンに胸を打たれます。
なんと言っても配役全てが良かったです。
ほとんどダンサーさんが起用されているみたいですけど
演技も、ダンサーさんだとは全然気づかないくらい見入ってしまいます。
映画の上演時間自体長くもなくちょうどいい長さだなと思うので内容合わせてとても満足する映画です。
リンダとのスキャンダルが発覚するまで彼らを出し物扱いしていたP.Tバーナムは頂けませんでしたしヒュージャックマンのクズっぷりがめちゃくちゃ良かったです
何度でも観たいと思う映画です
ストーリーが。。
比較的創造しやすい作品
この手のミュージカル映画は、ストーリーは端折りがちで、少ないシーン、歌から観客側が想像して楽しむものだと個人的には思ってる。
その点でいえばこの作品は非常に想像しやすく、登場人物のそれぞれの気持ちや感情を共感して楽しむ事ができた。
内容は決して濃いものではないかもしれない。映画にはよくありきたりな貧しい時代を過ごした主人公が成功を収める事で大切なものを失い、最後はその大切さに気づいて終わる。
まぁありきたりなんだけど、劇中でも語られていた小さな幸せこそ大きな幸せだったり、人々を幸せにする事が芸術そんな事を楽しめる作品なのかなと個人的には理解して楽しませてもらった。
全1275件中、241~260件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。












