「理不尽に立向った逞しい女達」ドリーム みかずきさんの映画レビュー(感想・評価)
理不尽に立向った逞しい女達
本作は、人種差別を主題とした硬派の作品ではなく、人種差別、アメリカ宇宙飛行開発史など、様々な要素を巧みにブレンドしたヒューマンドラマの快作である
舞台は1960年代のアメリカ。バージニア州にあるNASA研究所は、有人宇宙飛行の開発でソ連としのぎを削っていた。夢を抱いて、そこで働くことになった有能な3人の黒人女性、主人公・キャサリン(タラジ・P・ヘンソン)、友人のドロシー(オクタヴィア・スペンサー)とメアリー(ジャネール・モネイ)は、当初、様々な理不尽な壁に阻まれ、その才能を十分に発揮できずにいた。しかし、彼女たちは、決して諦めず、次第に、自らの力で、一つ一つ、壁を乗り越えていこうとしていた。折しも、ソ連が有人宇宙飛行に成功し、NASA研究所はアメリカの威信をかけて巻き返しを図るが、試行錯誤の連続だった。3人は夫々のやり方で、有人宇宙飛行の成功を目指して奮闘していく・・・。
本作は人種差別を取り扱っているが、重さ、悲惨さは少なく、3人の女性の活躍をコミカルに描いている。彼女たちは才能豊かであるが、それだけではなく、生きる姿勢が前向きで、何といっても行動力が素晴らしい。理不尽な扱いを受け、3人で愚痴ることもあるが、それだけでは終わらず、形振り構わず行動していく。自らのスキルを見せることで周囲の評価を高めていく。現状のスキルに固執せず、貪欲に新しいスキルを吸収していく。自らの道を自らの力で開いていく姿勢には爽快感があり胸を打つ。彼女達の行動力を支えているものは、生まれた時から経験してきた不条理な壁を打ち砕き、現状を打開しようする揺るぎない信念と覚悟だろうと推察できる。
本作では、黒板を効果的に使っている。問題を解決するため、一心不乱に黒板に難解な数式を書き殴っていく主人公が持っている白いチョークの音は、夢に向かって突き進む主人公の足音のようであり、心地良い響きである。
1960年代といえば、人種分離政策により、白人と非白人は、レストラン、トイレなど様々なものが別々だった。劇中で、キャサリンが何度も往復した非白人トイレへの800mの距離は、そのまま、彼女が感じている理不尽の大きさを示すものだろう。ラスト近くで、トイレで白人女性が呟く“偏見は持っていない”という台詞に、ドロシーが返す台詞が当時の人種差別の実態を如実に物語っていて凄味がある。差別する側とされる側の考え方の違いが端的に表現されている。
3人の行動は素晴らしかったが、旨く行きすぎ過ぎ感が皆無だったのは、背景に、アメリカの威信をかけた有人宇宙飛行問題があったからだろう。アメリカが形振り構わずソ連を追走していたからだろう。上司役のケビンコスナーがそんなアメリカの立場を代弁する役どころになっている。彼は、主人公の良き理解者的立場であり、主人公の問題提起を快諾してくれる。彼にとっては、部下の才能を最大限に引き出して、有人宇宙飛行を成功させることが至上命題であり、それを阻害するものは、どんなものでも排除していくという明確な姿勢が清々しい。ケビンコスナーの持ち味であるストイックさが奏功している。
ラスト。紆余曲折はあるが、史実通り、3人の女性を始めとした多くに人々の努力は見事に結実する。ベタではあるがストレートで感動的な幕切れである。
本作は、どんな苦難にも挫けず、夢を追かけていく3人の黒人女性の姿が深く心に刻まれると同時に、様々な問題を内在しながらも逞しく前進していくアメリカという国の強かさを実感できる作品である。
この映画はとても感動しました。
メモにはありませんが、レビューは当時、書いた覚えがあります。
黒人用のトイレへ10分以上もかけて向かう主人公と、
白人用のトイレの看板を叩き壊すケビン・コスナーが格好良くて
痺れました。
「十三人の刺客」に共感とコメントありがとうございました。
私のレビューにもお褒めやご指摘のお礼を書きました。
お時間がありましたら、読んで頂けたら嬉しいです。